前橋市千代田町3丁目の虎淵山大蓮寺。

大蓮寺 (1)
大蓮寺 (2)
大蓮寺 (3)
大蓮寺は永正2年(1505年)厩橋城下の虎淵(現在の臨江閣の辺り)に創建された。慶安3年(1650年)に現在地に移っている。本堂は昭和49年(1974年)の再建。

大蓮寺 (4)
大蓮寺 (5)
元和2年(1616年)に酒井重忠が城下町の繁栄を祈願し、大蓮寺に弁財天を祀っている。弁天堂は平成2年(1990年)の再建。

大蓮寺 (6)
忠臣蔵で有名な赤穂浪士・矢頭右衛門七教兼の母の墓。矢頭右衛門七は討ち入り浪士中2番目に若い18歳で切腹。母親は白河藩松平家家臣の親族に迎えられ、その後松平家が姫路、前橋と転封となったため、前橋に移っている。そして宝暦2年(1752年)85歳で没している。

大蓮寺 (7)
旧墓石。昭和20年(1945年)に長年の劣化に前橋空襲での被害も合わさり、先の墓碑を再建している。

大蓮寺は弁天通り商店街(アーケード)に山門が面しており、商店街を行き交う人々が気軽にお参りできるお寺となっている。特に弁財天は商店街の名前にもなっており、地域の方々に親しまれている。