前回に引き続き、邑楽郡千代田町赤岩の赤岩山光恩寺。
光恩寺には、日本初の女医・荻野吟子の生家の長屋門が移築・復元されている。

光恩寺 (1)
長屋門が光恩寺に移された時期は不明だが、明治23年(1890年)の境内図には既に描かれているため、それ以前の移築となる。

荻野吟子の生家は利根川の対岸(現、熊谷市俵瀬)だが、荻野家が資産を処分した際、長屋門が光恩寺に移築された。(俵瀬のお寺は境内が狭かったというのが理由らしい)

長屋門は平成13年(2001年)の吟子生誕150年時に改修され、翌年瓦葺(元は茅葺)となり完成している。

光恩寺 (2)
吟子は明治18年(1885年)34歳の時に、近代日本初の公許女医となる。女医を志してから15年後のこと。(今でいう医師免許を初めて取った女性)

吟子が女医を目指したのは、16歳の時に結婚した相手から性病を移され、その治療で男性医師に下半身を晒すという屈辱体験から、女医の必要性を感じたからという(この男性とは離婚している)。

吟子の生涯は医師になった後も波瀾万丈だったらしく、4月に亡くなった直木賞作家・渡辺淳一が「花埋み(はなうずみ)」という伝記小説にしている。