太田市世良田町の世良田山長楽寺。
以前、長楽寺を紹介した時に触れなかったものを中心に再度紹介。
(「太田市世良田町・世良田山長楽寺」参照)
長楽寺境内(本堂南側)にある文殊山に世良田義季累代の墓がある。文殊山は約50mの前方後円墳で、累代の墓があるのは後円部(前方部は世良田東照宮)。
墓所には16塔の石塔が並んでいる。
前回も紹介した宝塔。建治2年(1276年)の銘があり、国に重要文化財になっている。
世良田義季の墓といわれる宝篋印塔(2番目の写真の1番左に写っているもの)。いろいろ調べたら、これが義季の墓だと書いてある書籍があり、どの程度の信憑性かは不明だが一応そういうこと。
長楽寺の開基は義季である。しかも徳川氏の祖として扱われている。それが中心にある訳でもなく、その他と一緒に並んでいるというのは、普通に考えれば・・・だと、素人のオレでも考えるけどね。真ん中にある宝塔(4番目の写真)が義季の墓という説もあるらしい。建治2年(1276年)だと、少し年代が合わないような気もする。
はっきり言えることは、どれが義季の墓だか分からないということ。本当にここにあるのか? という気がしないでもない。
ちなみに、世良田義季は新田氏の祖・義重の4男で、世良田郷・得川郷を譲り受けている。この末裔が徳川家康ということになってる。まあ、家康が源氏一族を名乗りたかったために、使われたということだけどね。
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