太田市世良田町の世良田山長楽寺の4回目。

岩松守純・豊純父子の供養塔 (1)
岩松守純・豊純父子の供養塔 (2)
長楽寺開山堂の脇に岩松守純・豊純父子の供養塔がある。厳密には、それぞれ奥方の戒名もあるので、それぞれの夫婦の供養塔ということになる。

岩松守純・豊純って?
守純は岩松家14代当主で、家臣の横瀬氏(由良氏)の下剋上にて居城の金山城を奪われている。守純以前から横瀬氏の専横に苦しんでいたが、ついに守純の時代に大名・岩松氏は滅亡した。

守純は徳川家康から20石を与えられ、旗本として世良田郷に居住。元大名が20石の旗本。新田氏の家系図を出せと言われ、断ったためともいわれている。

岩松守純・豊純父子の供養塔 (3)
台座にいろんな人名が記されており、供養塔を造立した人々と思わ
れる。分かったのは土岐美濃守頼布くらい。1800年前後の沼田藩主。これらの人たちの共通点は、みな源氏ということ。(三浦帯刀のみ平氏みたいだけど)

なので、この供養塔の造立は1800年以降と思われるが、理由は分からなかった。もう少し幕末に近いと、討幕からみかなぁ、なんて考えもできるけど。

岩松氏累代の墓 (1)
岩松氏累代の墓 (2)
開山堂の西に岩松氏累代の墓がある。季節がらなのか、草ぼうぼうだった。もともとは普門寺にあったが、寛永年間(1624~44年)に長楽寺に移されている。

守純・豊純の供養塔が岩松氏累代の墓所内に造立されなかったのもよく分からない。