館林市栄町の仏光山覚応寺。

覚応寺 (1)
覚応寺 (2)
覚応寺 (3)
覚応寺の開基は鎌倉時代の武将・佐々木盛綱と伝わる。盛綱は源頼朝の旗揚げから仕えていたが、頼朝没後の建久10年(1199年)に出家し西念と称している。

建仁元年(1201年)には上野国磯部郷に在住していたとの記録もあり、覚応寺を開基していても不思議ではない。(ちょっと磯部と館林は遠いけど・・・)

盛綱夫妻の墓との伝承がある五輪塔が、安中市磯部の松岸寺にある。
(「伝佐々木盛綱夫妻の墓・磯明山松岸寺」参照)

その頃の創建なら、覚応寺は寺歴800年の名刹ということになる。

覚応寺 (4)
境内にある太子堂。聖徳太子を祀る。明治41年(1908年)の建立で、平成19年(2007年)に修復。祀られている聖徳太子像は、佐々木盛綱が親鸞聖人から授けられたと伝えられている。

覚応寺 (5)
覚応寺 (6)
浮世絵師・北尾重光の墓。
重光は文化11年(1814年)江戸生まれ。25歳の頃から館林に住み、店を構えて各種の幟や絵馬を描くことを生業としていた。重光の絵馬は館林市近郊の多くの社寺に奉納されており、その数は300枚以上といわれている。明治16年(1883年)71歳で死去。