佐波郡玉村町角渕の角渕八幡宮。

角渕八幡宮 (1)
角渕八幡宮は建久6年(1195年)、源頼朝が狩りに赴いた際に角渕で休み、烏川の風景が鎌倉の由比ヶ浜に似ているということから、安達盛長に命じて鎌倉鶴岡八幡宮より分霊を勧請して創建した。

角渕八幡宮 (2)
角渕八幡宮 (3)
角渕八幡宮 (4)
本社、塔、鐘楼、山門、鳥居などが建てられ栄華を誇っていたが、中世以降、戦火に焼かれるなど、次第に荒廃していったらしい。

慶長15年(1610年)に関東郡代の伊奈備前守忠次が、当地の新田開発の成功(前橋の天狗岩用水を延長する代官堀の開削)により、角渕八幡宮の社殿を上新田と下新田の境に移築した(現在の玉村八幡宮)。なので、角渕八幡宮は玉村八幡宮の元宮となる。
(玉村八幡宮は「源頼朝の勧請・玉村八幡宮」参照)

現在の角渕八幡宮の本殿は天保2年(1831年)の造営。近年老朽化が進んだため、平成22年(2010年)銅板葺き屋根や回廊などの大修理が行われている。

玉村八幡宮は前橋藩主・酒井氏の庇護を受け、江戸時代にたびたび修理が行われ、本殿は国の重文に指定されている。通常、元宮ってのは廃れていってしまいがちだが、角渕地区の方々が敬い守ってきていることはすばらしいことだ。