太田市別所町の十二所神社。
十二所神社の由緒は不詳だが、別所村内に散在していた12の末寺を本寺円福寺にまとめた際に、各寺の本尊を一ヶ所に合祀して十二所神社として祀ったとの言い伝えがある。
十二所神社は御室山円福寺境内、茶臼山古墳の後円部墳丘に鎮座する。参道は古墳北側から続く。(茶臼山古墳は「新田氏累代の墓・御室山円福寺」参照)
鳥居は大正9年(1920年)の建立。
円福寺本堂側からも登っていける。
本殿には国常立命・大戸辺命・涅土煮命・大日霊命・火々出見命など、16体の神像が安置されている。神像はともに30cmほどの木像で、その内5体には正元元年(1259年)の銘がある(先に例として挙げた5神の像に銘があるというわけではない)。紀年銘のある5体は太田市の重文に指定されている。
十二所神社とは直接関係はないが、茶臼山古墳の後円部には「国良親王御陵」の標柱が建っている。昭和34年(1959年)の建立。国良親王とは後醍醐天皇の皇子・宗良親王と新田義貞の娘・山吹姫との間の御子とされる。
宗良親王は興国5年/康永3年(1344年)から信濃国伊那郡を拠点に活動しており、その際に上野国などにも出陣していた。国良親王は伊那郡で生まれ、新田氏庇護のもと当地で暮らしていた。正平24年(1369年)に31歳で薨去され、円福寺中の茶臼山古墳に葬られたとの伝承がある。
国良親王は後醍醐天皇の孫に当たるが、生涯一度も京に上ることなく上野国で生涯を閉じたため、親王どころか皇族としても数えられていない。また実在性に関しても確証がない。とは言え、後醍醐天皇の皇子と新田義貞の娘との間の御子など、何となく「あり得るかな」と思ってしまう伝承になっている。