吾妻郡東吾妻町大戸の華庭山大運寺。

大運寺 (1)
大運寺 (2)
大運寺は興国年間(1340~46年)に宝誉上人の開山。

大運寺 (3)
大運寺 (4)
当時、上州の三大尽のひとりと言われた富豪・加部安左衛門(7代目)の寄進により大運寺は荘厳な堂宇となった。

本堂は平成2年(1990年)に火災により焼失、現在の本堂は平成6年(1994年)の再建。

大運寺 (5)
大運寺 (6)
大運寺 (7)
大運寺の境内は加部家屋敷跡の一部である。屋敷跡の遺構としては石垣が見られる程度だが、頌徳碑が建っている。

大運寺 (8)
加部家の墓。さすがに立派である。

加部家の初代は戦国の頃、まだ武士だったようだ。4代目の時代に大戸の関所が設置され、関守になっている(他三家)。

7代目(大運寺に多くの寄進をした)が、農業の他に酒造業や麻の売買などにより、多くの財をなしている。8代目は事業をさらに大きくした。また天明の浅間山の大噴火に際し、吾妻川流域の村への援助を行っている。その後、商売が傾いた時期もあるが、13代目が明治7年(1874年)まで続けていた。現在ご子孫は東京在住。

ちなみに、上州三大尽のもう2名は、佐羽吉右衛門(桐生)と鈴木重兵衛(甘楽)である。