白衣観音 慈悲の御手
関東と信越つなぐ高崎市
昨日、お気楽に上毛かるた巡りでもするか、って書いたけど・・・。
「上毛かるた」を検索すると、思っていた以上にHITし驚いた。さらに、上毛かるた巡り(紀行)も、立派なHPやブログがたくさんあり、気が引けてしまった。群馬県の方が多いが、中には他県から家族旅行兼ねて、上毛かるた紀行を行っている方もいて、脱帽です。
とは言え、まあとりあえず行ってみた、程度の紀行のつもりだし、気が向いたらやってみることする。
さっそく第1弾。

(か) 関東と信越つなぐ高崎市

高崎駅です。
現在、東口は駅前の工事中です。いつ完成するのか知らないけど。
非常に安易だけど、詠まれている趣旨からして、高崎駅でいいような・・・。普通なら、新幹線や市役所も載せて、高崎市の歴史などを注釈として入れる、なんてするとカッコもつくのかもしれないが。まあお気楽紀行だから、こんなもんでいいでしょう。
特別に行ってきた、という訳じゃないけど、こういうのから始めないと、挫折するのは明らかなので。
上毛かるた
群馬県には「上毛かるた」という、県内の名所・名跡、偉人を詠みこんだ、かるたがある。
(あ) 浅間のいたずら 鬼の押し出し
(い) 伊香保温泉 日本の名湯
(う) 碓氷峠の 関所跡
って感じ。
県内の小学校では、上毛かるたを使った大会もある。地域社会(子供会とか育成会とか)でも、大会があったりする。
群馬県の小学生は、多分ほぼ100%の子供が、すべてを諳んじられると思う。大人でも、多少忘れているかもしれが、同様ではないか。オレも、いくつか出てこなかったが、ほとんどいまだに言える。
逆に、「いろはかるた」なんて、犬も歩けば~とか、有名なのしか知らない。
上毛かるた巡りでもやってみるか。

(財)群馬文化協会HPから
藤岡市・吉良上野介の産湯を汲んだ井戸
吉良上野介義央と言えば、忠臣蔵の悪役として非常に有名。忠臣蔵に出てくるエピソードを史実と思っている人には、名家の出をかさにきた極悪人のイメージじゃないの? まあ、あの浅野内匠頭長矩への「いじめ」は、ほとんど創作と言われているけど。
別に忠臣蔵の話しをしようというのではなく、群馬県藤岡市に吉良上野介の産湯を汲んだ井戸がある、ということ。


吉良上野介は寛永18年(1641年)に江戸鍛冶橋の吉良邸で生まれた。でも、一説によると群馬県藤岡市白石の生まれともされる。
以下、井戸のある藤岡市の解説文。
吉良上野介陣屋跡井戸
元禄時代、忠臣蔵(芝居)で有名な吉良家の所領が白石にあり、ここに陣屋が置かれた。領主吉良若狭守の正室が、伊香保温泉に 湯治した帰途、この屋敷に滞在して、嗣子上野介義央を生んだ。彼の産湯を汲んだのが、この井戸だと伝えれる。井戸水は毎月1回赤く染まるので「汚れ井戸」と呼ばれ、飲料水にはしなかったと言う。なお、当地では領主吉良上野介を敵役とする忠臣蔵は禁物とされた。
井戸の向かい側には、吉良上野介陣屋跡と言う看板も立っているのだが、雑木林が広がっているだけ。一応そこには、
吉良家は延宝2年(1674年)から元禄15年(1703年)まで、白石字中郷に840石を領し、家臣長船氏に治めさせていた。言い伝えによると、吉良若狭守の正室が伊香保温泉からの帰途、この館に寄り、上野介を生んだ。産湯を汲んだと伝えられる井戸は現在も残っている。その産湯を流したところに小社があって、上野桜という名樹があった。
地元も、別に観光地にしようとか、と言うつもりもなく、PRしようと思っているわけでもなさそう。井戸は枯れていて水があるわけでもないから、しょーがないか? 歴史的な価値があるのか、良く分からないが、もったいないような気もちょっとする・・・。
これ、忠臣蔵の悪役でなく、もう少し良いイメージの人物なら、市も力を入れるのかな?