Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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安中市古屋の島野山法楽寺。

法楽寺 (1)
法楽寺 (2)
法楽寺は応永年間(1394~1428年)法印慶秀の開山と伝えられる。寛文年間(1661~73年)法印弁阿の中興。

法楽寺 (3)
法楽寺 (4)
本堂脇に仏堂がある。中に祀られているのはが大日如来かな?

法楽寺 (5)
本堂裏の中興・弁阿の碑。大正12年(1923年)の建碑。

法楽寺 (6)
法楽寺 (7)
法楽寺 (8)
同じく本堂裏には五輪塔や石仏が並んでいる。

大正時代の法楽寺住職は、若者のために英語や数学を教授し、地域の若者育成に力を注いだという。また、碓氷社の取引書類などを英文翻訳もしていたという。

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安中市古屋の野後(のじり)神社。

野後神社 (1)
野後神社は八幡神社として創建され(由緒は不詳)、古屋村・高別当村の鎮守社として崇敬されてきた。明治40年(1907年)に両村の他社を合祀し野後神社と改称している。

鳥居は大正11年(1922年)の建立。

野後神社 (2)
狛犬は平成17年(2005年)、灯籠は明治12年(1879年)の奉納。

野後神社 (3)
野後神社 (4)
野後神社 (5)
社殿は天保15年(1844年)に再建されている。

野後神社 (6)
境内社の稲荷社。嘉永5年(1853年)の銘があった。

野後神社では平成に入ってから大歳参りが行われるようになった。県道から神社まで雪洞(せっとう、ぼんぼり)を灯し、境内では福笹や破魔矢などの授与を行っている。

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安中市原市の標陀山満福寺。

満福寺 (1)
満福寺は永享7年(1335年)法印恵深の創建。慶安2年(1649年)僧・覚誉が中興している。

満福寺 (2)
本堂は安永5年(1776年)に火災に遭い翌年に再建されている。この時は全焼でなく骨組みは残ったので、それを利用し再建したという。そのため、現在の本堂の間取りなどは当時のままという。

満福寺 (3)
弘法大師像。昭和62年(1987年)の建立。

満福寺 (4)
境内の地蔵尊。

満福寺 (5)
少し離れたところにある墓地の庚申塔。

以前紹介した八本木地蔵堂は、満福寺の境外仏堂になっている。地蔵堂には室町時代初期の作と推定される延命地蔵像が祀られている。地蔵像は秘仏で100年に1度ご開帳される。また、安中市最古とされる寛永2年(1625年)庚申石祠がある。
(「日本三地蔵 -八本木延命地蔵尊-」参照)

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安中市簗瀬の不動山聖明寺。

聖明寺 (1)
聖明寺は天和3年(1683年)瑞巌元祥の開創。当地は滝山城跡と伝わり、城跡には不動山称名寺というお寺があり、それが廃寺となり不動堂のみが残されていたといわれる。その後荒廃したが、明治8年(1875年)祖禅通知が再興している。

聖明寺 (2)
境内入口の青面金剛塔と双体神。

聖明寺 (3)
門前の石段などは、滝山城(土塁)の名残りかな。

聖明寺 (4)
聖明寺 (5)
山門の扁額は「第一義」。これは最高の道理、究極の真理などを意味する仏教用語。もちろん、一般用語でも使う(最も大切な根本的な意義、価値)。

聖明寺 (6)
聖明寺 (7)
本堂は昭和59年(1984年)の建立。扁額は「不動寺」。

聖明寺 (8)
聖明寺 (9)
本尊の不動明王を祀る。

聖明寺 (10)
境内のペット供養塔。平成22年(2010年)の建立。

聖明寺 (11)
開山・瑞巌元祥の供養塔。

聖明寺 (12)
祖禅通知(明治に再興した和尚)の供養塔。明治43年(1910年)の建立。

聖明寺は先に書いたように滝山城跡にある。滝山城の詳細は不明だが、安中氏の支城のひとつではないかと思う。南側はすぐに碓氷川なのだが、けっこうな断崖になっている(10mくらいあるような気がする)。ロープが張ってあるが、南側には近づき過ぎない方がいい。

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安中市原市の悪途山観乗院大蔵寺。

観乗院 (1)
観乗院は応永20年(1413年)法印長慶の創建。創建当初は鎗崎にあったが、後に現在地(悪途)に移転しているそのため、山号を悪途山としている。

観乗院 (2)
観乗院 (3)
観乗院 (4)
石段を上るとプレハブ(失礼!)のような小さな本堂。

観乗院 (5)
観乗院 (6)
境内の小堂に人物像が納められていた。観乗院は真義真言宗なので、真言宗の祖・空海か、真言宗中興で真義真言宗の教学の元になった興教大師あたりかな。

観乗院 (7)
観乗院 (8)
境内の六地蔵は3体は修理済みのようだが、他の3体は未着手のようだ。

観乗院 (9)
境内の如意輪観音像。

観乗院 (10)
路傍の百番供養塔や庚申塔。百番供養塔は秩父・板東・西国・四国とあったので、百三十三番供養塔と言うべきか(こんな言い方があるかは知らないけど)。

ところで悪途って字名は、昔は碓氷川からの傾斜地で途(みち)が不便ってことにちなんでいるのだろうが、もちろん現在そんなことはない。まあ、坂道は多いけどね。

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安中市安中3丁目の旧安中町4号墳。

稲荷神社 & 安中4号墳 (1)
安中町4号墳は現状約30mの円墳。街中のためそれなりに削平されている。墳丘上には稲荷神社が鎮座している。社殿下の石垣は後世のもの。稲荷神社(社殿)を建立する際に補強したと思われる。

稲荷神社 & 安中4号墳 (2)
稲荷神社 & 安中4号墳 (3)
稲荷神社 & 安中4号墳 (4)
稲荷神社の社殿直下に横穴式石室が開口している。石室は全長約8m、羨道約3.5m、玄室長約4.5m、高さ約1.7mの両袖式で自然石乱石積み。

稲荷神社 & 安中4号墳 (5)
稲荷神社 & 安中4号墳 (6)
墳丘上の稲荷神社の由緒などは分からない。

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安中市安中2丁目の一心山清照寺。

清照寺 (1)
清照寺は寛永12年(1635年)僧・清照の開山で、浄土真宗の寺院として開創。その後、文化年間(1804~18年)まで長楽寺と称し真言宗になっていたが、文政元年(1818年)藤野浄照が再び浄土真宗に改宗・中興している。

清照寺 (2)
本堂などは天明2年(1782年)の火災で焼失。現在の本堂は大正14年(1925年)に再建。

清照寺 (3)
親鸞の像。浄土真宗の寺院であることを示している。

街中のお寺なので、境内は余り広くない。すぐ隣は旧安中高なので、開校時に寺域を提供しているのかもしれない。安中高は安中総合高の開校に伴い平成20年(2008年)に閉校している。現在は体育館のみ安中体育館として利用されている。

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安中市安中3丁目の碓氷山長徳寺。

長徳寺 (1)
長徳寺 (2)
長徳寺は正中年間(1324~26年)呑海上人の開創。呑海は遊行上人4世。遊行上人とは時宗の指導者に対する敬称。

長徳寺 (3)
山門前の青面金剛塔などの庚申塔。

長徳寺 (4)
本堂は明治39年(1906年)の安中谷津の大火で類焼・焼失。長期に渡り庫裡を兼用本堂としていたが、昭和35年(1960年)に再建している。

長徳寺 (5)
暦応3年(1340年)銘のある板碑。南無阿弥陀仏と彫られている。ちなみに、暦応は南北朝期の北朝の元号で、南朝は延元・興国。

長徳寺 (6)
踊躍念仏供養塔。安政2年(1856年)の造立。「踊躍」というくらいだから、念仏踊りを伴っていたのかな。

ところで、長徳寺には安中草三郎の妻・歌の胴体が葬られているともいわれる。これは噺と現実がごっちゃになっている面もあり、事実かは分からないのだが(噺中では正徳寺となっている)。歌は草三郎に首を切られて殺されてしまい、首は同じく安中の東光院に葬られている(とされる)。

関連
 「安中草三の碑
 「安中草三郎の妻・歌の墓? -東光院-

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安中市安中2丁目の常香山安楽寺。

安楽寺 (1)
安楽寺 (2)
安楽寺は長禄2年(1458年)尋海の開山。正保2年(1646年)に常木から当地に移転している。常木にあったので常香山と称している。

安楽寺 (3)
文化年間(1804~18年)に火災により焼失。古記録などを失っている。こじんまりした本堂はまだ新しそうだが、建立年などは分からない。

安楽寺 (4)
境内の六地蔵。

安楽寺は旧中山道に面しているが、南側は碓氷川に向かっての河岸段丘のような感じになっており、墓地などは傾斜地を階段状に整備している。

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安中市岩井の多層塔。

岩井の多層塔
岩井の多層塔は、昭和19年(1944年)岩井西の平古墳より出土。形状などから造立は鎌倉時代と推定される。

案内板には「安中市にただ一基だけの貴重な塔」ってあったけど、安中市には他にそれなりの時代の宝塔の類い(五輪塔など)は残ってないの?

岩井大河原の庭園にて保存されていたが、平成14年(2002年)に現在地(岩野谷公民館)に移転されている。ちょっと駐車場の隅で、余り良い場所ではないかな。

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安中市岩井の医王山昌井寺。

昌井寺 (1)
昌井寺は慶長6年(1601年)僧・快秀が一庵を建立したのが始まりと伝わる。寛文3年(1663年)に僧・清存を開山に招き、岩井村の中島理左衛門が開基となり昌井寺として創建。

昌井寺 (2)
門前の馬頭観音。

昌井寺 (4)
明治39年(1906年)に堂宇を焼失、現在の本堂は大正11年(1922年)の建立。焼失前には観音堂、薬師堂、不動堂があったとされる。

昌井寺 (5)
歴代住職の墓(と思われる)には五輪塔が並ぶ。

昌井寺 (6)
法印会慶の供養塔。天保3年(1833年)に入寂とあったが、特別に供養塔が建っていることから、中興などの扱いなのかな。

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館林市、大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町

館林市
源義経が休んだ塚 -千塚の判官塚-
生祠 秋元宮 -館林市・永明寺-
足腰の神様 -子神社-
徳川家康ゆかりの寺? -普済寺-
秋元春朝像 -秋元別邸 その2-
榊原康政の守護仏・十一面観音 -遍照寺-
ペッタンコ祭 -富士嶽神社-
新田義重の勧請 -足次赤城神社-
館林市・日向義民地蔵
繁栄の松 -旧大了庵跡-
大谷休泊の墓
館林市高根町・大山祇神社
原田種政の墓? -龍興寺-
館林市・外池商店
館林市・旧二業見番組合事務所
分福酒造店舗 -毛塚記念館-
青龍の井戸 -青龍神社-
城沼の竜神伝説 -竜の井-
浮世絵師・北尾重光の墓 -覚応寺-
徳川四天王・榊原康政の墓 再訪 -善導寺-
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓 -善長寺 その2-
戸泉鋼作の墓 -大道寺 その2-
生田萬父祖の墓 -大道寺-
日本四社 青梅天満宮
英霊を祀る -邑楽護国神社-
館林の総鎮守 -長良神社-
不動まんだら板碑 -五宝寺-
青色地蔵板碑 -愛宕神社-
館林城の鐘 -応声寺-
関東88ヶ所霊場第14番霊場 -観性寺-
田山花袋の姉の墓 -常光寺-
田中正造の墓 -雲龍寺-
楠木正成の首塚? -楠木神社-
向井千秋記念 子ども科学館
きつねの尾曳伝説 その2 -尾曳稲荷神社-
徳川四天王・榊原康政の墓 -善導寺-
「お辻」の供養塔 -善長寺-
館林市・山王山古墳
つつじが岡第2公園 その2 -館林城出土墓石群-
つつじが岡第2公園 -旧秋元別邸-
明治の擬洋風建造物 -旧上毛モスリン事務所-
きつねの尾曳伝説 -館林城址-
館林市第1資料館
旧館林藩の武家屋敷 -武鷹館-
白鳥の舞 -多々良沼-


大泉町
大泉町東小泉・厳島神社
富岡秀親室・知月院の開創 ー勢光寺ー
大泉町東小泉・羽黒山梅梢寺
大泉町上小泉・夜盗の墓
大泉町北小泉・雷電神社
大泉町西小泉・小泉大神宮
大泉町西小泉・天照山正善院
大泉町中央・瑠璃山常光寺
大泉町中央・西宮神社
ぺたんこ祭り ー鹿島浅間神社ー
大泉町城之内・社日稲荷神社
大泉町最古の寺院 ー小泉山成就院ー
富岡秀高室・妙智尼の開創 ー赤城山正眼寺ー
小泉城の守護神 ー城之内八幡宮ー
平将門の供養塔 ー蚕福山神宮ー
大泉町坂田・長良神社
大泉町吉田・榛名神社
中風除けの神様 ー青麻神社ー
大泉町吉田・長良神社
南朝の忠臣・児島高徳を祀る ー児島神社ー
大泉町古海・長良神社
大泉町仙石・神明山専光寺
大泉町仙石・太神宮
富岡秀光の開基 ー湧泉山願成寺ー
大泉町古氷・長良神社
大泉町寄木戸・源中稲荷神社
ぽっくり不動 ー寄木戸不動尊ー
イボ取り庚申 ー寄木戸庚申堂ー
楠木正行の妻・加富貴御前の開基 ー宝寿院ー
大泉町寄木戸・長良神社
大泉町・城之内の百庚申
同向式画文帯神獣鏡 -古海原前1号古墳-
伝・児島高徳の墓 -高徳寺-
民俗資料館 -大泉町文化むら その3-
埋蔵文化財常設展示室 -大泉町文化むら その2-
裕福な自治体はいいね -大泉町文化むら-
富岡氏の菩提寺 -龍泉院-
大泉町・城之内古墳
西邑楽の総社 -小泉神社-
富岡氏の居城 -小泉城址-


板倉町
秘仏・除川観音 -花蔵院-
雲切不動尊 -長徳寺-
板倉町上五箇・普光寺
板倉町大高嶋・清浄院
上州板倉 智恵付け天神 -高鳥天満宮-
板倉町最大の前方後円墳 -筑波山古墳-
北関東の三大地蔵 -地蔵院-
岩田観音・千手観音像 -板倉町・円満寺-
光明真言金亀宝篋印塔 -安勝寺-
豊作なでなで河童 -実相寺-
親鸞と性信の古蹟 -宝福寺-
群馬県内最古の十王十仏板碑 -淨蓮院-


邑楽町
邑楽町赤堀・観音山明王院
邑楽町赤堀・天満宮 & 久五郎神社
分福茶釜伝説 ー薬王山高源寺ー
邑楽町狸塚・長良神社
邑楽町光善寺・神明宮
邑楽町鶉・長良神社
邑楽町藤川・月久山高正寺
邑楽町秋妻・Bー29墜落地点
Bー29墜落搭乗員の埋葬地 ー光林寺ー
玉取姫伝説が由来? ー玉取神社ー
邑楽町藤川・四祀開神社
細谷秀国の勧請 ー籠宮稲荷神社ー
細谷秀国の墓所 ー五位堂ー
邑楽町篠塚・大国神社
邑楽町篠塚・龍谷山正泉寺
邑楽郡の一宮 ー篠塚長柄神社ー
中野景継の勧請 ー前原浅間神社ー
邑楽町中野・蛭沼薬師堂
邑楽町中野・愛宕神社
邑楽町中野・長良神社
邑楽町中野・谷中観音
B-29・グラマン搭乗員の慰霊碑 -清岩寺-
永明寺のキンモクセイ -永明寺-
北条泰家の創建? -恩林寺-
志士之碑(竹岸武兵衛の顕彰碑) -神光寺-
石打こぶ観音 -明言寺-
山門の閻王殿 -慶徳寺-
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の菩提寺 -邑楽町・大信寺-
多々良沼の岬に鎮座 -浮島弁財天-
邑楽町のシンボルタワー -未来MiRAi-
白鳥の舞 -多々良沼-


千代田町
千代田町瀬戸井・怛落山宝生寺
千代田町福島・大福山金剛寺
千代田町下中森・長良神社
岡戸畊榮の墓と行人塚 ー宝珠寺ー
千代田町上中森・八幡宮
3世・4世紫峰庵夫雪の墓 ー長性寺ー
千代田町萱野・白山神社
千代田町萱野・瀧澤山洞源寺
千代田町鍋谷・稲荷神社
千代田町鍋谷・医王山医王寺
藤原秀郷が戦勝祈願 ー舞木長良神社ー
千代田町舞木・中島将監屋敷跡
千代田町舞木・中島神社
邑楽郡長良神社の本宮 -瀬戸井長良神社-
亀田三先生の筆跡 -上五箇愛宕神社-
初代・紫峰庵夫雪の墓 -授楽寺-
建武の板碑 -大林寺-
藤原秀郷生誕地の碑 -舞木城址-
千代田町・弘安の板碑
玉眼嵌入彩色仁王像 -医王山東光寺-
元応の板碑 -舞木円福寺-
田山花袋の歌碑 -赤岩八幡神社-
行基の開創 -米頂山安楽寺-
荻野吟子の生家の長屋門 -光恩寺 その2-
関東屈指の古刹 -光恩寺-
徳川綱吉ゆかりの梵鐘 -寶林寺-


明和町
館林騒動・三義人の供養碑 -教学院-

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邑楽郡大泉町東小泉の厳島神社。

東小泉厳島神社 (1)
東小泉厳島神社は、天正7年(1579年)に勢光寺開山の了海が弁天尊を勢光寺内のお堂に安置したのが始まり(当時は弁天堂と呼ばれた)。本尊の弁天象は弘法大師の作とされる。その後、寛永7年(1630年)勢光寺3世・了信が現在地に竹堂を建て勢光寺から遷している。

明治初年に勢光寺から分かれ厳島神社となり、明治41年(1908年)に菅原神社と合併。その菅原神社も明治45年(1912年)長良神社と合併、小泉神社となっている。

しかし地元の方々は、従来通り弁天尊を福徳・智慧・財宝の神として信仰し、毎年例祭も行っているという。

東小泉厳島神社 (2)
東小泉厳島神社 (3)
東小泉厳島神社 (4)
堂内には小さなお社に鏡が置かれている。鏡がご神体になっているのかな。右側には弁天像もある(こちらがご神体かな)。まだ新しそうだ。

東小泉厳島神社 (5)
境内の弁天像。平成17年(2005年)の造立。弘法大師作といわれる弁天像はいつしかなくなり、人々は虚しくお参りすることになったので、代わりに建立されたようだ。同内の弁天像も同時期の造立かも。

東小泉厳島神社 (6)
境内入口の道祖神。文化8年(1811年)の造立。

弁天さまは元々仏教の守護神である天部だが、神仏習合で神道にも取り込まれている。ここがオレのような素人には分かりづらいところ。この厳島神社のように祀られているところも多い。しかし一方で仏さまとしてお寺に安置されているケースも多い。

明治の神仏分離時に神道色の強かった弁天堂(社)の多くは神社となったらしいので、ここもそうなんだろうとしか言えない。

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邑楽郡大泉町東小泉の普照山勢光寺。

勢光寺 (1)
勢光寺は天正7年(1579年)小泉城主・富岡秀親(富岡氏4代)の室・知月院が、僧・了海を招き清光寺を創建。亡夫の菩提を弔った。寛文12年(1672年)京都・知恩院の末寺になった際、勢光寺と改称している。

勢光寺 (2)
勢光寺 (3)
山門には天井絵が施されている。

勢光寺 (4)
勢光寺 (5)
門前の石仏群。お地蔵さんは延宝4年(1676年)の銘があった。

勢光寺 (6)
本堂は文化10年(1813年)に焼失。その後、庫裡を兼用の仮本堂としてきたが、本堂、庫裡とも新築されたようだ。

勢光寺 (7)
勢光寺 (8)
勢光寺 (9)
聖徳太子の線刻碑。大正10年(1921年)の建碑。聖徳太子の1300年忌とあったと思う。

勢光寺 (10)
庚申供養塔と青面金剛像など。宝永(1704~11年)、享保(1716~36年)の銘があった。

勢光寺 (11)
勢光寺 (12)
鐘楼と梵鐘。勢光寺の梵鐘は先の大戦時に供出されて以来無かったが、平成31年(2019年)に檀徒の方により鐘楼と共に寄進されている。

勢光寺 (13)
明治6年(1873年)に現在の大泉北小(当時は求道館)が勢光寺に開校した旨の記念プレートがあった。

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邑楽郡大泉町東小泉の羽黒山梅梢寺。

梅梢寺 (1)
梅梢寺は元禄8年(1565年)龍泉院2世・芳庵正東が梅梢庵として開創したのが始まり。境内に梅の木が多かったので、この名称になったとされる。

梅梢寺 (2)
寺標前の地蔵像と馬頭観音石碑。

梅梢寺 (3)
本堂は昭和51年(1976年)の建立。本堂前の灯籠は昭和60年(1985年)の奉納。

梅梢寺 (4)
境内の招福観音像。平成10年(1998年)の造立。

梅梢寺 (5)
墓地入口の六地蔵。

梅梢寺の北に羽黒権現があり、当地が羽黒と呼ばれていたので羽黒山の山号になった。なお、羽黒権現は富岡氏家臣・茂木若狭が天文15年(1546年)に勧請したといわれるが、現在はその社は不明となっている。

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