佐波郡玉村町樋越の浦野神村(じんそん)の墓。
浦野神村は知周と言い、神村は隠居後の雅号である。
延元元年(1744年)の生まれで、村士玉水に師事。伊勢崎藩の藩校・学習堂の教授として子弟を教育した。隠居後は郷校・嚮義堂にて講義を行うなど、村民の教育に尽力している。また神村は優れた行政吏でもあり、天明3年(1783年)の浅間山噴火に伴う泥流被害の際も取鎮方として活躍している。文政6年(1823年)に79歳で没している。
ちなみに、「藩校」は藩が設立し主に藩士の子弟教育を行う目的のもので、「郷校」は庶民教育を目的としたもの(藩校の分校的な位置づけの場合もある)。
ところで、神村の墓は囲いもなく道端にあり、墓地(墓域)とは気づきにくい。故人が眠るお墓と言うことも考えると、もう少しどうにかならないものかなぁ・・・。
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