上州まったり紀行

Tigerdream が群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などを紹介するブログ

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高崎市金古町の金陽山常仙寺。

常仙寺 (1)
常仙寺は慶長14年(1609年)半田村(現、渋川市半田)の龍伝寺5世・卯山聚寅の開創(開山)。また、寛永5年(1628年)三国街道金古宿の商人・飯塚常仙の開基ともいわれる。常仙寺の名は飯塚常仙からのようだ。

安永年間(1772~81年)に火災で焼失。天明2年(1782年)に再建されている。

常仙寺 (2)
常仙寺 (3)
参道の地蔵堂。延命地蔵を祀る。延命地蔵は新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすご利益がある。常仙寺が経営する幼稚園の脇にあるのも納得かな。

常仙寺 (4)
参道の道元像。ぱっと見、脱衣婆かと思った(苦笑)。平成12年(2000年)の造立。曹洞宗の開祖・道元の生誕800年記念。

常仙寺 (5)
門前の石仏・石塔類。右から馬頭観音、百番供養塔、地蔵像。

常仙寺 (6)
地蔵像は昭和6年(1931年)に金古宿絹市場で発生した火災により被災した方々の供養のため、昭和7年(1932年)に造立されたもの。当日は絹市場で映画が上映されており、映写室から出火したという。

常仙寺 (7)
常仙寺 (8)
本堂は昭和25年(1950年)に火災により焼失。現在の本堂は昭和40年(1965年)の建立。

常仙寺 (9)
常仙寺 (10)
本堂の鬼瓦・・・かと思ったが屋根は銅板葺きなので、これは「鬼板」。平成14年(2002年)に屋根を改修しているようなので、その際の取り付けかな。

常仙寺 (11)
鐘楼は太鼓楼形式。昭和43年(1968年)の建立。

常仙寺 (12)
墓地入口の六地蔵。平成13年(2001年)の造立。

常仙寺 (13)
常仙寺 (14)
六地蔵石幢。

常仙寺 (15)
十一面観音菩薩像。平成4年(1992年)の造立。

常仙寺 (16)
千心宝篋印塔とあった。平成12年(2000年)の造立。これも道元生誕800年記念のようだ。


前橋市龍蔵寺町の神明宮。

龍蔵寺神明宮 (1)
龍蔵寺神明宮の由緒は不詳。寛文3年(1663年)に再建されたとの記録が残る。

龍蔵寺神明宮 (2)
龍蔵寺神明宮 (3)
社殿の建立年などは分からない。

龍蔵寺神明宮 (4)
龍蔵寺神明宮 (5)
本殿脇障子の彫刻。

龍蔵寺神明宮 (6)
彫刻には「H13.5.9.」の文字が見える。平成13年(2001年)5月9日に彩色したということかな。本殿の写真を見てもらえば分かるが、脇障子の枠木や高欄・擬宝珠などが朱色に塗り直された感がある。

龍蔵寺神明宮 (7)
龍蔵寺神明宮 (8)
境内社・末社群と双体道祖神。菅原神社、八幡宮、近戸神社、厳島神社など。双体道祖神は宝暦14年(1764年)の銘があった。


前橋市下小出町1丁目の赤城神社。

下小出赤城神社 (1)
下小出赤城神社 (2)
下小出赤城神社の由緒は不詳。一の鳥居は平成22年(2010年)の建立。境内の鳥居之記という碑によれば、大正5年(1916年)に大正天皇の即位を記念し鳥居を建立したとあるので、それまでの鳥居のことだろう。

下小出赤城神社 (3)
二の鳥居は平成27年(2015年)の建立。

下小出赤城神社 (4)
下小出赤城神社 (5)
二の鳥居から社殿までは、まだ新しい狛犬や灯籠が並ぶ。狛犬は平成19年(2007年)、灯籠は平成16年(2004年)と平成22年(2010年)の奉納。

下小出赤城神社 (6)
下小出赤城神社 (7)
下小出赤城神社 (8)
社殿は慶応4年(1868年)の建立。以降、明治24年(1891年)、昭和25年(1950年)、昭和57年(1982年)に改修されている。

下小出赤城神社 (9)
下小出赤城神社 (10)
四天王堂。中には四天王の石宮と獅子頭。

下小出赤城神社 (11)
摩多利神(左)と水神宮(右)。摩多利神の書は奈良一徳斎による。一徳際は宝暦12年(1762年)旧不動尊村(現、前橋市富士見町時沢)の生まれで、医者を業としていたが書道・俳諧・茶華道にも秀でていた。書は角田無幻を師とする。

下小出赤城神社 (12)
下小出赤城神社 (13)
三峯神社。大岩をくり抜ている。浅間山の噴火石(溶岩)かな。天明3年(1783年)の大噴火時は、この辺りまで普通に流れ着いているので。

下小出赤城神社 (14)
双体道祖神。紀年銘は読めなかったが、一体はお顔が剥落してしまっている。何かの保存対策をした方がいいような気もするが。


前橋市上小出町3丁目の越出山香集寺。

香集寺 (1)
香集寺は延元年間(1336~40年)に鎌倉・建長寺の本覚禅師の隠居寺として創建された。延元は南朝の元号で、北朝は1338年まで建武、1338~42年が暦応。

香集寺 (2)
香集寺 (3)
古い記録だが、天文8年(1539年)に利根川の洪水により寺域が大きな被害を受け、時の住職は水死している。西堂和尚が再興したとされる。現在の本堂の建立年などは不明。

香集寺 (4)
本堂入口に大小2体のアマビエ像があった。

アマビエは江戸時代に肥後の国(熊本)に出現した妖怪。外見は人魚のようで、鳥に似たくちばしがある。「病がはやったら私の写し絵を人々に見せよ」と言い残し海へ消えたとの言い伝えがあることから、疫病の流行を防ぐご利益があるといわれている。

香集寺 (5)
香集寺 (6)
六地蔵と聖観音。

香集寺 (7)
如来塔と名付けられた石仏・仏塔など。上小出町内にあった石塔・五輪塔・石仏を、昭和29年(1954年)から2年をかけて集めて供養したもの。個別によくは見てこなかったが、室町から戦国時代のものが多いようだ。

香集寺 (8)
香集寺 (9)
「地獄の責め具」を形どった石造物。室町末期の造立と考えられている。左から浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)・人頭杖(じんとうじょう)・業秤(ごうのはかり)。閻魔大王が死者の生前の罪を裁くためのもの。

浄玻璃鏡は生前の罪を映し出すため、いかなる隠し事もできない。ウソがばれると舌を抜かれる。人頭杖は善悪を見分ける2つの頭(顔)がついている杖。業秤は生前の悪行を計る。

香集寺 (10)
「小出小学校開校の地」との標柱があった。香集寺には明治6年(1873年)から同22年(1889年)まで小出小が置かれていた(明治22年に桃川小と合併)。

香集寺 (11)
ニワトリが境内に放たれていた(本堂の裏には小屋があり、たくさん居た)。詳しくはないが烏骨鶏かな。烏骨鶏は貴重種のイメージがあるが、放しておいて野良ネコなどに食べられないか心配だ。


前橋市上小出町2丁目の小出神社。

小出神社 (1)
小出神社 (2)
小出神社はもとは赤城神社で、その由緒は不詳。上野国神名帳記載の「従五位上小出明神」とされるが、ご祭神が豊城入彦命であることから赤城神社と呼ばれるようになったと伝えられている。

明治40年(1907年)に霜川神社、諏訪神社、菅原神社、八幡社などを合祀し小出神社と改称している。また、昭和56年(1981年)前橋市の区画整理事業に伴い、西方に25mほど遷座している。

一の鳥居は平成8年(1996年)の建立。

小出神社 (3)
小出神社 (4)
二の鳥居は宝暦13年(1763年)の建立。もとは一の鳥居だったもの。

小出神社 (5)
小出神社 (6)
小出神社 (7)
社殿は大正7年(1918年)の建立。昭和56年の遷座時に修築されている。社殿前の狛犬は昭和10年(1935年)の奉納。

小出神社 (8)
三峰神社。昭和56年の前橋市区画整理事業に伴い、小出神社境内に遷座している。

小出神社 (9)
小出神社 (10)
境内社・末社群。稲荷神社、雷電神社、大神宮、大原神社、など。

小出神社 (11)
藍沢無満の句碑。藍沢無満は安永4年(1775年)当地の生まれで、苦学の末に俳諧や書道で名を成し、後に寺子屋で多くの子弟の教育を行った。船津伝次平も俳諧の門弟のひとりである。元治元年(1864年)90歳で死去。


前橋市川端町の愛宕神社。

川端愛宕神社 (1)
川端愛宕神社の由緒は不詳だが、明治33年(1900年)に村内の神明宮を合祀している。一の鳥居は安永9年(1780年)の建立。

川端愛宕神社 (2)
川端愛宕神社 (3)
上武道路側から見ると高台にある。古利根川により形成された河岸段丘的な地形かも知れない。「川端」という地名からも窺える。斜面は擁壁で固められており、安全と言えば安全だが風情がないとも言える。

川端愛宕神社 (4)
川端愛宕神社 (5)
川端愛宕神社 (6)
階段を上り終えると二の鳥居。余り広くない境内に社殿が鎮座する。

川端愛宕神社 (7)
境内社の雷電神社。

川端愛宕神社 (8)
秋葉大権現(左)と甲子大黒天。大黒天は元治元年(1864年)の造立。

川端愛宕神社 (9)
川端愛宕神社 (10)
丸い石が屋根の下に置かれている。何だろう? 力石?

川端愛宕神社 (11)
斜面の途中に薬師堂がある。由緒などは分からない。

川端愛宕神社 (12)
薬師堂の横には二十三夜供養塔や馬頭観音などが並ぶ。一番右の馬頭観音像には寛政3年(1791年)の銘が読み取れた。


前橋市荒牧町2丁目の新田お不動さま。

荒牧新田の不動尊 (1)
新田地区のお不動さまは元文元年(1736年)の創建と伝わる。前橋市都市計画事業により、昭和62年(1987年)現在地へ移転。新たに不動堂を建立している。

荒牧新田の不動尊 (2)
堂内には石塔形1体と石仏形2体が祀られている。中央がご本尊かな。

荒牧新田の不動尊 (3)
中央の石塔形には何も彫られていないように見える(不動明王が線刻されているのかもしれないが)。

新田のお不動さまには次のような逸話が残っている。明治22年(1889年)に発生した火災は新田地区にも燃え広がり大きな被害を出したが、お不動さまに近づいた火は急激に衰え、わら葺き(当時)のお堂と付近の2軒は火災から免れたという。

それ以来「火除けのお不動さま」としてより厚い信仰を集めている。

荒牧新田の不動尊 (4)
荒牧新田の不動尊 (5)
荒牧新田の不動尊 (6)
境内の石仏群。風化していて像容がよく分からないが、薬壺を持っているように見えるので薬師如来かな。


前橋市荒牧町2丁目の荒牧神社。

荒牧神社 (1)
荒牧神社は元は神明宮でその由緒は不詳だが、伊勢氏が勧請したと伝わる。伊勢氏出身の伊勢三郎義盛が源義経に仕えることになったのは、当地(荒牧)であるとの伝承がある。

明治40年(1907年)に村内の諏訪神社、八幡宮などを合祀し荒牧神社と改称している。平成2年(1990年)に前橋市都市計画事業により100mほど遷座している。

荒牧神社 (2)
2本の大イチョウが鎮守の森の雰囲気を醸し出す。向かって左が樹高15m、右が16m。

荒牧神社 (3)
社殿は数段高いところにある。石段下と上に、それぞれ灯籠と狛犬が奉納されている。石段下の灯籠は明治10年(1877年)の銘があった。

荒牧神社 (4)
荒牧神社 (5)
荒牧神社 (6)
社殿は宝暦年間(1751~64年)の建立と伝わる。平成2年の遷座時に修築している。

荒牧神社 (7)
庚申塔が集積されており、百庚申風になっている。

荒牧神社 (8)
境内社・末社群。水神宮、三峯神社、天神宮、菅原神社、雷電神社、愛宕神社、八坂神社、水神社など。

由緒の中に源義経と伊勢三郎義盛の話を書いたが、義盛の生涯(特に出自から義経と出会うまで)は諸説あり不明な所が多い。安中市は義盛の出身地とされ、遺物や伝承が残っている。ちなみに「平家物語」では伊勢鈴鹿山の山賊、「平治物語」では上野国で義経が宿泊した宿の息子、「源平盛衰記」では伊勢出身だが上野国で義経と出会ったとされている。

伊勢義盛関連
 「伊勢義盛の墓? ・冨光山常楽寺
 「伊勢三郎義盛伝説・遠丸石


前橋市川原町1丁目の大興寺。

大興寺 (1)
大興寺は寛文7年(1667年)松平直矩(松平大和守家2代)によって姫路城下に創建。以後、直矩の転封のたびにその領地へと移転している。直矩は「引越し大名」と呼ばれたほど転封が多かった。

大興寺は直矩以降も松平大和守家の転封のたびに移転している。大興寺が前橋に移ってきたのは慶応3年(1867年)で、明治維新直前となる。当初は前橋柿ノ宮(前橋城内の南側地域)の寿延寺を借寺としていたが、明治5年(1872年)に現在地である川原町の旧薬王寺跡に移っている。

大興寺 (2)
大興寺 (3)
本堂は最後の前橋藩主・松平直克の邸宅を明治8年(1875年)に移築したもの。そのため寺院建築に見られる特徴(彫刻や彩色画など)は一切なく、城主が日常的に使用する大名邸宅そのままとなっている。

大興寺 (4)
大興寺 (5)
境内の薬師堂。平成16年(2004年)の新築建立。由緒などは分からない。

大興寺 (6)
子育て観音。

大興寺 (7)
寺域西側に並ぶ仏塔類。二十二夜塔や念仏供養塔。二十二夜塔は文化11年(1814年)の造立。なお、これらの仏塔類は旧薬王寺のものである。

松平大和守家は寛延2年(1749年)朝矩(5代目)の代に前橋へ移ってきたが、前橋城が利根川の浸食により城郭の破壊が進み、明和4年(1767年)藩庁を前橋から川越に移している。その後、直克(11代目)の代の慶応3年(1867年)に前橋に本拠を戻している。

大興寺と同様に東照宮も松平大和守家の転封のたびに遷座している。また、長壁神社には松平朝矩が川越に藩庁を移す際のちょっと怖い話が残っている。
(「前橋市大手町三丁目・前橋東照宮」「前橋市大手町一丁目・長壁神社」参照)


前橋市川原町1丁目の阿弥陀如来石宮。

川原の阿弥陀如来 (1)
川原の阿弥陀如来 (2)
阿弥陀如来を祀る石宮は、当地の永井家の祖先が一族の繁栄を願って建立したもの。毎年3月15日を例祭とし、一族で参詣するという。

石灯籠は向かって右が文政8年(1825年)、左が天保11年(1840年)の造立。石宮は寛永5年(1628年)の建立。

天明3年(1783年)の浅間山大噴火時は、押し寄せた泥流のため他地域との交通が遮断され、村人はここに避難し鐘を鳴らし念仏を唱え無事安泰を祈ったという。この阿弥陀如来石宮のある場所は、当時は小高いところであったため住民が避難してきたのだろう。

川原町は利根川の中州を開拓した河原島新田と称した地域で、他村との合併や分村を経て明治期に川原島新田村、その後南橘村になっている。昭和29年(1954年)に前橋市に編入(現在の川原町に)。


前橋市川原町1丁目の市杵島神社。

川原市杵嶋神社 (1)
川原市杵嶋神社 (2)
川原市杵島神社は寛永7年(1630年)建立の弁財天が始まりとされる。明治20年(1887年)に菅原神社、明治40年(1907年)に稲荷神社を合祀している。

平成16年(2004年)に川原町の土地区画整理事業に伴い、現在地へ遷座している(完了年)。鳥居は遷座時に木造から石造にして新規建立。

川原市杵嶋神社 (3)
狛犬・灯籠も遷座時の新規奉納。

川原市杵嶋神社 (4)
川原市杵嶋神社 (5)
川原市杵嶋神社 (6)
社殿は明治14年(1881年)の建立。拝殿は昭和52年(1977年)に瓦葺きに、遷座時に銅板葺きに改築されている。また本殿覆屋も遷座時に新規建立されている。拝殿前の旧灯籠は寛政3年(1791年)の奉納。

川原市杵嶋神社 (7)
多くの庚申塔が集積されており、百庚申となっている(実際に何基あるかは数えていないが)。

川原市杵嶋神社 (8)
社殿裏の境内社・末社群。神明宮・琴平宮・大山祇神社・三峯神社・若宮八幡宮・住吉神社・菅原神社・稲荷神社・水神宮など。

川原市杵嶋神社 (9)
馬鳴菩薩塔。嘉永3年(1850年)の造立。他に衣笠大神塔もあり、いずれも養蚕の神様である。

川原町は養蚕が盛んであったが、利根川の洪水により桑畑が水没するなどの被害を受け、養蚕は徐々に衰退したという。現在前橋ゴルフ場となっている利根川河川敷一帯は桑畑だったようだ。


門松 (10)
明けましておめでとうございます。
みなさまにおかれましては、健やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

ブログ生活ももう14年目に入る。「上州まったり紀行」「まったりとスペシャル系」の2本体制にしてからも9年目。HPも立ち上げから同じく9年目。毎年同じ感想になるが「よく続いているなぁ~」。

今年も「上州まったり紀行」で群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡などを紹介しつつ、「まったりとスペシャル系」は好き勝手書いていく。これを何とか続けられるようして行きたい。

新型コロナは相変わらずの状況だが、節度を守った行動を心がけて上手に付き合って行きたい。早く普通の日常を取り戻せることを期待している。

今年も「上州まったり紀行」「まったりとスペシャル系」「Tigerdream-NET」をよろしくお願いいたします。

みなさんにとって2023年が良い年となるよう祈念いたします。


2022年も残すところわずかとなった。恒例の「上州まったり紀行Award(アワード)」を発表して、1年の締めくくりとしたいと思う。

今年は120ヶ所(件)の記事をUPすることができた。これは昨年とほぼ同数(昨年は123ヶ所(件))。なかなか遠出することは出来なかったが、前橋市・高崎市・伊勢崎市・渋川市・藤岡市・吉岡町・玉村町・甘楽町・高山村の各所を訪問することができた。

まだ新型コロナが終息に至らず、いろいろ気をつけることも多かったが、それでも多くの神社仏閣・遺跡・史跡などを訪問できたことは、ありがたいことであった。

では、2022年の個人的偏見によるベスト5。

5位 滝泉神社(吉岡町上野田)
鳥居杉と呼ばれる2本の大杉(樹高約20m、樹齢400~500年)が目を見張る。ただ樹勢の衰えが顕著なのが気になる。

4位 玉村町北部公園内のバラ園(玉村町上福島)
敷地は広くはないが、80種・380本のバラが植栽されており、綺麗な花を咲かせている。四季咲きのバラが多いが、見ごろ時期には注意が必要。

3位 めんたいパーク群馬(甘楽町金井)
工場見学やギャラリーエリア、キッズランドもいいのだが、やはり直売の明太子が美味しい。実は何度も明太子を買いに行っている。「かねふく」の回し者じゃないよ(笑)

2位 塩原太助 馬つなぎの松(高山村中山)
「上毛かるた」でおなじみの塩原太助。太助が分かれの時に愛馬「あお」をつないだとされる松。県内に複数箇所あるうちの1ヶ所。ただ、松(2代目)がしょぼい。

1位 石井山珊瑚寺(前橋市富士見町石井) その2その3その4
源頼朝、梶原景時の墓(供養塔)や子育て地蔵堂など、多彩な遺物がある。また七不思議といわれるものには、歴史と信仰を感じることができる。

もちろん、これら以外にも印象に残った場所はたくさんあり、新しい発見もあった。毎年思ってはいるが、ベスト5なんてあんまり意味がないかなと。

ところで、今年の120ヶ所(件)を追加し、総計では2,100件を越えることができた。2010年に始めたころは、ここまで続けることになるとは思いもしなかった。来年以降もマイペースで続けていきたいと思う。

今年も「上州まったり紀行」をご覧いただきありがとうございました。多くの方々にブログを見ていただき、感謝しかありません。2023年も引き続きよろしくお願いいたします。新型コロナが「ただの風邪」と認識されるようになり、蔓延前の状況に少しでも戻れることを祈念しています。

みなさま、良いお年をお迎えください。


前橋市富士見町漆窪の富雄山長桂寺。

長桂寺 (1)
長桂寺は長享元年(1487年)漆原城主・長尾大膳長景が開山に子持村雙林寺・曇英慧応を招いて開創した。曇英慧応は後に曹洞宗総本山・永平寺の住職に就任するほどの高僧とされる(ただし短期間だったようで、現在では永平寺の歴住には数えられていない)。

その後荒廃したが、慶長2年(1597年)峯月宗泉が中興開山に北橘村桂昌寺2世・大超宗察を招き復興している。もとは城下(漆窪城下)にあったが、寛延4年(1751年)現在地へ遷っている。

長桂寺 (2)
長桂寺 (3)
現在地へ遷った寛延4年建立の本堂は昭和60年(1985年)に焼失。現在の本堂は平成8年(1996年)の再建である。また、併せて境内の整備を行っている。そのため境内の造形物は同年前後の建立や奉納が多い。

長桂寺 (4)
長桂寺 (5)
六地蔵と本堂前の布袋尊。

長桂寺 (6)
長桂寺 (7)
池に水はなかったが、このように祀られていることから弁天宮と思われる。

長桂寺 (8)
池のほとりにはカエルの石像。「無事かえる」「福かえる」「お金がかえる」などに引っかけた縁起物となっている。最近お寺や神社でよく見かけるようになった。

長桂寺 (9)
本堂前のしだれ桜。

長桂寺 (10)
長桂寺 (11)
薬師堂。通称片目薬師如来と呼ばれる薬師如来石像が安置されている。由緒は分からない。

長桂寺 (12)
堂内の「醫(医)王閣」の扁額は安永5年(1776年)の製作。揮毫は源義寄。義寄は岩松氏で旗本。岩松氏と長桂寺とは、何か縁があるのだろうか?

ちなみに岩松氏は明治に入ってからだが、新田氏の正当な末裔と認められている。


前橋市富士見町漆窪の赤城神社。

漆窪赤城神社 (1)
漆窪赤城神社の由緒は不詳。明治期に大洞赤城神社に合祀されたが、昭和23年(1948年)に分祀されている。鳥居はなく十二宮と刻まれた灯籠が石段下にある。灯籠は文化10年(1813年)の奉納。

漆窪赤城神社 (2)
社殿前の灯籠は寛保2年(1742年)と寛延元年(1748年)の建立。対ではないようだ。

漆窪赤城神社 (3)
漆窪赤城神社 (4)
社殿は地域の小神社の雰囲気。

漆窪赤城神社 (5)
境内社の熊野神社。灯籠は寛保3年(1743年)、石宮は明治3年(1870年)の銘があった。

境内には江戸中期の灯籠などが多く残されており、大洞赤城神社に合祀後も当地に地域の方々お祀りしていたことを窺わせる。

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