Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

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高崎市箕郷町松之沢の百観音。

松之沢の百観音 (1)
松之沢の百観音は長さ30m、奥行き10mの範囲内に、十一面観音・千手観音・聖観音・如意輪観音などの観音像が合計133体並んでいる。

松之沢の百観音 (2)
松之沢の百観音 (3)
入口正面には六地蔵がある。

松之沢の百観音 (5)
松之沢の百観音 (6)
松之沢の百観音 (7)
松之沢の百観音 (8)
観音像の詳細な造立年代は不明だが、一部に安永(1772~81年)、寛政(1789~1801年)、享和(1801~04年)の元号が読みとれる。

観音像が133体あるので、各地の観音霊場巡りを合計したものと考えられる。四国(33ヶ所)、西国(33ヶ所)板東(33ヶ所)、秩父(34ヶ所)の計133ヶ所かな。現地を巡礼できない人々のために観音霊場を模した観音像を建立し、巡礼したのと同じご利益を得ることができるとされた。

松之沢の百観音 (4)
観音像に囲まれて建つ宝篋印塔。享保12年(1727年)の紀年銘とともに、長純寺・狐俊和尚と信州高遠石工の名が記されている。

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高崎市箕郷町善地の上善地の百観音

上善地の百観音 (1)
上善地の百観音は高台の墓地に、墓石を囲むように十一面観音・馬頭観音・聖観音などが並んでいる。126体あると言う。

上善地の百観音 (2)
上善地の百観音 (3)
上善地の百観音 (4)
観音像はすべて舟形光背の浮彫りで、村名と願主名が刻まれている。先に126体あると書いたが、元は133体あったのではないだろうか。各地の観音霊場(四国・西国・坂東・秩父など)巡りを模しているのだと思う。

上善地の百観音 (5)
この墓地の墓石群はすっごく立派なものが多く、地元有力者の一族のお墓なのかな。写真の宝篋印塔には明和7年(1770年)の銘があった。

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高崎市下室田町の矢背負稲荷神社。

矢背負稲荷神社 (1)
矢背負稲荷神社 (2)
矢背負稲荷神社の創建は不詳。創建の逸話として、里見義俊が京都・藤森神社を参拝した夜、夢枕に社神が現れ妻黒の矢を賜り「いずれ汝を護りて関東に至らん」と告げた。里見に戻った義俊は領内を巡視したところ、矢を背負った白狐が馬前を通り山中に消えた。後を追ったところ矢が立ててあり、手に取ると夢に見た妻黒の矢であった。そこで、この地に社を建て矢背負稲荷として祀ったという。里見義俊は新田氏の祖・義重の庶長子で、里見氏の祖である。

また他説では、武田勢の鷹留城(箕輪城の支城)攻めの際、山に棲む白狐が霊力で山全体を霧で覆い武田勢を惑わしたが、5日目に流れ矢に当たり霊力を失い霧が晴れ鷹留城は落城した。白狐の死を悼み村人が社を建てたともいわれる。

創建は前者だと鎌倉初期、後者だと室町後期(戦国期)となる。まあ、どっちの逸話も信憑性がある訳ではないけど。

矢背負稲荷神社 (3)
矢背負稲荷神社 (4)
一の鳥居前の駐車スペースから参道(林道)を上っていくと二の鳥居が見えてくる。そんなに遠くない、と言うか思ったより近い。

矢背負稲荷神社 (5)
矢背負稲荷神社 (6)
お社へ上る石段脇には狐像が置かれている。金ピカの狐像も。

矢背負稲荷神社 (7)
矢背負稲荷神社 (8)
お社、上屋は平成8年(1996年)の新築建立。

矢背負稲荷神社 (9)
中には狐像が多数置かれている。これは初午祭の時に、参拝者に対して授けられるもの。これを持ち帰り翌年の初午の際に返し、新たにまた狐像を授かり持ち帰るを繰り返す風習が残されている。

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高崎市上室田町の斎渡山無量院。

無量院 (1)
無量院は慶長12年(1607年)上室田村の斎藤三左衛門の開基。

無量院 (2)
無量院 (3)
境内入口に六地蔵や庚申塔・供養塔が並ぶ。

無量院 (4)
無量院 (5)
さらには、閻魔大王像と奪衣婆像も。一般的にこの両像は墓地の入口にあることが多いが、門前に鎮座している。

無量院 (6)
本堂は明治24年(1891年)に焼失、同41年(1908年)に再建されている。昭和34年(1959年)、昭和46年(1971年)に改修・改築されている。

無量院 (7)
境内に果売箱が数個置かれている。一見、狛犬のように見えるが、中国のゴミ箱(オブジェ)だ。知っていて置いているのだろうか? そう言えば、下室田町の大森神社にも置いてあったのを思い出した。無量院とそう遠くないので、何か関係があるのかな。
(「果売箱が狛犬代わり? -高崎下室田・大森神社-」参照)

無量院 (8)
無量院 (9)
無量院 (10)
境内の百番供養塔と石仏群。石仏が多数並らぶ。

無量院 (11)
無量院 (12)
大師堂には空海(弘法大師)像が鎮座する。

無量院は明治42年(1909年)に松仙寺を合併している。松仙寺は下室田町字松山にあったお寺で、江戸期以降松山城の三郭を寺域としていた。松山城は北条方の城で、秀吉の小田原攻め時(天正18年:1590年)に廃城となっている。松山城跡は高崎市の史跡になっている。

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高崎市下室田町の宮谷戸八幡宮。
前回の宮谷戸諏訪神社の境内社となる。(「内藤昌豊の創建 ー宮谷戸諏訪神社ー」参照)

宮谷戸八幡宮 (1)
宮谷戸八幡宮は建久6年(1195年)に源賴朝が浅間山麓での巻狩りの際、安達盛長に命じ鶴岡八幡宮の分霊を勧請し創建。後に箕輪城代・内藤昌豊により諏訪神社が境内に勧請されたため、八幡宮の方が境内社となっている。

宮谷戸八幡宮 (2)
宮谷戸八幡宮 (3)
鳥居は平成15年(2003年)の建立。

宮谷戸八幡宮 (4)
宮谷戸八幡宮 (5)
宮谷戸八幡宮 (6)
社殿の建立年などは不明。

それにしても、源氏宗家(源頼朝)の八幡宮が、源氏支族(武田氏)の諏訪神社の境内社になっているのは皮肉なこと。時の権力者により鎮守さまも変わるということ。

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高崎市下室田町の宮谷戸諏訪神社。宮谷戸(みやがいと)は字名。

宮谷戸諏訪神社 (1)
宮谷戸諏訪神社 (2)
宮谷戸諏訪神社は武田信玄の箕輪城攻略後、箕輪城城代となった内藤昌豊が当地の八幡宮境内に下諏訪明神の分霊を勧請し、村の惣鎮守としたといわれる。箕輪城落城は永禄9年(1566年)で、内藤昌豊が城代になったのは元亀元年(1570年)なので、その頃の創建と思われる。

宮谷戸諏訪神社 (3)
宮谷戸諏訪神社 (4)
宮谷戸諏訪神社 (5)
社殿の建立年などは不明。

宮谷戸諏訪神社 (6)
明治期に合祀された他社(神明宮、稲荷社、八坂社など)の旧社が保存されている。上屋は昭和56年(1981年)に新築されている。

安永6年(1777年)の古文書が残されており、それには初代神主は大沢内記藤原貞友と言い、弘治4年(1558年)に没したと記されている。そうすると、創建はもう少し早くなる。

ただ、弘治4年には長野業正がまだ健在なので(業正没は永禄4年:1561年)、武田氏が諏訪神社を勧請するのは不自然である。やはり宮谷戸諏訪神社の創建は、当地が武田氏の影響下になった後と考える方が自然かな。

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高崎市上室田町の雨堤榛名神社。雨堤は字名。

雨堤榛名神社 (1)
雨堤榛名神社は長禄年間(1457~60年)に小加部氏が榛名神社の分霊を勧請したと伝わる。明治初めに一時期雨堤神社と改称したが、明治6年(1873年)に榛名神社に戻している。

鳥居前の灯籠は昭和10年(1935年)の奉納。

雨堤榛名神社 (2)
雨堤榛名神社 (3)
雨堤榛名神社 (4)
社殿は慶長2年(1597年)に長壁・斎藤両家が建立。長壁家が代々別当家として奉祀してしてきた。現在の社殿の建立年などは不明。

雨堤榛名神社 (5)
明治10年(1877年)に大山津見神を合祀している。

雨堤榛名神社 (6)
明治41年(1908年)には近隣の他社(八坂社・厳島社・稲荷社など)を合祀している。

雨堤榛名神社 (7)
拝殿脇に力石らしき石があった。力石は力試しに用いられる大きな石。日本各地で鍛錬や娯楽として力試しが、江戸時代から明治時代まで盛んに行われていた。県内の神社にも、力石が残されいるところがある。(「力石」で検索してもらえれば数社出てきます)

*力石でない可能性も、もちろんあります。違っていたらごめんなさい。

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高崎市本郷町の本郷神社。

本郷神社 (1)
本郷神社 (2)
本郷神社は神明宮として創建(由緒は不詳)。当地の字名は伊勢ノ森ということからも、天照大神を祀ったことが分かる。明治43年(1910年)に村内他社(菅原神社、榛名神社など)を合祀し本郷神社と改称している。

石段を上り一の鳥居、また石段を上り二の鳥居(その先が境内)。神社前を走る県道29号からは、かなり高い位置に鎮座している。

本郷神社 (3)
本郷神社 (4)
社殿は明治24年(1891年)の建立。大正12年(1923年)に幣殿を追加建立している。

本郷神社 (5)
本郷神社 (6)
境内社の菅原社。なぜか狐像が置かれている。そう言えば、高浜町の駒形神社の境内社・天神社にも狐像が置かれていた。(「高崎市高浜町・駒形神社」参照)

本郷神社 (7)
本郷神社 (8)
本郷神社 (9)
社殿裏にケヤキの大木がある。ご神木だろうか。根元は空洞化しており、大人でも余裕で入れる大きさになっている。だからと言って、弱っているようには見えない。

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高崎市上大島町の満行神社。

満行神社 (1)
満行神社 (2)
満行神社は「上野国神名帳」記載の大島明神(創建年は不詳)とされる。大島地区には大島明神が2社(上大島と下大島に各1社)あったが、明治42年(1909年)にいずれも八幡八幡宮に合祀されている。

数年後、上大島地区の有志が社殿を建立し、八幡八幡宮より分祀し満行神社として再祀した。満行神社としては明治末から大正初めの創建となる。

鳥居は平成22年(2010年)の改修。

満行神社 (3)
満行神社 (4)
社殿は満行神社として再祀した際の建立。社殿前の新しい灯籠は平成22年(2010年)の奉納。

満行神社 (5)
満行神社 (6)
境内社の稲荷神社。

満行神社 (7)
末社。社名は分からないが、石祠に安永(1772~81年)の銘が読み取れた。安永銘の石祠があることから、当所は上大島・大島明神の旧地なのかな。

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高崎市高浜町の駒形神社。

高浜駒形神社 (1)
高浜駒形神社 (2)
高浜駒形神社の創建年代は不詳だが、牧畜が盛んだったため人・畜馬の健康を祈念するために創建されたといわれる。一説には鎌倉時代とも伝わる。

高浜駒形神社 (3)
高浜駒形神社 (4)
一時衰退していたが、享徳2年(1453年)に村の人々が資金を出し合い社殿を改築し、村の鎮守としている。享徳2年の棟札が残っている。

現在の社殿の建立年などは不明。社殿前の狛犬は平成4年(1992年)、灯籠は平成6年(1994年)の奉納。

高浜駒形神社 (5)
手水舎は平成19年(2007年)の奉納。

高浜駒形神社 (6)
高浜駒形神社 (7)
高浜駒形神社 (8)
境内社の天神社。でもなぜか狐像が置かれている。明治41年(1908年)に村内の田子稲荷神社などを合祀しているので、その狐像かな。

直接的には関係ないが、前橋市には駒形町があり駒形神社も鎮座している。名馬「磨墨」の蹄と伝えれれるものがご神体の一部となっている。
(「名馬『磨墨』の蹄がご神体 -駒形神社-」参照)

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高崎市下室田町の駒寄諏訪神社。

駒寄諏訪神社 (1)
駒寄諏訪神社の創建年は不詳だが、八坂神社として創建。一説には里見義尭の創建ともいわれる。ただ、義尭は安房里見氏の第5代なので、上野国との繋がりはよく分からない。

灯籠は昭和26年(1951年)奉納。「講和記念」とあったので、サンフランシスコ講和条約の締結で、戦後日本が独立した記念のようだ。

駒寄諏訪神社 (2)
駒寄諏訪神社 (3)
駒寄諏訪神社 (4)
天文20年(1551年)諏訪貞俊が社殿を改築し、諏訪明神を追祀して諏訪神社となっている。諏訪貞俊についてはよく分からない。また他説では武田信玄の箕輪城攻略時、下諏訪明神の分霊を祀り諏訪神社としたともいわれる。

駒寄諏訪神社 (5)
社殿裏の末社群。実はこの中に創建社である八坂神社もある(どれだか分からなかった)。

駒寄諏訪神社 (6)
駒寄諏訪神社 (7)
駒寄諏訪神社 (8)
境内社の玉造稲荷神社。玉造稲荷に関しては次のような伝承が残されている。

時代は不明だが、路傍で人や馬が怪我をすることが多く、住民は難儀をしていた。ある時、旅の行者が玉造稲荷で祈祷した折、石が障りとなっているので取り出して玉造稲荷に祀るよう告げた。住民が掘り出してみると、石に日や月の図と庚申の文字が描かれていた。その石を祀ったところ、災いは起きなくなったという。

中を覗いてみたが、それらしき石は見当たらなかった。地元の方々は諏訪神社を「大社」、玉造稲荷を「小社」と呼んでいる。

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高崎市下里見町の北村八幡宮跡。
現在は北村地区の公民館になっている。

北村八幡宮跡 (1)
北村八幡宮の創建は不詳。北村地区の総鎮守で、地域住民の方々から厚く崇敬された。明治43年(1910年)に郷見神社に合祀され、現在は石宮が残されているのみである。旧社殿(祠)は郷見(さとみ)神社に保存されている。
(郷見神社は「里見氏ゆかりの神社 -郷見神社-」参照)

北村八幡宮跡 (2)
北村八幡宮跡 (3)
源頼朝が建久4年(1193年)に行った浅間山麓での巻狩りの帰途、北村八幡宮に参拝した際に腰を掛け休んだ石とされる。また、馬に乗る時には踏み台にしたという。周りにも似たような石が置かれており、写真の石かはちょっと微妙な面もあるが、案内板に「祠の後ろ」と書いてあったので信じるしかない。

通常、他社に合祀されると旧地には何も残らないものだが、頼朝の腰掛け石(伝承)があったため、石祠を新たに建立し残したんだと思う。

ちなみに群馬県内には「日本武尊」「明治天皇」「源義家」「水戸黄門(徳川光圀)」の腰掛け石もある。明治天皇以外は真偽不明だが。すべて記事があるので、興味があったら検索してみてください。

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高崎市上里見町の春日神社。

上里見春日神社 (1)
上里見春日神社 (2)
上里見春日神社は寛文4年(1664年)に建御電命(雷神)を祀る神社として創建。享保9年(1724年)に別当寺住職や氏子代表が京都から春日大社の御幣帛を持ち帰り春日神社となっている。当時、雷による被害多発したため、建御電命を鎮めるためとされる。

鳥居は昭和51年(1976年)の建立。

上里見春日神社 (3)
上里見春日神社 (4)
上里見春日神社 (5)
社殿は大正10年(1921年)の建立。拝殿は昭和17年(1942年)に焼失、昭和19年(1944年)の再建。平成10年(1998年)に瓦葺きに改修されている。

上里見春日神社 (6)
上里見春日神社 (7)
上里見春日神社 (8)
上里見春日神社 (9)
本殿は間口七尺・行九尺の権現造りで、色彩彫刻が施されている。題材は分からないが、素晴らしい彫刻だ。

上里見春日神社 (10)
上里見春日神社 (11)
神楽殿は大正10年(1921年)の建立。

上里見春日神社 (16)
社殿脇(県道130号側)に宝物庫らしき建物(左)と境内社がある。建物の中には御神輿があった。

上里見春日神社 (17)
上里見春日神社 (18)
上里見春日神社 (19)
右側は「安産大神」とある。中を見ると狐像があるので稲荷神社かと思うが、安産の神徳を持つ神様は多いのでよく分からない。

上里見春日神社 (14)
上里見春日神社 (15)
社殿裏の境内社・末社群。明治42年(1909年)に上里見地区の他社を合祀している。

上里見春日神社 (12)
上里見春日神社 (13)
境内末社の熊野三社。明治35年(1902年)に合祀されている。神山宿の問屋だった中曽根氏が氏神として寛永年間(1624~45年)に祀ったものといわれる。ちなみに熊野三社とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のこと。

上里見地区は草津街道(現在の国道406号)の宿場町で、神山宿と呼ばれた。現在も宿場町を連想させる旧家(古民家)が道路沿いに残っている。

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丑年 (1)
明けましておめでとうございます。
みなさまにおかれましては、健やかな新年をお迎えのことと、お慶び申し上げます。

ブログ生活も早12年目。「上州まったり紀行」「まったりとスペシャル系」の2本体制にしてからも7年目。HPも立ち上げから7年目に入る。「よく続いているなぁ~」の感想しかない。

昨年からのコロナ禍はまだ先が見通せず、今年も不透明なご時世が続きそうだ。楽観視せず、かと言って恐れすぎず、各地を訪問する際には節度を守った行動を心がけていきたい。

今年も「上州まったり紀行」で群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡などを紹介しつつ、「まったりとスペシャル系」には好き勝手書いていく。これを何とか続けられるよう、コロナに負けずに頑張ろう。

今年もブログ2本・HPをよろしくお願いいたします。みなさんにとって2021年が良い年となるよう祈念いたします。

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2020年も残すところわずかとなった。恒例の「上州まったり紀行Award(アワード)」を発表して、1年の締めくくりとしたいと思う。

今年は155ヶ所(件)の記事をアップすることができた。新型コロナの影響で例年より若干少ないが、それでも多くの場所を訪問することができた。特筆すべきは、暫く足を伸ばせていなかった邑楽郡の各町を訪問することができたこと。

と言うことで、まずは番外編から。館林藩主の善政に感謝した領民が藩主を祀ったもの。領民が藩主を祀るのはあまりなく、珍しいと思ったので。

番外編1 久五郎神社(邑楽郡邑楽町赤堀)
館林藩主・松平武寛、斉厚父子の遺徳を偲んだもの。久五郎は武寛、斉厚の幼名。

番外編2 井河大明神(邑楽郡邑楽町狸塚の長良神社境内)
館林藩主・井上河内守正春の善政に感謝し造立したもの。「井上大明神」としなかったのは、新藩主への遠慮から。

では、2020年の個人的偏見のベスト5。

5位 落合観音堂(高崎市保渡田町)
観音堂はどうってことはないが(申し訳ない)、その創建に長野業盛伝説がある。箕輪城落城時、城内・御前曲輪の持仏堂にて自刃したとされる業盛が、城外に落ち延びたという伝説に基づく。

4位 玉取神社(邑楽郡邑楽町秋妻)
平安時代に藤原氏が創建したとされ、その由来は藤原鎌足が房崎の浦で竜宮から玉を取り得て日本の宝としたので、鎌足を玉取大明神として崇敬したという伝説による。

3位 月波神社(高碕市箕郷町善地)
安閑天皇元年(531年)の勧請と伝わり、上野国神名帳記載の「月波明神」に比定される古社であり、榛名神社の遙拝所でもある。社殿の彫刻も素晴らしい。

2位 永光山金剛寺(高崎市福島町)
金剛寺は箕輪城落城の際に焼失したが、箕輪城代となった武田四天王・内藤正豊が再建している歴史に興味を引かれる。境内の「顔切り薬師」は室町初期の造立で伝説もおもしろい。

1位 長柄神社(邑楽郡邑楽町篠塚)
邑楽郡司で長柄郷を開拓した事代主神の子孫・長柄首の創建。上野国神名帳記載の長柄明神(邑楽郡の一宮)とされる。素晴らしい社殿彫刻など、一宮の風格が漂う。

もちろん、これら以外にも印象に残った場所はたくさんあり、新しい発見もあった。ベスト5なんて、あんまり意味ないかもね。また新型コロナ渦中の訪問だったため、いろいろ気をつけることも多かった。それでも各所を訪問できたことは、ありがたいことであった。

今年も「上州まったり紀行」をご覧いただきありがとうございました。2021年も引き続きよろしくお願いいたします。新型コロナの感染が終息し、誰でもどこへでも出かけられるようになることを祈念します。

みなさん、良いお年をお迎えください。

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