Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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前橋市粕川町月田の近戸神社外宮。

月田近戸神社外宮 (1)
月田近戸神社外宮 (2)
月田近戸神社の例大祭の最後に行われる「御川降り」時に、神輿が渡御する外宮(別宮)の鳥居。鳥居が建っている場所は粕川親水公園内なのかな。

月田近戸神社外宮 (3)
粕川にかかる「ささら橋」。粕川の向こう岸に外宮が鎮座する。

月田近戸神社外宮 (4)
橋脚には「月田のささら」と呼ばれる獅子舞が描かれている。

月田近戸神社外宮 (5)
訪問日は「ささら橋」は通行止めになっていた。たまたま何かの都合なのか、例大祭以外は渡れないのかは不明。

月田近戸神社外宮 (6)
月田近戸神社の外宮(石宮)。

近戸神社で祭典を行った後、「道中」を舞う獅子に導かれて神輿が渡御し、神輿はこの石宮の祭壇に据えられる。そして、この前で祭典を行い獅子舞を奉納する。獅子舞奉納後、神前に供えた濁酒を石宮の西を流れる小川(元粕川)に流し、外宮での祭典は終了となる。

濁酒を川に流す神事は建治2年(1276年)に始まったといわれる。また獅子舞は永享5年(1433年)に奉納された記録が残る。

月田近戸神社外宮 (7)
月田近戸神社外宮 (8)
月田近戸神社外宮 (9)
渡御してきた神輿を据える御旅所。平成12年(2000年)の建立。

月田近戸神社外宮 (10)
境内にはいくつかの石宮がある。詳細は分からない。

関連
 「粕川の由来 -月田近戸神社-

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前橋市粕川町月田の医王山東寿寺。

東寿寺 (1)
東寿寺の由緒は不詳だが、山上(現桐生市新里町山上)の芝に開創されたと伝わる。その後、天正年間(1573~93年)に田面(現粕川町西田面)に移転、享保20年(1735年)に現在地へ再移転している。

東寿寺 (2)
東寿寺 (3)
門前の六地蔵や宝塔など。

東寿寺 (4)
東寿寺 (5)
本堂には本尊の薬師如来を祀る。伝教大師(最澄)持仏の薬師仏を本尊にしたとの伝承が残っている。この薬師仏は現在の本尊の胎内仏として残されている(らしい)。

東寿寺 (6)
野口雨情の碑。平成27年(2015年)の建碑。

野口雨情は大正14年(1925年)に夏季児童学園の講師として来村、東寿寺に滞在している。その際、いくつもの作品を短冊に残している。その時の「東寿寺の庭に 鶏頭が咲いた お盆が来るぞ」「月田の観音さま 山車出した 東寿寺の庭は 大さわぎ」「とんぼなんにゆく富士の宮さして いろは習いに 月田校へ」の3作品を刻む。

雨情は粕川町室沢の八雲神社では「八雲ののんのさま気が荒い 室沢の若衆にゃ手を出すな」と詠んでいる。(「八雲の「のんのさま」 -八雲神社-」参照)

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前橋市粕川町女渕の赤城山龍光寺。

龍光寺 (1)
龍光寺は天正10年(1582年)天室伊尭の開山、新井刑部右衛門の開基と伝わる。開基の新井刑部右衛門のことは良く分からないが、女渕城(当時は北条氏の支配)在城の武士と思われる。

龍光寺のあたりは女渕城の最南端にあたり、龍光寺曲輪と呼ばれている。
(「おなぶち城址公園 -女渕城址-」参照)

龍光寺 (2)
参道の六地蔵は平成23年(2011年)の造立。

龍光寺 (3)
本堂は18世紀前半(1700~50年)ころの建立とされるが、資料的な裏付けはないようだ。

龍光寺 (4)
境内の延命観音。

龍光寺 (5)
龍光寺 (6)
鐘楼と梵鐘。

豊川稲荷 (1)
豊川稲荷 (2)
本堂裏(厳密には境外になるのかな)に豊川稲荷を祀る。開山の天室伊尭が三河国豊川妙厳寺の出身のため。

豊川稲荷 (3)
豊川稲荷 (4)
豊川稲荷 (5)
鬱蒼とした木々に囲まれた中にお堂がある。

豊川稲荷 (6)
豊川稲荷 (7)
お狐像の台座には昭和3年(1928年)と書かれていたが、像自体はもっと新しそうだ。お堂脇に摩耗したお狐像があったので、こちらが昭和3年製の像なのかもしれない。

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前橋市粕川町女渕の大悲山千手院興隆寺。

千手院 (1)
千手院は建長5年(1253年)僧・光瑩の開創と伝わる。

千手院 (2)
千手院 (3)
参道の百萬遍供養や石仏など。

千手院 (4)
本堂は寛延元年(1748年)の建立。内陣の欄間彫刻は享和3年(1803年)製。本尊の千手観音像には天正18年(1590年)祐春の記銘がある。現在地への移転や本堂を建立した年などでは、と考えられている。

千手院 (5)
本堂前の弘法大師像。若かりし空海が諸国巡礼や修行をした姿だという。

千手院 (6)
薬師堂跡という碑があった。昭和46年(1971年)まで薬師堂があったらしい。

千手院 (7)
千手院 (8)
宝塔や石塔類。

千手院では毎年花祭り(4月)に合わせ落語会を行っている。群馬県出身の若手落語家が落語を披露している。昨年(2020年)からコロナ禍で中止となっている。

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前橋市粕川町深津の近戸神社。

深津近戸神社 (1)
深津近戸神社の由緒は不詳だが、口碑では「往古、坂田大跨の勧請せし古社なり」といわれる。坂田大跨(おおまた)は継体天皇の妃・広媛の父。年代的には西暦500年ころの人物。上野国との関わりはまったく分からない。

別説では、聖武天皇の時代(在位724~49年)に上野守・小野綱手が城の鎮守として祀ったという。

深津近戸神社 (2)
深津近戸神社 (3)
鳥居が黄色。あまり見ないように思う。陰陽五行(黄色は土、中央を意味する色)の影響などの説もあるが、よく分からない。

深津近戸神社 (4)
社殿前の狛犬は昭和2年(1927年)の奉納。

深津近戸神社 (5)
深津近戸神社 (6)
深津近戸神社 (7)
社殿は大正13年(1924年)の建立。拝殿扁額の揮毫は陸軍大将・菱刈隆。昭和初期の掲額かな。ちなみに、日本最初の陸軍大将は西郷隆盛。

深津近戸神社 (8)
境内の大庚申塔。天明8年(1788年)の造立。

深津近戸神社 (9)
社殿裏の境内社・末社群。

赤城神社の御神幸(御輿渡御:二宮赤城神社から三夜沢赤城神社まで)の経由地は大胡神社(旧近戸神社)となっているが、古くは粕川上流の元宮への御神幸となっていた。その際の経由地は月田近戸神社と深津近戸神社だったとされる。
(月田近戸神社は「粕川の由来 -月田近戸神社-」参照)

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前橋市粕川町深津の八坂神社。

深津八坂神社 (1)
深津八坂神社 (2)
深津八坂神社の由緒は不詳。古来より当地を治めていた深津氏(深巣氏、深栖氏)累代の崇敬社とされる。

深津八坂神社 (3)
鳥居前には天照皇太神碑(右)と神代文字神号碑。

深津八坂神社 (4)
参道両側には杉の大木が林立している。

深津八坂神社 (5)
深津八坂神社 (6)
深津八坂神社 (7)
深津八坂神社 (8)
社殿は大正7年(1918年)の建立。改修は適宜行われているようだ。扁額は「進雄尊社」。

深津八坂神社 (9)
社殿裏の境内社・末社群。熊野社、石尊宮、摩利支天宮、秋葉社など。

深津(深巣、深栖)氏についてはよく分からないが、源頼光流・清和源氏の一族ともいわれる。保元・平治物語の源義朝の軍勢に深巣七郎清國、吾妻鏡には深栖兵庫介、鎌倉武鑑には深栖光重・頼重の名が見える。また、戦国期には武蔵国岩槻城主・太田資正の配下に深津刑部少輔が確認できる。

深栖頼重は源義経が鞍馬山から奥州に脱出する際に道案内をした人物として記録されている。もちろん、真偽のほどは不明。

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前橋市粕川町深津の阿弥陀山西福寺。

西福寺 (1)
西福寺は永禄年間(1558~70年)に阿弥陀山長福寺として開創。天正6年(1578年)良伝の中興開山とされる。開創から中興まであまり年数がないが、その詳細は不明。享保6年(1721年)西福寺へ改称。

西福寺 (2)
西福寺 (3)
本堂は平成24年(2012年)の新築建立。

西福寺 (4)
本堂前には「両界曼荼羅庭園」と名付けられた庭園がある。向かって右が「胎蔵曼荼羅」(写真)で、左が「金剛界曼荼羅」を表わしているようだ。

西福寺 (5)
旧本堂に乗っていたと思われる瓦。

西福寺 (6)
仏足石。平成9年(1997年)の奉納。

西福寺 (7)
西福寺 (8)
不動明王像は平成26年(2014年)の造立、六地蔵は平成13年(2001年)の造立。いずれも新型コロナの時世、マスク姿になっている。

西福寺 (9)
境内の一角には観音像が並んでいる。安永(1772~81年)、寛政(1789~1801年)、文政(1818~31年)の銘が読み取れた。昔は観音巡礼(西国・坂東・秩父など)として、百体あったのではないかな。

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前橋市滝窪町の開姫神社。
前回の八柱神社の境内社である。(八柱神社は「前橋市滝窪町・八柱神社」参照)

開姫神社 (1)
開姫神社 (2)
開姫神社は明治7年(1874年)の創建。村の青年たちが赤城山に登る際、珍しい形の石を見つけた。持ち帰り寺沢川のほとりに祀ったのが始まり(後に現在地に遷座)。

先の大戦時、邪教撲滅運動の流れで石は穴を掘って埋められた。その後、人が馬に蹴られ亡くなるなどの災いが起こったため掘り出すことにした。しかし、石はいつ誰が出したということなく外に出ていたといわれる。

開姫神社 (3)
開姫は貝姫とも書くようだ。ご神体には赤い布がかけてあるが、その形はだいたい想像がつく(笑)。女性の下の病にご利益があるとされる。

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前橋市滝窪町の八柱神社。

八柱神社 (1)
八柱神社 (2)
八柱神社 (3)
八柱神社の由緒は不詳。天照大神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神をご祭神としていることから八柱神社。

ちなみにご祭神の八神は、多紀理毘賣命・狭依毘賣命・多岐都毘賣命・天之忍穂耳之命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・天之穂日命。

八柱神社 (4)
八柱神社 (5)
社殿の建立年などは不詳。

八柱神社 (6)
八柱神社 (7)
境内社・末社群。猿田彦神、秋葉社、十二山神など。どれかは忘れてしまったが、石宮のひとつには寛政(1789~1801年)の銘が読み取れた。

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前橋市河原浜町の柊(ひいらぎ)薬師。
前回の応昌寺の境外仏堂となる。(応昌寺は「前橋市河原浜町・慈恵山応昌寺」参照)

柊薬師 (1)
柊薬師 (2)
慈恵大師(元三大師)が当地への巡錫のおり、この地に柊の大木が繁茂しているのを見て霊地・霊場とせんと薬師如来の尊像を刻し安置したのが始まりとされる。

お堂は昭和55年(1980年)に改築されている。

柊薬師 (3)
柊薬師 (4)
中には手前に新しい薬師如来坐像と、後ろ(棚の上)に日光・月光を従えた薬師如来像がある。後ろのものは安山岩製の舟形(上部が破損)で、薬師如来など三尊が半肉刻されている。造立年代は不明。

現在、どちらが本尊扱いになっているのかな分からない。

柊薬師 (5)
柊薬師 (6)
「樹齢300年ほどの柊の古木がある」とのことだが、よく分からなった。一般にイメージする柊はトゲがある葉だが、お堂の周り木々を見る限りトゲは見当たらなかった(ように見えた)。樹齢を重ねていくとトゲが減ってくるといわれるので、そうなのかな。

調べたら葉にトゲのない丸葉柊というのがあるらしいが、園芸用の品種とあったので違うと思うし・・・。

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上州まったり紀行の中から「お墓・供養塔」に関するものをリスト化したもの。一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)
大室太郎の墓(観昌寺)
岩佐直治中佐の墓(松竹院)
前橋藩酒井家家老・高須隼人の墓(正幸寺)
平敦盛の供養塔(泉蔵寺)
石田玄圭の墓
静御前のお墓?
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓(大蓮寺)
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓(宝禅寺)
中臣羽鳥連の墓(釈迦尊寺)
名馬・磨墨の墓(祝昌寺)
酒井忠世家臣・本城氏の墓(長昌寺)
初代前橋市長・下村善太郎の墓(龍海院)
剣聖・上泉信綱の墓(西林寺)
石川氏の墓(最善寺)
常盤御前のお墓?(極楽寺)
静御前のお墓?(養行寺)
萩原朔太郎のお墓(政淳寺)
淀君のお墓?(元景寺)
秋元氏歴代の墓所
德川譜代・酒井家累代の墓(龍海院)


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)
香川昇三・綾夫妻の墓(応昌寺)
大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓(長興寺)
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓(長興寺)
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓(金剛寺)
北爪将監の供養塔(赤城寺)
梶原景時父子の墓?(珊瑚寺)
牧野家の菩提寺(養林寺)
大胡太郎(藤原重俊)の墓(長善寺)
大前田英五郎の墓
船津傳次平の墓


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)
金井烏洲と一族の墓
国定忠治の墓 その2(善応寺)
俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓(常清寺)
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓(泉龍寺)
那波宗広の墓(泉龍寺)
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓(龍昌院)
跡部氏累代の墓(紅厳寺跡)
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓(天人寺)
村上随憲の墓(長光寺)   
那波教元の墓?(富塚円福寺)
駒井政直・親直の墓(宝幢院)
駒井氏累代の墓(竹芳寺)
斎藤宜義の墓(宝蔵寺)
小畠武堯の墓(善応寺)
伊勢崎藩家老・関當義・重嶷父子の墓(同聚院)
那波小太郎・小次郎の墓(天増寺)
稲垣氏累代の墓(天増寺)
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔(宝珠寺)
国定忠治の墓(養寿寺)


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)
男性助産師・石田伍助の供養塔
白井長尾氏累代の墓(空恵寺)
角田無幻道人の遺髪塚
絵師・根本常南の墓
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓(遍照寺)
吉田芝渓の墓
伝・桃井直常の墓 その2(金剛寺跡)
伝・桃井直常の墓
新田一門・大島氏の墓
永岡形部左衛門の墓(興禅寺)
三原田城主・永井氏累代の墓(興禅寺)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(雙林寺)
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔?(金蔵寺)
本多廣孝の墓(源空寺)
木暮足翁の墓(真光寺)


高崎市(旧郡部を除く)
新田義重の墓?(永福寺)
熊の墓(妙音寺)
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓(大森院)
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓(普門寺)
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓(大雲寺)
稲川政右衛門の墓(常安寺)
根津政直の墓(常安寺)
お染の墓(木部町安楽寺)
木部範虎の墓(心洞寺)
木部白満の墓(光台寺)
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓(岩鼻町観音寺)
内村鑑三家の墓(若松町光明寺)
飯盛り女の墓(九品寺)
江原源衛左門重久の墓(慈眼寺)
井上保三郎の墓(荘厳寺)
長野氏累代の墓 その2(来迎寺)
徳川忠長の墓(大信寺)
元ロシア人兵士の墓(龍廣寺)
村上鬼城の墓(龍廣寺)
倉賀野城主・金井秀景の墓(永泉寺)


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)
斎藤利安の墓(弘福寺)
高崎藩絵師・応処斎渕臨の墓
義民・白田六右衛門の墓(龍源寺)
井伊直勝の側室の墓(仁叟寺)
地頭・長谷川氏の墓/地頭・溝口豊前守勝信の墓(仁叟寺)
奧平貞訓の墓(仁叟寺)
吉井藩代官・橳島家3代の墓(法林寺)
菅沼定利の墓(玄太寺)
義民・三木市右衛門の墓
竹本百合太夫の墓
竹本土佐太夫の墓
長野業盛夫人・藤鶴姫の墓
長谷川勘蔵の墓(光心寺)
榛名山座主・快尊、忠尊、快承の墓
長野業正の長男・吉業の墓(善龍寺)
由良国繁の墓?(金龍寺)
木部姫の供養塔(御沼オカミ神社)
織田信長、細川興秋の供養塔(弥勒寺)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓(浄泉寺)
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓(宝勝寺)
福田赳夫元首相の墓(徳昌寺)
小串氏の墓所(地勝寺)
井伊直政の継父・松下源太郎の墓(龍門寺)
内藤昌豊・昌月父子の墓(善龍寺)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓(長純寺)
長野氏累代の墓(長年寺)
小栗上野介の墓(東善寺)


安中市
安中藩士・関島成章の墓(慈恩寺)
中山道坂本宿 下の本陣・金井家の墓(青松寺)
金井忠兵衛の墓
安中忠政の墓(全性寺)
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓(龍昌寺)
新島襄の祖父と弟の墓(妙光院)
安中草三郎の妻・歌の墓?(東光院)
安中忠親の墓(桂昌寺)
安中忠清の墓(久昌寺)
下曽根氏累代の墓(信照寺)
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓?(常楽寺)
碓氷定光の供養塔(金剛寺)
依田政知と後閑信純の墓(長源寺)
磯貝雲峰の墓(自性寺)
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓(実相寺)
大道寺政繁の墓(補陀寺)
簗瀬八幡平の首塚
太山融斉と柏木義圓の墓(西廣寺)
妖怪・チャンコロリンの墓(大泉寺)
小野栄重の墓(南窓寺)
井伊直政正室・唐梅院の墓(大泉寺)
伝佐々木盛綱夫妻の墓(松岸寺)
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓(松岸寺)


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)
下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓(興巌寺)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓(宝勝寺)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓(金剛院)
橋本暮村の墓(伝宗寺)
高田大和守憲頼の墓(陽雲寺)
伝・庭屋氏累代の墓
七日市藩主・前田家御宝塔
富岡製紙工女の墓 その2(海源寺)
高橋道斎の墓(常住寺)
お菊の墓 その2
前田利家側室・明運尼の墓(永心寺)
長岡家歴代党首のの墓
お菊の墓(宝積寺)
小幡氏歴代の墓(宝積寺)
七日市藩歴代藩主の墓(長学寺)
富岡製紙工女の墓(龍光寺)
織田信雄の墓


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)
小林出羽守政忠の墓(泉通寺)
義民・馬之助の墓(興春寺)
僧・実相の墓(光源院)
伝足利義輝の孫・木喰覚海上人の墓(光源院)
高山社2代目社長・町田菊次郎の墓(龍田寺)
芦田康勝の室・了源院の墓(天龍寺)
長谷川長源夫妻の墓(祖師堂)
道忠禅師の供養塔(浄法寺)
木地師の墓 その2(泉龍寺)
木地師の墓(宝蔵寺)
長谷川勘蔵の墓(光心寺)
土屋山城守高久の墓
松井宗直の墓 その2(光徳寺)
松井宗直の墓(源性寺)
高山遠江守重栄の墓(興禅院)
高山長五郎の墓(興禅院)
山内上杉氏累代の墓(円満寺)
菊川英山の墓(成道寺)
算聖・関孝和の墓(光徳寺)
芦田氏累代の墓(光徳寺)
長井正實の墓、依田信守・信政の墓(天陽寺)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)
勾当内侍の墓(太田市・大圓寺)
新田義興の供養塔(太田・東光寺)
矢場氏累代の墓(恵林寺)
新田義忠の墓?(浄光寺)
新田義興の墓?(威光寺)
新田氏累代の墓(円福寺)
新田義貞の供養塔(金龍寺)
呑龍上人の墓・新田義重の墓(大光院)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)
石田三成の娘・辰姫の墓(東楊寺)
初代古河公方・足利成氏の墓(東雲寺)
岩松守純・豊純父子の供養塔(長楽寺)
栄朝禅師の無縫塔(長楽寺)
世良田義季の墓?(長楽寺)
長楽寺5世・月船琛海の墓所(普光庵跡)
「日本の飛行機王」中島知久平の墓(徳性寺)
横瀬泰繁の墓?(龍得寺)
毛呂権蔵の墓(太田・普門寺)
長慶天皇の陵墓?(長慶寺)
伝・藪塚氏の墓
津軽藩代官・足立氏の墓(東楊寺)
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚(花見塚公園)
悪源太義平の墓?(清泉寺)
岩松尚純夫妻の墓(尚純萩公園)
源義国の墓所?(義国神社)
伝・新田義重夫妻の墓
世良田義季累代の墓(長楽寺)


桐生市
大関・秀ノ山(9代横綱)の墓(定善寺)
高山彦九郎の長男・儀助の墓(定善寺)
楳本法神の墓(桐生市黒保根町・医光寺)
小田原の機利者・山上郷右衛門の供養塔(常廣寺)
桐生市名誉市民・森喜作氏の墓(大蔵院)
由良氏四天王・高橋英元の墓(祥雲寺)
下村昌伯の墓(龍泉院)
細川内膳の墓(文昌寺)
桐生氏累代の墓(西方寺)
由良成繁の墓(鳳仙寺)
彦部家の墓所(福厳寺)
伝・新田義貞の首塚(善昌寺)


みどり市
名誉県民・長谷川四郎元衆議院の墓(世音寺)
岡登景能の墓(国瑞寺)
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)
大泉町上小泉・夜盗の墓
平将門の供養塔(蚕福山神宮)
富岡氏末裔・野村孫兵衛と累代の墓(宝寿院)
岡戸畊榮の墓(宝珠寺)
3世・紫峰庵夫雪、4世・紫峰庵夫雪の墓(長性寺)
奇人・秋妻十兵衛の墓(光林寺)
細谷秀国の墓所(五位堂)
初代・紫峰庵夫雪の墓(授楽寺)
大谷休泊の墓
原田種政の墓?(龍興寺)
館林騒動・三義人の供養碑(教学院)
浮世絵師・北尾重光の墓(覚応寺)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓(善長寺)
戸泉鋼作の墓(大道寺)
生田萬父祖の墓(大道寺)
田山花袋の姉の墓(常光寺)
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の墓(大信寺)
千代田町長・大谷典三氏の墓(舞木円福寺)
赤井照光の墓(光恩寺)
伝・児島高徳の墓(高徳寺)
富岡秀信の供養塔(龍泉院)
田中正造の墓(雲龍寺)
楠木正成の首塚?(楠木神社)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
「お辻」の供養塔(善長寺)


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)
加沢平次左衛門の墓
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓(海野塚)
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2(天桂寺)
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔(如意寺)
土岐家旧藩主の墓石(東禅寺)
発智為時の墓(東光禅寺)
薄幸の女流歌人・江口きちの墓(桂昌寺)
伝・真田信利の墓(弥勒寺)
名胡桃城代・鈴木重則の墓?(正覚寺)
真田信政三男・信武の墓(成孝院)
真田信政二男・信守の墓(舒林寺)
沼田平八郎景義の墓(沼田大明神)
真田信政側室・浜松の局の墓(東源寺)
加藤清正の孫・藤枝正良の墓(妙光寺)
真田信吉側室・慶寿院の墓(妙光寺)
真田信吉の墓(天桂寺)
真田信之正室・小松姫の墓(正覚寺)
新田義宗の墓?(雲谷寺)


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)
僧・空閑の墓
富豪・加部家の墓(大運寺)
吾妻太郎行盛の墓(長福寺)
小渕恵三元首相の墓(林昌寺)
平九の墓(皇大神宮)

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前橋市河原浜町の慈恵山応昌寺。

応昌寺 (1)
応昌寺は天延3年(975年)慈恵大師が関東巡錫のおり当地に滞在し一宇を建立、千手観音を本尊として創建したと伝わる。観音像は大師の自刻で、悪疫を消除せんと誓願を立てたとされる。慈恵大師は第18代天台座主で、一般には通称である元三大師の名で知られる。

応昌寺 (2)
応昌寺 (3)
本堂は昭和42年(1967年)の建立。平成11年(1999年)に屋根の葺替えを行っている。柱に付けられている標板には「元三大師」の名と共に「御祈祷所」の文字も。元三大師が悪疫を払うよう誓願した由来通りである。

応昌寺 (4)
境内の六地蔵。

応昌寺 (5)
墓地には香川昇三・綾夫妻の墓がある。綾は香川栄養学園(女子栄養大学などを運営)の創始者。医学博士で計量カップ・計量スプーンを考案するなど、現代栄養学の基礎を築いた「栄養学の母」ともいえる女性。

先の大戦中に学園は東京駒込から旧大胡町に疎開しており、不幸にも昇三が大胡で亡くなったため応昌寺に墓所がある。

以前に紹介した前橋市粕川町女渕の聖観音堂は、応昌寺の境外仏堂である。応昌寺が聖観音堂があった多福寺を昭和43年(1968年)に合併したため。
(「行基作? 秘仏・木造十一面観音立像 -聖観音堂ー」参照)

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前橋市大胡町の一法山勝念寺。

勝念寺 (1)
勝念寺は文禄3年(1595年)僧・行心の開山。その際、信徒有志の寄進により一宇を建立している。信徒が開基となり創建したとも言える。ただ、数度の火災に遭い古記録を失い詳細は不詳。

勝念寺 (2)
勝念寺 (3)
庚申塔など。甲子大黒天の石塔もある。甲子(きのえ)の夜に大黒天を祀り、甲子待と称して来福を願うもの。

勝念寺 (4)
勝念寺 (5)
本尊の阿弥陀如来を祀る本堂。阿弥陀如来像は室町初期の作とされる。

勝念寺 (6)
境内の念仏供養塔(如意輪観音)。

勝念寺は浄土真宗(真宗大谷派)の寺院だが、大胡氏支配時の大胡郷は浄土真宗が広く信仰されていたと思われる。大胡郷を治めていた大胡氏は法然に帰依し念仏修行に励んでいる。「念仏往生伝」という書物には大胡小四郎秀村が法然の教えに従い、念仏を昼夜怠らなかったので極楽往生できたと書かれているほどである。

そのため、信徒有志がお寺を興す下地があったのだろう。ちなみに、現在の養林寺は大胡氏の念仏旧跡地に、牧野康成が養修寺を移転させたものである。
(「牧野家の菩提寺 -養林寺-」参照)

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前橋市大胡町の久栄山本応寺。

本応寺 (1)
本応寺は正応4年(1291年)大胡生まれの南条七郎次郎平時光が大檀那となり、日蓮の弟子・日興(日蓮正宗第二祖)を開山として創建。大檀那とは一般的にお布施をたくさんする檀家のことで、開創時に経済的支援をする場合は開基と同義語となる。

本応寺 (2)
本堂は昭和36年(1961年)の建立。昭和52年(1977年)に改築されている。

本応寺 (3)
本応寺 (4)
鐘楼は平成3年(1991年)の建立。

南条時光は正応3年(1290年)に大石寺(静岡県富士宮市)開創のため、一帯の土地を寄進し開基(大檀那)となっている。大石寺は日蓮正宗の総本山。時光は日蓮に帰依し、日興を師兄と仰いでいる。日蓮は時光の信仰心に対し「上野賢人殿」との称号を与え称賛している。

「上野殿」と聞くと上野国(群馬県一帯の旧名)を想像するが、駿河国富士上方上野郷の地頭であったから。時光が大胡生まれとは大胡町誌(昭和51年:1976年)に記載されているが、詳細は不明である。

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前橋市堀越町の堀越共同墓地の石幢。

堀越共同墓地の石幢 (1)
堀越共同墓地の石幢は総高191cmの石燈籠形。円柱状の幢身に六角形の中台を乗せ、その上に六角柱の1面に1体ずつ6体の地蔵が彫った龕部を乗せている。江戸時代中期のものと推定される。

堀越共同墓地の石幢 (3)
地蔵像が彫りされている。

ちなみに、お寺の内陣の須弥壇を取り囲んで掛けられる細長い布製の旗を幢幡と呼び、幢幡を6枚または8枚組み合わせてかけている様子を、六角・八角の石柱で表わしたものが石幢とされる。

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