佐波郡玉村町樋越の嚮義堂(きょうぎどう)。

嚮義堂 (1)
嚮義堂は伊勢崎藩政時代の郷校である。文化5年(1808年)に設立され、明治4年(1871年)まで農閑期を利用して庶民に漢学が教授された。校名は「義に嚮(むか)う」の意味で、浦野神村を始めとする藩儒が交代で講義を行った。
(浦野神村は「伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓」参照)

嚮義堂 (2)
嚮義堂は樋越村名主・設楽庄右衛門、組頭・八木平右衛門、組頭・八木丈右衛門ら14人が発起人となり、子どもたちの学ぶ場所の建設を藩に陳情し、その願いが聞き入れられたことによって建てらた。約16坪の建物で、敷地面積は37坪であった。

嚮義堂 (3)
現在ある建物は郷校として使用された当時の建物ではないが、屋根瓦に「學」の文字が刻まれいる。

嚮義堂 (4)
庭内には石碑(嚮義堂之記)が残されている。とは言っても、全く読めない。文化6年(1809年)の造立。

現在ある建物は郷校として使用された当時の建物ではないが、江戸時代の郷校の精神を現代に伝えている。

*令和2年(2020年)1月30日追記
嚮義堂が玉村町の重要文化財に指定されました(1月20日付け)。