太田市世良田町の世良田館跡。
長楽寺の西に広がる芝生公園。世良田氏の館跡といわれる。昭和63年(1988年)に実施された芝生広場建設に伴う世良田館跡の発掘調査では、比丘尼蓮性板碑が出土している(比丘尼蓮性板碑は新田荘歴史資料館に常設展示されている)。
碑文に「正慶元年壬申十月八日」と刻まれている。正慶元年は1332年で、新田義貞の鎌倉幕府討幕前年となる。
発掘調査では堀の一部、さらにそれより古い小溝等も発見している。堀の規模は幅約6m、深さ3m、小溝は、幅約1m、深さ約1m。
発掘調査の面積が狭かったため、中世の館跡としての決め手を欠いているが、昭和9年(1934年)の「世良田村旧蹟案内」には「世良田義政館跡」と記載されている。
世良田義政は南北朝期の武将で、新田義貞に従い戦功をたてるが後に足利氏に従っている。しかし南朝方に通じているとの嫌疑をかけられ、足利基氏(尊氏の4男、後の初代鎌倉公方)の追討を受け長楽寺で自害したという。
出土した比丘尼蓮性板碑の碑文と世良田義政の年代が合致しており、鎌倉末から室町初期の館跡ということでよさそうだ。
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