藤岡市本郷の町田菊次郎の生家。



高山社2代目社長である町田菊次郎の家で、高山社の分教場としても活用された。
母屋は木造2階建て、切り妻造り、瓦ぶきで屋根で、上には4つの天窓が設けられ、屋内の間取りは高山社跡に残る母屋兼蚕室(明治24年建築)と酷似している。

町田菊次郎は高山長五郎の遺志を継いで、明治19年(1886年)2代目社長として清温育の普及に尽力した人物。菊次郎は勧業博覧会でたびたび受賞するなど、高山社の名声を高めている。
明治34年(1901年)には私立甲種高山社蚕業学校を設立(初代校長)、全国から生徒を受け入れて清温育を全国に普及させるのに尽力した。大正6年(1917年)66歳で死去。

藤岡市藤岡の諏訪神社にある町田菊次郎頌徳碑。
生家にはご子孫が住まわれているので、見学の際は一声かけてから。
コメント