邑楽郡邑楽町中野の廣学山神光寺。

新光寺 (1)
新光寺 (2)
神光寺は正和3年(1314年)新田義貞家臣・中野藤内左衛門景春の開基である中野山善正寺が始まり。景春は新田義貞とともに戦い、延元3年(1338年)義貞の死に殉じ自害している。

新光寺 (3)
新光寺 (4)
元々この地は中野景春の館跡で、戦国時代は富岡氏配下・宝田和泉守が修築し中野城としていたが、天正18年(1590年)廃城になっている。その後、慶長10年(1605年)館林・善導寺の霊存和尚が字前原にあった善正寺を中野城跡に移したのが現在の神光寺である。

新光寺 (5)
邑楽町の天然記念物であもある大カヤ。推定樹齢は約770年ということなので、中野氏が館を構えていた時の名残りということになる。樹高21mを誇る姿は壮観である。

新光寺 (6)
享保3年(1718年)に起こった館林騒動で処刑された竹岸武兵衛の顕彰碑。大正6年(1917年)の建立。
(館林騒動関係は「館林騒動 三義人の供養碑・阿妻山教学院」参照)

大カヤから志士之碑周りには芝生が敷きつめられており、それも入って行くのに気が引けるほどきれいに整備されている。