Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。


北群馬郡吉岡町北下の蚕神社の石碑。

蚕神社 (1)
蚕神社 (2)
蚕神社は正徳2年(1712年)に養蚕家・馬場重久が自宅屋敷内に板宮を建て、蚕・蛾の老廃したのを集めて祀ったもの。現存しているのはこの石碑のみであり、「三太夫重久建立」と刻まれている。また、現在の石碑の台石が当時の板宮の台石だったといわれている。

正徳2年は馬場重久が「養蚕育手鑑」を刊行した年にあたる。「養蚕育手鑑」は民間の養蚕書としては国内で最も古い。

蚕神社 (3)
隣に石宮があるが、詳細は不明。

関連
 「馬場重久の顕彰碑 -北下諏訪神社-
 「養蚕家・馬場重久の墓


渋川市横堀の大鳥神社。

大鳥神社 (1)
大鳥神社 (2)
大鳥神社の由緒は不詳。ご祭神が日本武尊であることから、和泉国一宮である大鳥大社からの勧請と推定される。吾妻郡を中心に群馬県内には日本武尊の伝説が多数残されており、当地にも何らかの伝承があるのかもしれない。

例えば吾妻川の対岸にあたる東吾妻町の奥田白鳥神社は、日本武尊が東征のおり休息された場所だとされる。また、安中市の飽馬神社は日本武尊が乗馬に飽きて、馬から降り休息した場所だとされる。(「東吾妻町・奥田白鳥神社」「日本武尊伝説 ー飽馬神社ー」参照)

大鳥神社 (3)
石段途中の灯籠には安永2年(1773年)の銘があった。

大鳥神社 (4)
大鳥神社 (5)
社殿の建立年などは不明。

大鳥神社 (6)
大鳥神社 (7)
天満宮(写真上)などの境内社・末社群。

大鳥神社 (8)
大鳥神社 (9)
境内の日露戦役紀念碑と支那事変・大東亜戦争記念碑。いずれも昭和58年(1983年)の建立(日露戦役碑は再建)。戦没者供養塔である。

大鳥神社 (10
大鳥神社 (11)
訪問時、ちょうど神社隣りの畑に生えている柚子を収穫している方がいた。写真では分かりづらいが撓わに実っており、「少し持っていけ」とくださった。もうすぐ冬至なので、お風呂に入れて柚子湯にしよう。


渋川市横堀の大山祇神社。

横堀大山祇神社 (1)
横堀大山祇神社 (2)
横堀大山祇神社の由緒は不詳。明治40年(1907年)までは十二神社と称し、地元の方々は十二様と親しみ崇敬してきた。

鳥居は明治28年(1895年)の建立。扁額は「祗」(つくりの氏の下に一本棒)になっている。

横堀大山祇神社 (3)
横堀大山祇神社 (4)
現在の社殿は平成4年(1992年)の建立。旧社殿は寛保3年(1743年)の棟札が残されている。横堀地区は寛保2年(1742年)に大火に見舞われていることから、大山祇神社も被害に逢い翌年再建されたのではないだろうか。

横堀大山祇神社 (5)
神楽殿も平成4年(1992年)の建立。春と秋の例祭には太々神楽が奉納される。

横堀大山祇神社 (6)
横堀大山祇神社 (7)
境内社・末社群。塔形式は金比羅大権現。

横堀大山祇神社 (8)
社殿裏の大藤。高さ(長さ)23.3m、目通り3.4m、根元周り4.4m。樹齢は約270年とされる。以前は榎2本、杉2本、イチョウ1本の計5本に巻き付いていたが、榎が枯れ樹勢が衰えてきたため平成4年(1992年)に藤棚を設置し現在の景観となった。

大藤は横堀宿の度々の大火を免れてきたとあるが、推定樹齢から逆算すると寛保2年の大火後に植樹された計算になる。横堀宿が何度大火に見舞われたのか知らないが、寛保2年以後の大火を免れたってことかな。


渋川市、吉岡町、榛東村

渋川市
渋川市白井・城山不動尊
渋川市白井・神明宮 & 明蔵院跡
渋川市白井・白井宿 その2
渋川市白井・白井宿
白井長尾氏の築城 ー白井城址ー
渋川市内最古の石鳥居 -八木原諏訪神社-
旧子持村最古の道しるべ -三国街道の道しるべ-
利根川の断崖上に鎮座 -上白井厳島神社-
藤原季長の屋敷神 -作間神社-
小野金善の天之御中主像を祀る -七社神社-
渋川市・祖母島のキンモクセイ
武内宿禰がご祭神 -武内神社-
白井長尾氏の祖・長尾清景の創建 -金井八坂神社-
旧長尾村吹屋地区の総鎮守 -白井愛宕神社-
豊城入彦命の創建? -中村早尾神社-
小林源八作の本殿彫刻 -半田早尾神社-
渋川市・辰巳稲荷神社
白井城主・長尾憲景の開基 -玄棟院-
渋川市・満行山泰叟寺
上野国五之宮? -若伊香保神社-
渋川市有馬・渠口神社
恵心僧都作の聖観音像 -神宮寺-
渋川市埋蔵文化財センター
渋川市北橘町・厄除け観音別所堂
江戸時代の年貢貯蔵庫 その3 -小室郷蔵-
男性助産師・石田伍助の供養塔
渋川市北橘町・応永15年の宝篋印塔
渋川市赤城町・いなり塚古墳
円形の句碑・齋坊塔(花塚) -御前神社-
渋川市・大宮姫神社
渋川市白井・玉椿の道祖神
渋川市・松原の道しるべ
利修仙人伝説 -鳳来寺峯薬師堂-
溝呂木の大ケヤキ -溝呂木諏訪神社-
渋川市北橘町・上箱田の大クワ
白井長尾氏累代の墓 -空恵寺 その2-
角田無幻道人の遺髪塚
盗品除けの神 -千石稲荷神社-
特殊機構の廻り舞台 -上三原田の歌舞伎舞台-
旧子持村最古の神社建築 -中郷菅原神社-
渋川市・中ノ峯古墳
渋川市・人助けのカヤ
賑貸感恩碑 -興福寺-
絵師・根本常南の墓
群馬県最古の竪穴式住居 -八木沢清水縄文時代住居跡-
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
渋川市・如意山良珊寺
永享の五輪塔 -千音寺跡-
漢学者・堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓 -遍照寺-
渋川郷学の祖・吉田芝渓の墓
渋川市・下郷の子育地蔵
渋川市・下郷の大クワ
文安の薬師石堂 -渋川・延命寺-
金島の浅間石 & 中村の浅間石
山寄せ式円墳 -金井古墳-
渋川市北橘町・赤城山雙玄寺
渋川市北橘町・八崎の立石
天井の間引き絵 -角谷戸薬師堂-
渋川市北橘町・東円山観音堂
渋川市北橘町・小室敷石住居跡
渋川市北橘町下南室・赤城神社
木曽義仲の首塚(?)上に鎮座 -木曽三柱神社-
首飾りの古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター・発掘情報館 その2-
渋川市津久田・人形舞台
敷島のキンメイチク(金明竹) -上の森八幡宮-
渋川市津久田・赤城護国神社
渋川市津久田・鏡の森歌舞伎舞台
関口文次郎の本殿彫刻 -渋川市津久田・赤城神社-
静寂の古社 -子持神社-
新田一門・大島氏の墓 -大島家墓地の石堂墓石-
非思量庭(えもいわれぬ◯◯◯のお庭) -福増寺-
永岡形部左衛門の墓 -興禅寺 その2-
三原田の宝篋印塔群 -興禅寺-
北牧の氏神様 -若子持神社-
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚 -雙林寺 その2-
江戸時代初期の農家造り -旧入沢家住宅-
渋川市・虚空蔵塚古墳
渋川市・横堀宿の三国街道一里塚
渋川金井宿の分水石と滝不動
旧塩川温泉・湯前薬師石堂
大自然の芸術作品 -かに石甌穴-
三国街道金井宿本陣跡
里見義秀の供養塔? -金蔵寺-
断崖の懸崖造り御堂 -岩井堂観世音御堂-
日本のポンペイ その2 -中筋遺跡-
武田信玄の愛馬を供養 -駒形社-
日本のポンペイ -黒井峯遺跡-
群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-
上野国四之宮 -渋川・甲波祝禰神社-
伊香保森林公園・わしの巣風穴
佐渡奉行街道の道しるべ その2
滝沢石器時代遺跡
勝保沢の十一面観音堂 -宗玄寺-
渋川市赤城歴史資料館
名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-
北橘のシンボルタワー -佐久発電所-
渋川市北橘歴史資料館
渋川市上白井・空恵寺
雙林寺の七不思議 -雙林寺-
本多氏ゆかりの寺 -源空寺-
真光寺の重要文化財
聖獣が一番印象に残った -真光寺-
渋川氏の祖・義顕の創建 -渋川八幡宮-
水澤観音 -水澤寺-
閉館中でした -旧ハワイ王国公使別邸-   
伊香保御関所(伊香保口留番所)
断崖絶壁の山城 -長井坂城跡-
伊香保温泉の石段を最後まで登ると・・・ -伊香保神社-


吉岡町
葛原親王の創建? -小出神社-
馬場重久の顕彰碑 -北下諏訪神社-
桃井尚義の創建? -大藪八幡宮-
伝・桃井直常の墓 その2 -金剛寺跡-
伝・桃井直常の墓 -桃井塚-
鬼面石祠 -下八幡宮-
雨乞い祈願の霊験碑 -大宮神社-
養蚕家・馬場重久の墓
伊香保 おもちゃと人形 自動車博物館
三国街道の一里塚
伊香保(水沢)街道野田宿・森田宗家
佐渡奉行街道の道しるべ
空から飛来した観音様 -矢落観音-
葺石がすご過ぎ(笑) -滝沢古墳-
珍しい正八角形墳 -三津屋古墳-
吉岡・南下古墳群 その4 -E号古墳&F号古墳-
吉岡・南下古墳群 その3 -C号古墳&D号古墳-
吉岡・南下古墳群 その2 -B号古墳-
吉岡・南下古墳群 その1 -A号古墳-
伊香保神社の里宮 -三宮神社-
用水路にある発電所 -天狗岩水力発電所-


榛東村
石原流の社殿彫刻 -宿稲荷神社-
十二神将が護る厨子 -榛東村・東光寺-
榛東村・御堀地蔵堂の板碑
桃井氏の居城 -桃井(西)城跡-
最澄の創建、真雅の改宗 -字輪寺-
弁慶の遺書 -黒髪山神社 その2-
旧新井村の守護神 -榛東村・新井八幡宮-
道元の典座教訓像 -宮昌寺-
奈良時代の創建 -聖宮神社-
有栖川熾仁親王がご祭神 -有栖川宮神社-
相馬山信仰 -黒髪山神社-
群馬の創作こけし -卯三郎こけし-
平(千葉)常将を祀る -常将神社-
五重塔がある! -柳沢寺-
意外に楽しめる -榛東村耳飾り館-



渋川市白井の城山不動尊。

城山不動尊 (1)
城山不動尊の創建は不詳。白井城の櫓台跡に鎮座しているので、白井城が廃城となった元和9年(1623年)以降となる。ここは不動塚古墳と呼ばれる円墳で、直径20m、高さ5m。白井城の櫓台として使用されていたため、古墳として見れば改変されている。

城山不動尊 (3)
現在のお堂は大正12年(1923年)の建立。地域住民の疫病退散を祈願してのもの。

城山不動尊 (4)
不動明王像は像高50cmの木製で、元文4年(1739年)の造立。施主(願主)は沼田出身の高野源六吉春、仏師も沼田出身の金子右門近慶。

城山不動尊 (5)
城山不動尊 (6)
境内の納経塔は享保7年(1722年)、宝篋印塔は元文4年(1739年)の造立。

不動明王像や境内の遺物から考えるに、不動堂の創建は江戸中期の享保・元文年間(1716~41年)と推定される(個人的意見)。


渋川市白井の神明宮と明蔵院跡。

白井神明宮 (1)
白井神明宮は文治年間(1185~90年)の創建と伝わる。この地域はもともと伊勢神宮の御厨地であったため、神明宮が勧請されたと考えられる。その後、15世紀前半に白井城が築城され、城下町(白井宿)が形成されると、白井宿の鎮守となり住民からの信仰も厚くなった。

白井城の土塁・切岸上に鎮座し、白井宿から石段が築かれている。

白井神明宮 (2)
白井神明宮 (3)
質素な社殿で、地域の神社といった感じ。元禄年間(1688~1704年)の記録でも社地は120坪(約400平方m)とあり、それほど広いというわけではない。

明蔵院跡
当地には白井神明宮の別当寺であった長福山明蔵院があった。明蔵院は「白井城三院」と呼ばれた寺院のひとつ。明治初年の神仏分離、廃仏毀釈などの影響により廃寺となっている。明治6年(1873年)には廃寺となった明蔵院を使用し、白井小学校が開校している。しかし明治31年(1898年)の白井町の大火により焼失している。

現在は神明宮への石段下に墓地が残るのみである。墓地には石碑が多数建立されている他、金井家(白井宿の叶屋)の墓などがある。

ちなみに「白井城三院」とは、長福山明蔵院、留趯山多聞院、金光山玄棟院の3寺。明蔵院だけでなく多聞院も廃寺となり、現在寺院として残るのは玄棟院のみである。

関連
 「白井長尾氏の築城 ー白井城址ー
 「渋川市白井・白井宿
 「白井城主・長尾憲景の開基 -玄棟院-


渋川市白井の白井宿の2回目。
今回は宿内の石造物などの紹介。(歴史や町並みは「渋川市白井・白井宿」参照)

白井宿 (1)
白井宿の北の入口にあたる北木戸口すぐにある「清水下の地蔵尊」。享保元年(1716年)の造立で、総高230cmの大型比丘形。子どもの夜泣きに効くとのことから、願をかける家が多くあった。

白井宿 (2)
同じく北城戸口に鎮座する琴平宮。総高151cmの石宮は、信州・木洗馬の渡辺門司郎の作とされる。

白井宿 (3)
天台宗の学僧・尭恵法印の歌碑。文明13年(1486年)に白井城に立ち寄った尭恵が、歌の会で詠んだ「月と共に神を詠む」と題した歌。

尭恵は諸国を巡り「善光寺紀行」「北国紀行」などの紀行文を著している。白井城に立ち寄ったのは、この「北国紀行」として著された旅の途中である。

白井宿 (4)
白井町の道しるべ。白井堰の傍らに建てられており、高さ170cm・幅38cmである。建立は江戸末の嘉永2年(1849年)。

白井宿 (5)
白井宿 (6)
寛永元年(1624年)薬師の井戸掘削中に、底にまばゆく光る虎にまたがる薬師如来像が見つかった。この薬師如来像を「虎薬師」と名付け、お堂を建てて祀ることとした。以来、薬師の井戸は涸れることなく、現在も多くの家で使われている。

白井宿 (7)
羅漢水の塔(法華経供養塔)。白井宿は水利の便が悪かったため、薬師の井戸・延命水の井戸が掘られていたが、それだけでは宿全体の飲料水としては不足していた。そこで叶屋(金井氏)が私財を投じ、寛政7年(1795年)に掘ったのが羅漢水の井戸。井戸の成功を祈り十六羅漢の供養を行ったことから「羅漢水」と命名された。

また雙林寺37世・玉州大泉が「羅漢井記」を記したことから、それを刻んだ法華経供養塔を寛政11年(1799年)に建立している。

白井宿 (8)
万葉歌碑。「利根川の川瀬も知らず直渡り 波に逢ふのす逢える君かも」。

白井宿 (9)
地蔵尊石堂。北向に建てられているので北向地蔵尊と呼ばれる。建立は延享3年(1746年)。北向きなのは町への入口(木戸口)が、地蔵尊から見て北にあるからといわれる。総高296cm。

江戸末に他所に遷されていたが、明治11年(1878年)の元の場所に再建(再遷座)している。


渋川市白井の白井宿。

白井宿 (1)
白井宿 (2)
白井宿は「宿」と呼ばれているが、その西山側にあった白井城の城下町として形成されている。(白井城は「白井長尾氏の築城 ー白井城址ー」参照)

白井は吾妻川と利根川が合流し、それぞれの街道が四方に交差する交通の要所であったため、武田氏や上杉氏、北条氏が白井城をめぐり攻防を繰りひろげた。天正18年(1590年)徳川家康の関東入府により白井藩となり、本多康重・松平康長・井伊直孝・西尾忠永・本多紀貞と藩主が変わったが、元和9年(1623年)に廃藩。

寛永元年(1624年)からは旗本領として分割されたが、旧城下町は六斎市の立つ市場町として栄えている。これは先にも書いたように交通の要所(利根川・吾妻川の海運も含め)で、利便性が良かったため。

取り扱われた品目は麻・繭糸・木綿・真綿・煙草・塩・茶・米など多岐に渡り、商圏は3郡24村に及んだといわれる。元禄13年(1700年)には酒蔵も5軒あった。経済の発展とともに宿場町のように賑わったので「宿」と呼ぶ者もいた。そのため白井宿と呼ばれるようになったとされる。

白井宿 (3)
白井宿 (4)
白井宿 (5)
町並みの中央には白井堰があり、雨水などの排水溝の役割を果たしている。

白井宿 (6)
堰に沿って複数の井戸がある。薬師の井戸(写真)は寛永元年(1624年)に掘られた最初の井戸。枯渇したことがないとされ、現在も多くの家で使用されている。他は宝永年間(1704~11年)、寛政7年(1795年)の江戸時代以外にも、明治や昭和に掘られた井戸もある。

白井宿 (7)
白井宿は過去3度(江戸期2回、明治)大火に見舞われ、家並みの大半が焼失し遺構もほとんどなくなっている。土蔵造りの家並みが残っているのは2軒のみである。

現在は堰に沿って八重桜が植栽され、春には綺麗な花を咲かせる。それに合わせ、毎年4月には戦国武将などの衣装を身にまとった武者行列が行われる他、農産物・特産品を販売する六斎市が開催される(白井宿八重ざくら祭り)。

今年の八重ざくら祭は新型コロナ禍のため中止だったが、来年はどうだろう?


渋川市白井の白井城址。

白井城址 (1)
白井城址 (2)
白井城の築城時期は不明だが、南北朝期に長尾氏7代・忠景が白井を領し、白井長尾氏を継いだ景仲が築いたとされる。景仲が家督を継いだのが応永8年(1401年)で没年が寛正4年(1463年)なので、築城は15世紀前半あたりとなる。

その後、戦国時代に入ると白井長尾氏は武田氏、北条氏の配下となったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の北条攻めで没落。徳川領となると白井藩の居城となるも、元和9年(1623年)白井藩の廃藩とともに廃城となっている。

白井城址 (3)
白井城址 (4)
本丸跡。土塁を巡らせている(一部石積み)。戦国時代の遺構ではなく、本多氏入部以降に整備された形状と考えられている。

平成16年(2004年)に本丸部分が旧子持村(現、渋川市)の史跡に指定されたため、よく整備・保存されている。

白井城址 (5)
白井城址 (6)
白井城址 (7)
素人目にも堀や土塁の形状がよく分かる。

白井城址 (8)
堀は基本的に空堀だが、本丸前方東側の三日月堀は白井城唯一の水堀。これは武田氏築城法によって築かれた名残といわれる。

白井宿側から上って行ったので、二の丸・三の丸方面へは行っていないが、現在は農地化している。


中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村

中之条町
中之条町市城・仏体山宗福寺
中之条町平・北野山林昌院
中之条町大塚・大塚観音堂
中之条町・北向三十三番観世音
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僧・空閑の墓
明治時代の小学校建築 -旧五反田学校-
伊勢の森 -中之条町・伊勢神宮-
小渕恵三元首相の銅像 -中之条町ツインプラザ-
中之条町・桃瀬の水牢跡
妙全杉 -龍沢寺-
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小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
観音を巨木が囲む清見寺 -清見寺-
中之条祇園の絵馬 -稲荷石稲荷神社-
南北朝期の宝篋印塔 -宗本寺-
日本武尊を祀る その2 -吾嬬神社-
第四十五番の金銅善光寺三尊仏 -善福寺-
明治時代の旅人宿 -白井屋-
通称「カクイチ」 -町田家住宅-
嵩山を祀る里宮 -吾妻神社-
日本最古の養蚕農家住宅 -冨澤家住宅-
眠る男??? -伊参スタジオ公園-
嵩山(たけやま)が御神体 -親都神社-
中之条のシンボル -嵩山(たけやま)-
見事なまでの廃れっぷり -薬王園-
変化する水面(みなも) -四万川ダム/奥四万湖-
病魔退散の薬王水 -薬王寺-
四万温泉・日向見薬師堂
水量が多くて良く見えませんでした -四万の甌穴-
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北軽の滝 -浅間大滝 & 魚止めの滝-
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火山について楽しく学べる? -浅間火山博物館-


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草津温泉・泣き燈籠
エメラルドグリーンの酸性湖 -草津白根山・湯釜-
草津温泉・白旗源泉と頼朝宮
平九塚と皇大神宮
木曽義仲の「残党」の伝説 -武具脱の池-
草津温泉の碑 その3
草津温泉の碑 その2
草津温泉の碑
草津ビジターセンター
草津温泉・西の河原公園   
芸術家ねぇ~(笑) -片岡鶴太郎美術館-
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日本武尊を祀る -白根神社-
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嬬恋村
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生死を分けた15段 -鎌原観音堂-
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東吾妻町
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真田信利寄進の鳥居 -川戸浅間神社-
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富豪・加部安左衛門寄進の石灯籠 -畔宇治神社-
源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-
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東吾妻町・行沢の木造馬頭観音立像
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神代杉 -矢倉鳥頭神社-
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代官・岡上景親の創建 -岩久保観音堂-
岡上生祠 -岡崎榛名神社-
ハート形土偶出土地
東吾妻町・大宮巌鼓神社
茅葺の本堂 -長徳寺-
富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-
吾妻太郎行盛の首級を祀る -川戸神社-
斎藤憲広の怨念? 善導寺の怪火 -東吾妻町・善導寺-
武田勝頼の御殿を移築? -顕徳寺-
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
日本名水百選「箱島湧水」
未来のエネルギー? -吾妻バイオパワー-
東吾妻町・甲波宿禰神社
澄んだ水とは裏腹に・・・ -水牢跡-
残念ながら枯死寸前 -原町の大ケヤキ-
日本武尊が植えた? -神代杉-
苦労して登ったわりには・・・ -仙人窟-
国定忠治終焉の地 その3 -とまどいの松-
国定忠治終焉の地 その2 -処刑場跡-
国定忠治終焉の地 -大戸関所跡-


高山村
高山村尻高・鏜々(どうどう)淵
高山村尻高・添うが森 & 添わずが森
高山村尻高・熊野神社
高山村中山・界中山法信寺
高山村中山・中峰山雙松寺
高山村中山・中山神社
高山村・なぎなた坂の歌碑
高山村「田んぼアート2021」は鳳凰
高山村「田んぼアート2020」は妖怪・アマビエ
高山村「田んぼアート」2019
高山村「田んぼアート」2018
高山村「田んぼアート」2017
立派な天文台だ! -ぐんま天文台-
「ぐんまちゃんと」と「くまモン」 -高山村・田んぼアート-
県内最古の教会建築 -名久多教会-
三国街道中山宿
北向観世音 -福蔵寺-
藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願に植えた杉 -中山三島神社-
高山村・中山敷石住居跡
源頼朝が植えた高野槇 -泉龍寺-
歌人若山牧水 ここに休む -高山村・牧水歌碑-
甦るヨーロッパの古城 その3 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 その2 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 -ロックハート城-


吾妻郡中之条町市城の仏体山宗福寺。

宗福寺 (2)
宗福寺は天文年間(1532~55年)に僧・大空が清明山十王寺を創建したのが始まり。その後衰退していたが、寛永9年(1632年)に僧・大通が現在地に再建、仏体山宗福寺となる。

宗福寺 (3)
宗福寺 (4)
本堂は数度の火災に見舞われたが、明治27年(1894年)に再建されている。

宗福寺 (5)
本堂前には池などがあしらわれ、庭園っぽくなっている。

宗福寺 (6)
境内には如意輪観音などの石仏が並んでいる。

明治41年(1908年)御座右不動堂を合併。不動明王も本堂に祀られている。


吾妻郡中之条町平の北野山林昌寺。

林昌院 (1)
林昌院は慶長18年(1613年)観芝文察という僧が関小左衛門と協力し創建したといわれる。開山が観芝文察、開基が関小左衛門ということになる。

林昌院 (2)
林昌院 (3)
参道(石段)脇には石仏群や普門品供養塔などが並ぶ。

林昌院 (4)
文政13年(1831年)に堂塔楼廓門に至るまで焼失。天保9年(1839年)に檀徒の協力もあり再建。本堂には本尊の釈迦牟尼仏を祀る。大正2年(1913年)に高津観音堂と長久保薬師堂を合併。境内にお堂の類いが見えなかったので、観音菩薩、薬師如来も本堂に祀られているようだ。

林昌院 (5)
林昌院 (6)
鐘楼は大正5年(1916年)の建立。

林昌院 (7)
境内の六地蔵。平成15年(2003年)の造立。

林昌院 (8)
仏足石。足下二輪相仕様だ。

林昌院 (9)
本堂前には達磨大師の石像があった。ちなみに、達磨大師は中国禅宗の開祖とされているインドの僧。壁に向かって9年間座禅を続け、悟りを開いたという。そのため手足が腐ってしまったという伝説から、玩具としての「ダルマ」ができている。これは現在も「福ダルマ」「縁起ダルマ」として、多くの商店や家庭に飾られている。


吾妻郡中之条町大塚の大塚観音堂。
西向きに立てられているので、通称・西向観音と呼ばれる。

大塚観音堂 (1)
大塚観音堂は弘仁年間(810~24年)に榛名山大坊満行院菩提寺よりこの地に分かれ、無量山菩提寺として創建されたと伝わる。その後衰退していたが、大永年間(1521~28年)に再興されている。

詳細は不明だが、この時に観音堂のみとなったのかな。それとも、元々無量山菩提寺が観音菩薩を本尊とする寺院だったのか。

他説では、再興は江戸時代に入ってからの元禄3年(1690年)に、林権左衛門幸盛ら9名によるともされる。

大塚観音堂 (2)
観音堂の建立年は不明だが、昭和51年(1976年)に道路拡幅工事に伴い若干移動しているようだ。

大塚観音堂 (3)
大塚観音堂 (4)
堂内の観音さま。聖観音菩薩だと思う。

大塚観音堂 (5)
境内には常夜灯や石塔・石仏などが置かれている。左の常夜灯は寛政4年(1792年)の奉納。

大塚観音堂は吾妻33番観音札所の33番霊場にあたる。吾妻観音霊場は永延2年(988年)に整備されたとされる。その由来は坂東の聖地を巡礼していた花山法皇以下11名の高僧の元に熊野権現が現れ、「吾妻の人々の心は荒んでいて、このままではみな地獄へ墜ちてしまいます。私が道案内しますので、人々をお救いください」と懇願したと言う。これにより法皇らは吾妻の地を巡り、吾妻観音霊場(33ヶ所)を整備したとされる。

花山法皇(天皇の出家後の尊称)は、熊野から33ヶ所の観音霊場を十数年にわたり巡礼し、その33ヶ所は現在も「西国33所巡礼」として継承されている。永延2年は花山法皇が出家して3年目にあたり尤もらしい年代だが、さすがに法皇が坂東の吾妻まで下ってくることはないだろう。

関連
 「高山村尻高・熊野神社


吾妻郡高山村尻高の鏜々(どうどう)淵。

鏜々淵 (1)
鏜々淵 (2)
名久田川の流れがいくつかの滝となり、その下が深い淵となっている場所がある。その滝の音が「どうどう」と遠くまで響いたので「鏜々淵」と呼ばれている。現在は水量が減少し、その光景は見られないようだ。

ここには川床のくぼみに落ちた小石が川の流れで回り、長い年月をかけて穴を掘った甌穴(ポットホール)も見ることができる。大きなものは径20cm、深さ50cmもある。実際には近くまで行けなかったので見られてないけど。

甌穴は中之条町付近の四万川や渋川市村上の吾妻川でも見られる。下記参照。
 「水量が多く良く見えませんでした -四万の甌穴-
 「大自然の芸術作品 -かに石甌穴-

鏜々淵には「椀貸伝説」や「龍宮伝説」が残っている。

「椀貸伝説」は、人寄せで膳椀が足りないので泉照寺(現、龍泉寺)へ借りに行ったところ、住職がこの淵に立って祈りを捧げると膳椀が淵の中から現れた。用が済んで淵に返しに行くと川底へ沈んでいった。この話が広まり、どの家でも椀を借りるようになったが、ある家で椀を壊し返さないことがあってから、借りることができなくなってしまった。

「龍宮伝説」は、与五右衛門という人が鏜々淵に鉈(なた)を落としてしまった。鉈を拾おうと淵に潜ると、着物を着た女性たちが酒や料理を振る舞っくれた。宴を楽しんだ後、家へ帰ると自分の葬式が行われていた。驚く家族・知り合いに淵の話を聞かせた。後年、与五右衛門が死の間際、鏜々淵で飲んだ酒が飲みたいので、ひょうたんを浮かべてみよと言う。その通りすると、ひょうたんは沈み、酒がいっぱい入って返ってきた。与五右衛門は大変喜び、嬉しそうに酒を飲み最期を迎えたという。

似たような伝説
 「蓮池と渡月橋 -長楽寺 その5-
 「浦島太郎伝説 -龍神宮-


上州まったり紀行の中から「お墓・供養塔」に関するものをリスト化したもの。一応、有名人・著名人、歴史的な人物(氏族)が対象。中には、「伝」・「?」も多いけどね(笑)。


前橋市(旧郡部を除く)
佐藤垢石の墓(福徳寺)
和尚六部の墓(前橋市古市町公民館)
大室太郎の墓(観昌寺)
岩佐直治中佐の墓(松竹院)
前橋藩酒井家家老・高須隼人の墓(正幸寺)
平敦盛の供養塔(泉蔵寺)
石田玄圭の墓
静御前のお墓?
赤穂浪士・矢頭右衛門七の母の墓(大蓮寺)
新田義貞の首級を持ち帰った(?)「覚明」の墓(宝禅寺)
中臣羽鳥連の墓(釈迦尊寺)
名馬・磨墨の墓(祝昌寺)
酒井忠世家臣・本城氏の墓(長昌寺)
初代前橋市長・下村善太郎の墓(龍海院)
剣聖・上泉信綱の墓(西林寺)
石川氏の墓(最善寺)
常盤御前のお墓?(極楽寺)
静御前のお墓?(養行寺)
萩原朔太郎のお墓(政淳寺)
淀君のお墓?(元景寺)
秋元氏歴代の墓所
德川譜代・酒井家累代の墓(龍海院)


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)
香川昇三・綾夫妻の墓(応昌寺)
大前田英五郎の墓 その2
牧野家家老・山本帯刀の墓(長興寺)
伊勢崎藩主・稲垣長茂両親の墓(長興寺)
満蒙開拓移民の父・東宮鐡男陸軍大佐の墓(金剛寺)
北爪将監の供養塔(赤城寺)
梶原景時父子の墓?(珊瑚寺)
牧野家の菩提寺(養林寺)
大胡太郎(藤原重俊)の墓(長善寺)
大前田英五郎の墓
船津傳次平の墓


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)
金井烏洲と一族の墓
国定忠治の墓 その2(善応寺)
俳人・栗庵似鳩の墓
板垣信方の墓(常清寺)
伊勢崎藩の藩校教授・浦野神村の墓
沼田景義のご子孫の墓(泉龍寺)
那波宗広の墓(泉龍寺)
大谷義継の孫・大谷隆昌の墓(龍昌院)
跡部氏累代の墓(紅厳寺跡)
弥勒寺音次郎・音八父子の墓
福島泰蔵大尉の墓(天人寺)
村上随憲の墓(長光寺)   
那波教元の墓?(富塚円福寺)
駒井政直・親直の墓(宝幢院)
駒井氏累代の墓(竹芳寺)
斎藤宜義の墓(宝蔵寺)
小畠武堯の墓(善応寺)
伊勢崎藩家老・関當義・重嶷父子の墓(同聚院)
那波小太郎・小次郎の墓(天増寺)
稲垣氏累代の墓(天増寺)
藤原秀郷(俵藤太)の供養塔(宝珠寺)
国定忠治の墓(養寿寺)


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)
男性助産師・石田伍助の供養塔
白井長尾氏累代の墓(空恵寺)
角田無幻道人の遺髪塚
絵師・根本常南の墓
白井長尾氏家臣・飯塚大学の石堂
宮大工・岸豊後守積保の墓
堀口藍園の墓
高橋蘭斎の墓(遍照寺)
吉田芝渓の墓
伝・桃井直常の墓 その2(金剛寺跡)
伝・桃井直常の墓
新田一門・大島氏の墓
永岡形部左衛門の墓(興禅寺)
三原田城主・永井氏累代の墓(興禅寺)
山崎石燕の墓と鳥酔翁塚(雙林寺)
養蚕家・馬場重久の墓
里見義秀の供養塔?(金蔵寺)
本多廣孝の墓(源空寺)
木暮足翁の墓(真光寺)


高崎市(旧郡部を除く)
新田義重の墓?(永福寺)
熊の墓(妙音寺)
高崎五万石騒動中総代・山田勝弥の墓
高崎五万石騒動大総代・小島文次郎の墓(大森院)
高崎五万石騒動大総代・佐藤三喜蔵の墓(普門寺)
高崎五万石騒動大総代・高井喜三郎の墓
七士殉職供養塔
小栗上野介忠順の養嗣子・又一忠道の墓
軍師・山本勘助の子孫の墓(大雲寺)
稲川政右衛門の墓(常安寺)
根津政直の墓(常安寺)
お染の墓(木部町安楽寺)
木部範虎の墓(心洞寺)
木部白満の墓(光台寺)
岩鼻代官・吉川栄左衛門の墓(岩鼻町観音寺)
内村鑑三家の墓(若松町光明寺)
飯盛り女の墓(九品寺)
江原源衛左門重久の墓(慈眼寺)
井上保三郎の墓(荘厳寺)
長野氏累代の墓 その2(来迎寺)
徳川忠長の墓(大信寺)
元ロシア人兵士の墓(龍廣寺)
村上鬼城の墓(龍廣寺)
倉賀野城主・金井秀景の墓(永泉寺)


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)
斎藤利安の墓(弘福寺)
高崎藩絵師・応処斎渕臨の墓
義民・白田六右衛門の墓(龍源寺)
井伊直勝の側室の墓(仁叟寺)
地頭・長谷川氏の墓/地頭・溝口豊前守勝信の墓(仁叟寺)
奧平貞訓の墓(仁叟寺)
吉井藩代官・橳島家3代の墓(法林寺)
菅沼定利の墓(玄太寺)
義民・三木市右衛門の墓
竹本百合太夫の墓
竹本土佐太夫の墓
長野業盛夫人・藤鶴姫の墓
長谷川勘蔵の墓(光心寺)
榛名山座主・快尊、忠尊、快承の墓
長野業正の長男・吉業の墓(善龍寺)
由良国繁の墓?(金龍寺)
木部姫の供養塔(御沼オカミ神社)
織田信長、細川興秋の供養塔(弥勒寺)
火打金鍛冶職人・中野孫三郎の墓
土師清大夫の墓(浄泉寺)
大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻の継室の墓(宝勝寺)
福田赳夫元首相の墓(徳昌寺)
小串氏の墓所(地勝寺)
井伊直政の継父・松下源太郎の墓(龍門寺)
内藤昌豊・昌月父子の墓(善龍寺)
伝・長野業盛の墓
長野業正の墓(長純寺)
長野氏累代の墓(長年寺)
小栗上野介の墓(東善寺)


安中市
安中藩士・関島成章の墓(慈恩寺)
中山道坂本宿 下の本陣・金井家の墓(青松寺)
金井忠兵衛の墓
安中忠政の墓(全性寺)
医学者・荒木寅三郎の墓
山田三川の墓(龍昌寺)
新島襄の祖父と弟の墓(妙光院)
安中草三郎の妻・歌の墓?(東光院)
安中忠親の墓(桂昌寺)
安中忠清の墓(久昌寺)
下曽根氏累代の墓(信照寺)
詩人・大手拓次の墓
伊勢義盛の墓?(常楽寺)
碓氷定光の供養塔(金剛寺)
依田政知と後閑信純の墓(長源寺)
磯貝雲峰の墓(自性寺)
高崎藩主松平康長の娘・露姫の墓(実相寺)
大道寺政繁の墓(補陀寺)
簗瀬八幡平の首塚
太山融斉と柏木義圓の墓(西廣寺)
妖怪・チャンコロリンの墓(大泉寺)
小野栄重の墓(南窓寺)
井伊直政正室・唐梅院の墓(大泉寺)
伝佐々木盛綱夫妻の墓(松岸寺)
伝赤穂藩士・大野九郎兵衛の墓(松岸寺)


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)
下仁田戦争・水戸天狗党戦死者の墓
小幡氏歴代の墓(興巌寺)
小幡藩織田家家老・吉田玄番家累代の墓(宝勝寺)
横尾丹波守吉泉の墓
稲部市五郎種昌の墓(金剛院)
橋本暮村の墓(伝宗寺)
高田大和守憲頼の墓(陽雲寺)
伝・庭屋氏累代の墓
七日市藩主・前田家御宝塔
富岡製紙工女の墓 その2(海源寺)
高橋道斎の墓(常住寺)
お菊の墓 その2
前田利家側室・明運尼の墓(永心寺)
長岡家歴代党首のの墓
お菊の墓(宝積寺)
小幡氏歴代の墓(宝積寺)
七日市藩歴代藩主の墓(長学寺)
富岡製紙工女の墓(龍光寺)
織田信雄の墓


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)
小林出羽守政忠の墓(泉通寺)
義民・馬之助の墓(興春寺)
僧・実相の墓(光源院)
伝足利義輝の孫・木喰覚海上人の墓(光源院)
高山社2代目社長・町田菊次郎の墓(龍田寺)
芦田康勝の室・了源院の墓(天龍寺)
長谷川長源夫妻の墓(祖師堂)
道忠禅師の供養塔(浄法寺)
木地師の墓 その2(泉龍寺)
木地師の墓(宝蔵寺)
長谷川勘蔵の墓(光心寺)
土屋山城守高久の墓
松井宗直の墓 その2(光徳寺)
松井宗直の墓(源性寺)
高山遠江守重栄の墓(興禅院)
高山長五郎の墓(興禅院)
山内上杉氏累代の墓(円満寺)
菊川英山の墓(成道寺)
算聖・関孝和の墓(光徳寺)
芦田氏累代の墓(光徳寺)
長井正實の墓、依田信守・信政の墓(天陽寺)
義民 堀越三右衛門の墓


太田市(旧郡部を除く)
勾当内侍の墓(太田市・大圓寺)
新田義興の供養塔(太田・東光寺)
矢場氏累代の墓(恵林寺)
新田義忠の墓?(浄光寺)
新田義興の墓?(威光寺)
新田氏累代の墓(円福寺)
新田義貞の供養塔(金龍寺)
呑龍上人の墓・新田義重の墓(大光院)


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)
石田三成の娘・辰姫の墓(東楊寺)
初代古河公方・足利成氏の墓(東雲寺)
岩松守純・豊純父子の供養塔(長楽寺)
栄朝禅師の無縫塔(長楽寺)
世良田義季の墓?(長楽寺)
長楽寺5世・月船琛海の墓所(普光庵跡)
「日本の飛行機王」中島知久平の墓(徳性寺)
横瀬泰繁の墓?(龍得寺)
毛呂権蔵の墓(太田・普門寺)
長慶天皇の陵墓?(長慶寺)
伝・藪塚氏の墓
津軽藩代官・足立氏の墓(東楊寺)
勾当内侍の墓と新田義貞の首塚(花見塚公園)
悪源太義平の墓?(清泉寺)
岩松尚純夫妻の墓(尚純萩公園)
源義国の墓所?(義国神社)
伝・新田義重夫妻の墓
世良田義季累代の墓(長楽寺)


桐生市
大関・秀ノ山(9代横綱)の墓(定善寺)
高山彦九郎の長男・儀助の墓(定善寺)
楳本法神の墓(桐生市黒保根町・医光寺)
小田原の機利者・山上郷右衛門の供養塔(常廣寺)
桐生市名誉市民・森喜作氏の墓(大蔵院)
由良氏四天王・高橋英元の墓(祥雲寺)
下村昌伯の墓(龍泉院)
細川内膳の墓(文昌寺)
桐生氏累代の墓(西方寺)
由良成繁の墓(鳳仙寺)
彦部家の墓所(福厳寺)
伝・新田義貞の首塚(善昌寺)


みどり市
名誉県民・長谷川四郎元衆議院の墓(世音寺)
岡登景能の墓(国瑞寺)
山田氏および里見兄弟の墓


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)
大泉町上小泉・夜盗の墓
平将門の供養塔(蚕福山神宮)
富岡氏末裔・野村孫兵衛と累代の墓(宝寿院)
岡戸畊榮の墓(宝珠寺)
3世・紫峰庵夫雪、4世・紫峰庵夫雪の墓(長性寺)
奇人・秋妻十兵衛の墓(光林寺)
細谷秀国の墓所(五位堂)
初代・紫峰庵夫雪の墓(授楽寺)
大谷休泊の墓
原田種政の墓?(龍興寺)
館林騒動・三義人の供養碑(教学院)
浮世絵師・北尾重光の墓(覚応寺)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
榊原康政の孫・松平忠次の生母の墓(善長寺)
戸泉鋼作の墓(大道寺)
生田萬父祖の墓(大道寺)
田山花袋の姉の墓(常光寺)
新田義貞四天王・篠塚伊賀守重廣の墓(大信寺)
千代田町長・大谷典三氏の墓(舞木円福寺)
赤井照光の墓(光恩寺)
伝・児島高徳の墓(高徳寺)
富岡秀信の供養塔(龍泉院)
田中正造の墓(雲龍寺)
楠木正成の首塚?(楠木神社)
徳川四天王・榊原康政の墓(善導寺)
「お辻」の供養塔(善長寺)


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)
加沢平次左衛門の墓(沼田市)
海野輝幸と嫡男・幸貞の墓(海野塚)
会津藩白虎隊・町野久吉の墓
伝・真田熊之助の墓 その2(天桂寺)
伝・真田熊之助の墓
上杉謙信の供養塔(如意寺)
土岐家旧藩主の墓石(東禅寺)
発智為時の墓(東光禅寺)
薄幸の女流歌人・江口きちの墓(桂昌寺)
伝・真田信利の墓(弥勒寺)
名胡桃城代・鈴木重則の墓?(正覚寺)
真田信政三男・信武の墓(成孝院)
真田信政二男・信守の墓(舒林寺)
沼田平八郎景義の墓(沼田大明神)
真田信政側室・浜松の局の墓(東源寺)
加藤清正の孫・藤枝正良の墓(妙光寺)
真田信吉側室・慶寿院の墓(妙光寺)
真田信吉の墓(天桂寺)
真田信之正室・小松姫の墓(正覚寺)
新田義宗の墓?(雲谷寺)


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)
小野俊明(熱退)の墓 & あわび姫の墓(高山村)
僧・空閑の墓(中之条町)
富豪・加部家の墓(大運寺)
吾妻太郎行盛の墓(長福寺)
小渕恵三元首相の墓(林昌寺)
平九の墓(皇大神宮)

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