前橋市茂木町の大日山龍性寺。

龍性寺 (1)
龍性寺は承久2年(1220年)に文覚上人が奥羽巡錫のおり当地に立ち寄り、上人自ら刻した大日如来像を本尊とし創建したとされる。

文覚上人は元武士で、19歳で出家し仏門に入っている。ただ、文覚上人は建仁3年(1203年)に死去したとされており、龍性寺創建年とは少し合わない。

龍性寺 (2)
龍性寺 (3)
文久3年(1863年)に火災に遭い堂塔・什器・古記録類を焼失。現在の本堂の建立年は不明だが、近年の再建のようだ。本堂には本尊の阿弥陀如来を祀る。先に書いたように創建時の本尊は大日如来。文久3年の火災後、変わったと推定される。

龍性寺 (4)
龍性寺 (5)
境内にある石幢。総高2mで幢身から宝珠まで完全な形で残っている。円柱状の幢身に六角形の中台を乗せ、その上に六角柱の1面に1体ずつ6体の地蔵が彫った龕部を乗せている。江戸時代中期のものと推定される。

石幢の名称の起こりは、寺の内陣の須弥壇を取り囲んで掛けられる細長い布製の旗を幢幡と呼び、ここからきたものといわれている。幢幡を6枚または8枚組み合わせてかけている様子を、石造物で表現したものが石幢である。