邑楽郡邑楽町石打の仏種山慶徳寺。

慶徳寺 (1)
慶徳寺の前身は天台宗の正伝寺といわれる。この正伝寺が、天正元年(1573年)に佐野宗綱によって焼き払われ、同年に龍泉院・鉄翁霜金和尚によって再興開山、曹洞宗に改宗し慶徳寺とした。

佐野宗綱は下野国の戦国大名・佐野氏の16代当主。正伝寺焼き討ちの理由は不明だが、佐野氏は佐竹氏と結んでおり、当地を領有していた富岡氏は北条氏に属していたので、その争いの中でのことと考えられる。

慶徳寺 (2)
慶徳寺 (3)
山門は慶徳寺開創と同時に建立され、邑楽町で最古の建造物とされている。2階造りの楼門で屋根は銅板葺き(元は茅葺)。内部は回廊式になっており、柱には唐獅子と象の彫刻が施されている。2階部分には閻魔大王を中心に十王の彩色坐像が安置されており、これは冥府にある閻王殿(閻魔大王の宮殿)を表している。山門の扁額は閻王殿。

貞享年間(1684~88年)に火災に遭ったが、山門は難を逃れている。

慶徳寺 (4)
慶徳寺 (5)
本尊の阿弥陀如来を祀る本堂。享保10年(1725年)再建、昭和27年(1952年)の修築。

鎌倉末から南北朝、さらには応仁の乱からの戦国時代と戦乱が続き、庶民に来世往生の願いが強くなった時代背景から、山門の2階に閻王殿が造られたと考えられる。