太田市大舘町の八幡宮。
大舘八幡宮の創建年代は不明であるが、平安時代末期の文書にも大舘の地名が見られ、新田義貞の曽祖父・政氏の弟にあたる大舘氏が、この地に勧請したと伝えられてる。
文禄3年(1594年)から大舘地域七ヶ村二千石を領した弘前藩の記録には、「津軽信敏が天和2年(1682年)に上州大舘に八幡の祠を建つ」とあることから、社殿は津軽信敏の再建と考えられている。本殿は覆屋内のため見られないが、軒唐破風檜皮茸の荘重なものである。
大舘氏は新田政氏の弟・家氏を祖とし、家氏の子・宗氏は、新田義貞の鎌倉攻めに、右大将として参戦している(極楽寺坂で戦死)。
大舘町には大舘氏の館跡と伝わる場所もある。遺構は失われており、小さな諏訪神社が建っているのみである。(「太田市大舘町・大舘氏館跡」参照)
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