Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 吾妻郡


中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村

高山村「田んぼアート」2019
東吾妻町・萩生浅間神社
源頼朝も参拝 -須賀尾諏訪神社-
東吾妻町・佐奈神社
源義家が戦勝祈願 -一宮神社-
東吾妻町・五町田三島神社
東吾妻町・松谷神社
真田信利寄進の鳥居 -川戸浅間神社-
岩櫃城主・斎藤憲行の創建 -岩井白山神社-
鹿島のご神水 -植栗鹿島宮-
富豪・加部安左衛門寄進の石灯籠 -畔宇治神社-
源頼義・頼朝も参拝した古社 -吉岡神社-
東吾妻町・平五良観音の大杉
東吾妻町・四戸の古墳群
東吾妻町・行沢の木造馬頭観音立像
東吾妻町・新巻菅原神社
東吾妻町・岩井の背高地蔵
東吾妻町・三島鳥頭神社
神代杉 -矢倉鳥頭神社-
東吾妻町・福聚山応永寺
東吾妻町・太田神社
東吾妻町・へそ岩
東吾妻町・小泉白鳥神社
東吾妻町・奥田白鳥神社
東吾妻町・柏原の宝篋印塔
代官・岡上景親の創建 -岩久保観音堂-
岡上生祠 -岡崎榛名神社-
高山村「田んぼアート」2018
ハート形土偶出土地
高山村「田んぼアート」2017
中之条町・北向三十三番観世音
若山牧水の歌碑 -旧大岩学校-
僧・空閑の墓
明治時代の小学校建築 -旧五反田学校-
伊勢の森 -中之条町・伊勢神宮-
東吾妻町・大宮巌鼓神社
立派な天文台だ! -ぐんま天文台-
「ぐんまちゃんと」と「くまモン」 -高山村・田んぼアート-
茅葺の本堂 -長徳寺-
小渕恵三元首相の銅像 -中之条町ツインプラザ-
富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-
吾妻太郎行盛の首級を祀る -川戸神社-
斎藤憲広の怨念? 善導寺の怪火 -東吾妻町・善導寺-
武田勝頼の御殿を移築? -顕徳寺-
県内最古の教会建築 -名久多教会-
三国街道中山宿
北向観世音 -福蔵寺-
中之条町・桃瀬の水牢跡
妙全杉 -龍沢寺-
浅間山天明の大噴火の供養石地蔵 -雲林寺-
現在も残る草軽電鉄の駅舎 -北軽井沢駅舎-
北軽の滝 -浅間大滝 & 魚止めの滝-
吾妻太郎行盛の墓 -長福寺-
日本名水百選「箱島湧水」
草津温泉・伊勢宇橋の碑
草津温泉・泣き燈籠
日本国道最高地点 -国道292号渋峠付近-
エメラルドグリーンの酸性湖 -草津白根山・湯釜-
藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願に植えた杉 -中山三島神社-
高山村・中山敷石住居跡
源頼朝が植えた高野槇 -泉龍寺-
小渕恵三元首相の墓 -林昌寺-
観音を巨木が囲む清見寺 -清見寺-
中之条祇園の絵馬 -稲荷石稲荷神社-
南北朝期の宝篋印塔 -宗本寺-
日本武尊を祀る その2 -吾嬬神社-
第四十五番の金銅善光寺三尊仏 -善福寺-
明治時代の旅人宿 -白井屋-
通称「カクイチ」 -町田家住宅-
嵩山を祀る里宮 -吾妻神社-
八ッ場ダム広報センター -やんば館-
未来のエネルギー? -吾妻バイオパワー-
東吾妻町・甲波宿禰神社
歌人若山牧水 ここに休む -高山村・牧水歌碑-
甦るヨーロッパの古城 その3 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 その2 -ロックハート城-
甦るヨーロッパの古城 -ロックハート城-
草津温泉・白旗源泉と頼朝宮
平九塚と皇大神宮
木曽義仲の「残党」の伝説 -武具脱の池-
草津温泉の碑 その3
草津温泉の碑 その2
草津温泉の碑
草津ビジターセンター
草津温泉・西の河原公園   
芸術家ねぇ~(笑) -片岡鶴太郎美術館-
日本相撲協会・草津相撲研修道場
日本武尊を祀る -白根神社-
酸性河川の中和施設 -草津中和工場-
草津温泉の動物園 -草津熱帯園-
日本温泉三大薬師 -光泉寺-
草津温泉の学習 -草津温泉資料館-
草津の恩人・ベルツ博士 -ベルツ記念館-
イチロー・松井の実使用品を展示 -ベースボールスター博物館-
日本最古の養蚕農家住宅 -冨澤家住宅-
眠る男??? -伊参スタジオ公園-
嵩山(たけやま)が御神体 -親都神社-
中之条のシンボル -嵩山(たけやま)-
見事なまでの廃れっぷり -薬王園-
変化する水面(みなも) -四万川ダム/奥四万湖-
病魔退散の薬王水 -薬王寺-
四万温泉・日向見薬師堂
水量が多くて良く見えませんでした -四万の甌穴-
中之条町・歴史と民俗の博物館Musee(ミュゼ)
埋没した寺院 -延命寺跡-
生死を分けた15段 -鎌原観音堂-
嬬恋郷土資料館
火山について楽しく学べる? -浅間火山博物館-
澄んだ水とは裏腹に・・・ -水牢跡-
残念ながら枯死寸前 -原町の大ケヤキ-
日本武尊が植えた? -神代杉-
苦労して登ったわりには・・・ -仙人窟-
国定忠治終焉の地 その3 -とまどいの松-
国定忠治終焉の地 その2 -処刑場跡-
国定忠治終焉の地 -大戸関所跡-

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡高山村中山の田んぼアート。

高山村田んぼアート2019
恒例の田んぼアートだが、今年の題材は「何これ?」。左は傘を持ったネズミ? 右はタヌキ? 隣で見ていた女の子(小学校低学年くらい)も「タヌキ?」と言っていたので、オレと意見が一致(苦笑)。

高山村のHPでも2019年の作品について記載なし(2018年から更新されていない)。

「傘を持ったネズミ」と言えばストリートアーティスト・バンクシーが有名だが、関連がある? 左がネズミなら右は「ネコ」なのかも。頭上に「?」がついているのも、何か意味があるのかな。

2014年から「ぐんまちゃん」が続いていたが、ライセンス契約が5年で終わったのかも。どうせなら、高山村のキャラクター「ひかるくん」「つぼみちゃん」「いぶきちゃん」にすればいいのに(「つぼみちゃん」は2018年に登場)。知名度アップになるのに。

梅干し (1)
田んぼアートを見た後は、道の駅「中山盆地」で梅干しを買って帰るのも恒例。いつのもように「織姫」と「南高梅」の梅干しを買って帰ってきた。

関連
 「高山村『田んぼアート』2018
 「高山村『田んぼアート』2017
 「『ぐんまちゃん』と『くまモン』 -高山村・田んぼアート

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町萩生の浅間神社。

萩生浅間神社 (1)
萩生浅間神社 (2)
萩生浅間神社 (3)
萩生浅間神社は長享2年(1488年)富士山より勧請。上野国神名帳に記載されている「従三位 浅間明神」に比定されている。

萩生浅間神社 (4)
萩生浅間神社 (5)
拝殿は権現造り。近年改築(修復)されているようだ。

萩生浅間神社 (6)
繭玉が奉納されていた。日付は昭和37年(1962年)。

萩生浅間神社 (7)
輝神征四海と記された石塔。何だろう?

萩生浅間神社 (8)
萩生浅間神社 (9)
東吾妻町の神社の多くは山麓にあり、巨樹が林立しており、鎮守の森といった雰囲気・趣きを漂わせている。

萩生浅間神社の春・秋の例祭には獅子舞と雅楽が奉納される。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町須賀尾の諏訪神社。

須賀尾諏訪神社 (1)
須賀尾諏訪神社 (2)
須賀尾諏訪神社 (3)
須賀尾諏訪神社の創建は不詳。天慶2年(939年)に再建されたと伝わるので、創建はそれ以前と考えられる。また、建久4年(1193年)に源頼朝が浅間山麓での巻狩りの際に参拝したという。

須賀尾諏訪神社 (4)
須賀尾諏訪神社 (5)
社殿は享保14年の建立(その後の再建屋修築などは不明)。石敷の参道に対し社殿が少し横を向いている。

本殿は覆屋内で見えないが、三社に別れており、中央に八幡宮、右殿は諏訪神社、左殿は浅間神社となっている。これは建久4年に源頼朝が参拝した時に、鶴岡八幡宮と浅間神社を勧請し合祀したからといわれる。

須賀尾諏訪神社 (6)
神楽殿は大正6年(1917年)の建設。春秋の例祭に神楽が奉納される。

須賀尾諏訪神社 (7)
須賀尾諏訪神社 (8)
境内には杉やケヤキの古木が多く、幹周りが6m規模のものもある。

須賀尾諏訪神社 (9)
写真では分かりづらいが、剣を持った武人が線刻されている。勝手に想像するに日本武尊かな。弘化4年(1848年)の銘があった。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町大柏木の佐奈神社。

佐奈神社 (1)
佐奈神社 (2)
佐奈神社の創建は不詳だが、上野国神名帳に「従五位上佐奈明神」と記載される古社である。ご祭神(主神)は建御名方神と八坂刀売神なので、諏訪大社からの勧請? ちなみに佐奈は旧字名。

佐奈神社 (3)
佐奈神社 (4)
こじんまりとした社殿。

佐奈神社 (5)
佐奈神社 (6)
神楽殿。表と裏で印象がまったく異なる。境内までの高さを利用した2階建て。

佐奈神社 (7)
佐奈神社 (8)
鎮守の森といった風情で、巨木が林立している。古来からケヤキの巨木が多く、明治23年(1890年)に枯れてしまったため伐採したケヤキは、幹周囲が30尺(約9m)以上あったと鳥居手前の碑に書いてあった。

樹齢は定かではないが、こういうケヤキの存在が佐奈神社の歴史の長さの証かな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町金井の一宮神社。

金井一宮神社 (1)
金井一宮神社 (2)
一宮神社は貞観3年(861年)に甘楽郡・抜鉾大明神(貫前神社)の分霊を勧請し、川戸村・金井村両村の鎮守として祀ったのが始まりという。

真新しい鳥居は平成28年(2016)の建立。

金井一宮神社 (3)
ご神橋を渡ると、社殿は右側にある。参道が直角に曲がっている。

金井一宮神社 (4)
金井一宮神社 (5)
金井一宮神社 (6)
徳治年間(1306~07年)に、吾妻太郎行盛が武運長久のために社殿を再建したといわれる。現在の社殿は昭和43年(1968年)の改築。

金井一宮神社 (7)
明治5年(1872年)奉納の算額。高橋富比の門人による。

金井一宮神社 (8)
3つの巨石からなる磐座。

源義家が奥州征討(後三年の役)のおり、当社で戦勝祈願をしたという。その際、宝物の剣を乞請けし、奥州平定の帰路に剣を返納するとともに、太刀・矢の根(鏃)など多数の品を奉納したといわれる。これらの品は現存しているらしい。

ところで、一宮神社の西方約1kmの川戸地区内から、奈良・平安時代の竪穴住居や掘立柱建物などが発掘されており、「吾妻郡衙」跡と推定される。また、100mくらいのところには金井廃寺遺跡がある。複数の巨大礎石が確認されていることから、古代の巨大寺院跡と推定されている。

これらのことを総合すると、一宮神社と金井廃寺は「吾妻郡衙」の中核をなした寺社だったのではないかと考えられる。そうすると、当地に上野国一宮・抜鉾大明神を勧請し、一宮神社としたのもうなずける。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町五町田の三島神社。

五町田三島神社 (1)
五町田三島神社は、約500年前に伊豆国三島神社の分霊を勧請し、現在地に社殿を建立したと伝わる。昭和4年(1929年)の吾妻郡誌記載なので、西暦1400年代の創建か。

鳥居は明治31年(1898年)の建立。

五町田三島神社 (2)
五町田三島神社 (3)
社殿は明治末から大正年間の再建。

五町田三島神社 (4)
東吾妻町の神社の多くに神楽殿がある。松谷神社の記事でも書いたが、養蚕(繭の豊穣)祈願のための神楽奉納が盛んだったのではないかと思う。(「東吾妻町・松谷神社」参照)

五町田三島神社 (5)
五町田三島神社 (6)
五町田三島神社 (7)
境内から奇岩が見えた。方向は渋川市の小野子・村上(旧小野上村)あたりだと思う。名のある奇岩かもと調べてみたけど分からなかった。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町松谷の松谷神社。

松谷神社 (1)
松谷神社 (2)
松谷神社は元々荒魂神社で、明治40年(1907年)に地区内の諏訪神社などを合祀し松谷神社と改称している(荒魂神社の創建は調べられなかった)。

松谷神社 (3)
参道を進むと社殿は右側にある。大きな石灯籠2基は平成18年(2006年)の奉納。

松谷神社 (4)
松谷神社 (5)
松谷神社 (6)
社殿は明治40年の合祀時に改築・整備されたが、平成17年(2005年)に屋根を銅板に吹き替えている。

松谷神社 (7)
松谷神社 (8)
神楽殿は平成18年(2006年)の新築。旧神楽殿もまだ隣に残っている。

松谷神社 (9)
境内の「神楽講創立百年紀念碑」。碑の裏に「昭和58年建立」とあったので、100年前は明治16年(1883年)。神楽は武蔵国・御獄神社から伝えられている。

米のとれない山間地では、養蚕は生計を得るための重要な産業であったため、人々は神仏に繭の豊穣を祈願した。「養蚕御祈祷」「蚕守護」などの御札や繭の作柄安定を祈願する奉納神楽などが催されることになった。松谷神社(荒魂神社)は古来から養蚕祈願の参拝者が多く、特に春の例祭時は「立錐の余地なし」と吾妻郡誌は綴っている。

旧岩島村(松谷はその大字)は養蚕集落としての一面もある(他は宿場、麻の産地)。地域には屋根の上に櫓がついた養蚕農家住宅を現在も見ることができる。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町川戸の浅間神社。

川戸浅間神社 (1)
川戸浅間神社は徳治2年(1307年)岩櫃城主・藤原行光の創建と伝わる。鎌倉時代後期に既に岩櫃城が築城されていたかは「?」だけど。代々真田氏の崇敬厚く、一の鳥居は延宝元年(1673年)真田信利(信直)の寄進。

川戸浅間神社 (2)
川戸浅間神社 (3)
七澤山から流れる渓流にかかるご神橋を渡ると、参道両側の杉木立が迎えてくれる。

川戸浅間神社 (4)
川戸浅間神社 (5)
二の鳥居から社殿周りにも杉の巨木が林立している。そのせいで、境内は昼間でも薄暗い。

川戸浅間神社 (6)
川戸浅間神社 (7)
口碑では吾妻太郎行盛が社殿を再建したとの伝説もあるが、当地が真田氏の領地になってから整備が進んだようだ。真田幸隆が斎藤氏を滅亡させたのは永禄8年(1565年)。

川戸浅間神社 (8)
ご神木(?)の高野槙。

一の鳥居を寄進した真田信利は無理な検地による課税で住民を苦しめたが、その際にも川戸浅間神社の社領を安堵したという。それくらい、真田氏は代々崇敬していたようだ。
(真田信利については「伝・真田信利の墓 -迦葉山弥勒寺 その2-」参照)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岩井の白山神社。

岩井白山神社 (1)
岩井白山神社 (2)
岩井白山神社の創建は不詳だが、吾妻太郎行盛の子・斎藤憲行(秋間斎藤氏の養子になった)が創建したと伝わる。憲行が岩櫃城主になったのは延文2年(1357年)といわれているので、岩井白山神社の創建もそのあたりか。

岩井白山神社 (3)
岩井白山神社 (4)
岩井白山神社 (5)
明治元年(1868年)当地に遷座。社殿は昭和52年(1977年)焼失、昭和59年(1984年)氏子のみなさんの浄財により再建されている。

岩井白山神社 (6)
岩井白山神社 (7)
明治40年(1907年)に合祀された境内社群。

ところで、斎藤氏の系譜には諸説あり、越前国出身ともいわれる。藤原秀郷(俵藤太)の子孫で、越前から移り斎藤憲行が岩櫃城主になったという説。岩櫃入城は応永12年(1405年)とされる。この場合、吾妻行盛の子・斎藤憲行と越前出身の斎藤憲行は別人。

斎藤氏が越前出身だとすると、隣国の加賀国(石川県)の白山比咩神社(白山神社の総本社で加賀国一宮)の分霊を勧請したと考えると、何となくそれっぽい。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町植栗の鹿島宮

鹿島宮 (1)
鹿島宮 (2)
植栗鹿島宮は元慶2年(878年)に奈良・春日大社の分霊を勧請し創建された。

鹿島宮 (3)
鹿島宮 (4)
社殿は大永3年(1524年)斎藤越前守、天正元年(1573年)植栗安芸守が造営・再建などの記録が残る。その後も元禄6年(1708年)に建替えられている。

斎藤越前守は岩櫃城主・斎藤憲実あたりか。植栗氏は吾妻氏の分家とされるが、植栗安芸守については分からない。

鹿島宮 (5)
境内の末社群。一番左の祠には寛政3年(1791年)、別の祠(写真には写ってない)には宝暦2年(1752年)の銘があった。

鹿島宮 (6)
鹿島宮 (7)
石段脇から水が出ていたが、鹿島のご神水ってこれかな。水量はあまり多くないが、きれいな水なので湧き水っぽい。手水舎に引いているのもご神水だと思う。かなり山の方まで管が伸びている。

嵩山
中之条町のシンボル・嵩山がきれいに見えた。切り立った岩肌や奇岩の類いなど岩櫃山との共通点も多い。いずれも単独峰だと思うが、関連はあるのかな?

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町大戸の畔宇治(くろうじ)神社。

畔宇治神社 (1)
畔宇治神社は文永元年(1264年)に近江国(滋賀県)堅田郷の白鬚神を勧請したといわれる。ちなみに、畔宇治は地名。

畔宇治神社 (2)
畔宇治神社 (3)
畔宇治神社 (4)
畔宇治神社 (5)
鳥居前の石灯籠は、文政9年(1826年)に大戸の大富豪・加部安左衛門が寄進したもの。(加部家については「富豪・加部安左衛門の屋敷跡 -大運寺-」参照)

畔宇治神社 (6)
畔宇治神社 (7)
鳥居をくぐり石段を下ると、そこは国道406号線。

畔宇治神社 (8)
畔宇治神社 (9)
旧道に面していた神社だったが、新道の開通により鳥居と社殿が分かれてしったということ。国道を渡り細い道に入って行く。

畔宇治神社 (10)
社殿は木々に覆われ、いかにも鎮守の森と言った感じの趣き。

畔宇治神社 (11)
畔宇治神社 (12)
二ノ鳥居は比較的新しく、平成12年(2000年)の建立。

畔宇治神社 (13)
畔宇治神社 (14)
社殿は文永10年(1273年)に建立され、天正10年(1582年)には真田信之が改修している。現在の社殿は寛政6年(1794年)の再建。

国道406号を走っていると、東吾妻町の重文である石灯籠を示す案内板が見える。これを頼りに行くと、鳥居と石灯籠しかない。事前に調べて行ったので社殿は国道の反対側にあることを知っていたが、知らなかったら神社はどこだ? ってなっていたかな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町本宿の吉岡神社。

吉岡神社 (1)
吉岡神社 (2)
吉岡神社の創建は不詳だが、口碑では和銅元年(708年)に田口朝臣益人の勧請と伝わる。田口益人は武内宿禰の末裔とされる貴族・歌人で、上野国守に任じられ赴任してきたといわれる。

吉岡神社 (3)
吉岡神社 (4)
鳥居前の太鼓橋。彫刻は虎かな。だいぶ風化してきている。

吉岡神社 (5)
石灯籠は天保4年(1833年)の奉納。

鳥居の先に社殿らしきものが見えなかったが、そんなに遠くないだろうと歩いて進む。ところが、これが大失敗だった。

吉岡神社 (6)
田んぼの中を数百m歩いても何も見えない。それどころか、どんどん山道になってくる。

吉岡神社 (7)
吉岡神社 (8)
しばらくすると、参道らしき石段が見えてきた。しかし、ちょっときつそうだったので。下の写真の道をそのまま進む。行かれる場合は、クルマで登って行くことをお勧めする。すれ違えない(と思われる)が、道はしっかりしているので。

吉岡神社 (9)
吉岡神社 (10)
息が切れかかったころに、やっと神門が見えてきた。随神像はなく、ご神体を表すような御幣と言うか紙垂と言うかがあるだけ。

吉岡神社 (11)
吉岡神社 (12)
吉岡神社 (13)
吉岡神社 (14)
社殿は戦火で荒れ、野火で全焼していたが、天正7年(1579年)に加辺半左衛門が再建している。加辺半左衛門って、大戸の大富豪・加部家の人かな?

吉岡神社 (15)
大正12年(1923年)建立の神楽殿。

吉岡神社 (16)
弘法大師が杖を刺したのが育ったといわれるホオノキ。

永承7年(1052年)源頼義が陸奥征討(前九年の役と思われる)の途上に、建久4年(1193年)には源頼朝一行が浅間巻狩りの際に参拝している。また、頼朝が「美しき岡なり」と言ったので、吉岡山となったという。ちなみに、源頼義は有名な八幡太郎義家の父親。

神仏混淆時代は「吉岡薬師」と呼ばれていた。それは、源頼朝の守り本尊である薬師如来像が納められているから。ただ拙い記憶だと、頼朝の守り本尊は「聖観音」だった気がする(自信はない)。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町五町田の平五良(へいごろう)観音の大杉。

平五良観音の大杉 (1)
平五良観音堂境内にそびえる大杉は、高さ約30m、目通り約5mで、樹齢は約400年と推定される。

平五良観音の大杉 (2)
以前の大杉は、その根元から2本に分かれた「夫婦杉」の様相を呈していたが、大正時代に落雷により片方の根元が痛み傾いてしまったので、残念ながら伐採されている。残った1本の幹は現在も樹勢・枝振りが良く、ひときわ美しい姿を保っている。

平五良観音の大杉 (3)
平五良観音の大杉 (4)
平五良観音の大杉 (5)
観音堂・観音様の由緒は分からないが、お堂を囲むように石仏・仏塔がまとめられている。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町三島の四戸の古墳群。

四戸の古墳群 (1)
三島四戸地区には20基以上の古墳が点在し、昭和39年(1964年)にそのうち4基の調査がなされている。高麗尺を使用した6世紀末から7世紀前半の築造と推定されている。

四戸の古墳群 1号墳 (1)
四戸の古墳群 1号墳 (2)
1号墳は天井石はなく、細長い石室が剥き出しの状態。

四戸の古墳群 1号墳 (3)
全長約6m、埋葬部長さ約2.5m、幅約1m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 2号墳 (1)
2号墳。横から見ると円墳と思われるが規模は不明。

四戸の古墳群 2号墳 (2)
四戸の古墳群 2号墳 (3)
石室は全長約5.2m、玄室約2.3m、幅1.3m、高さ1.6m。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 4号墳 (1)
四戸の古墳群 4号墳 (2)
4号墳は天井石はなく、石室が剥き出しの状態。全長約4.2m、埋葬部長さ約2m、幅約70cm。安山岩を用いた乱石積の袖無型横穴式石室。

四戸の古墳群 3号墳 (1)
四戸の古墳群 3号墳 (2)
3号墳は盛り土が失われ、天井石が剥き出しの状態。右側の側壁は崩れそうだ。天井石や奥壁は安山岩の巨岩を使用しており、1号・2号・4号より規模が大きい円墳。石室は全長約7m、埋葬部長さ3.5m、幅1.2m、高さ1.6m。

四戸の古墳群 3号墳 (3)
南側から見ると背後に岩櫃山がよく映えている。

1号、2号、4号はほぼ隣接しているが、3号墳は少し離れた1段高い所に位置しており、基本的にはすべて同構造と思われる。3号墳は道沿いにあるので見つけやすいが、他は道が細く分かりづらいところにある。

また、平成30年(2018年)に上信自動車道吾妻西バイパス建設事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が行われ、弥生時代終わりから古墳時代にかけての住居跡や新たに1基の古墳が発見されている。直刀や鉄鏃の副葬品も確認されている。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町矢倉の行沢(なめさわ)の木造馬頭観音立像。

行沢の馬頭観音立像 (1)
観音堂は吾妻線の線路脇にある。石垣のすぐ下は線路。

行沢の馬頭観音立像 (2)
参道と言えるのか分からないが、線路には遮断機はおろか踏切もない。過去に何も起きてないからこうなのだろうが、ちょっと怖い。裏から廻る道もあるのかな。

行沢の馬頭観音立像 (3)
行沢の馬頭観音立像 (4)
堂内の木造馬頭観音立像。寄木造りで像高178.5cm、台座も含めた総高は190cmの三面六臂像。頭部は怒髪で、目と口を大きく開けている。肩・胸を強く張り、衣文の彫りは深く、力強い観音像となっている。ただ、六臂に見えないので、一部紛失している?

行沢の馬頭観音立像 (5)
像の写真が見づらいうえ、文章で書いても分からないだろうから、堂内に飾られていた写真。でもやっぱり分からないな。

作者ははっきりしないようだが、鎌倉時代の作とされている。元は中之条の海蔵寺にあったが、戦国時代に当地に移されたといわれる。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町新巻の菅原神社。

新巻菅原神社 (1)
新巻菅原神社 (2)
新巻菅原神社の創建は不詳。創建地は旧新巻村字菅原で、明治10年(1877年)に現在地に移転、同時に村内の神社を合祀している。

新巻菅原神社 (3)
長く急な石段を登ると境内。境内は縄文時代の集落である柳沢遺跡の一部にあたる。昭和58年(1983年)の発掘調査では、竪穴式住居跡や大量の土器・石器が出土している。

新巻菅原神社 (4)
新巻菅原神社 (5)
新巻菅原神社 (6)
新巻菅原神社 (7)
社殿は昭和10年(1935年)の建築。

新巻菅原神社 (8)
神楽殿は昭和35年(1960年)の改築で、例祭では太々神楽が奉納される。新巻の神楽は明治30年(1897年)代に発足したと伝えられる。

新巻菅原神社 (9)
昭和57年(1982年)に伊勢神宮に神楽を奉納した祈念碑。

新巻菅原神社には石槌山から出土したという「石棒」がご神体として祀られている。片麻岩製で、長さ1.5m、太さ46.5cm。古代の祭祀用と考えられる。東吾妻町の重文になっているが、町のHPにも写真がない。

新巻菅原神社 (10)
石段から見えた山。名前は分からないが、ゴツゴツした岩肌などが良い雰囲気だ。岩櫃山や中之条町の嵩山など、この辺の山はこういう感じの山が多い。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岩井の背高地蔵。

岩井の背高地蔵
岩井の背高地蔵は、正徳5年(1715年)岩井村山根の田中八兵衛・十兵衛が中心となって建立された。地蔵尊は高さ2.5mで、台座も含めると4.1m。

田中八兵衛・十兵衛のことはよく分からないが、岩井の分限者とされる。分限者は簡単に言えばお金持ち。

昭和47年(1972年)に県道拡張のため道の反対側から移転している。現在は十字路になっているが、当時は岩井から中之条への渡船場道と、金井・川戸方面へと渋川方面への三本辻であった。昔も現在も往来する人々の安全と住民の安寧を願い見守っている。

地蔵尊が建っているところは道端で、しかも2m位の高台となっており、非常に目立つ。見守っているという表現がぴったりの場所である。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町三島の鳥頭神社。

三島鳥頭神社 (1)
三島鳥頭神社 (2)
三島鳥頭神社 (3)
三島鳥頭神社の創建は不詳。主祭神は日本武尊なので、何がしかの伝説があるのかな。また、数多くの杉の木に年代を感じる。

三島鳥頭神社 (4)
三島鳥頭神社 (5)
社殿は明治45年(1912年)に改修されている。このときに、現在の境内が整備されたようだ。

三島鳥頭神社 (6)
三島鳥頭神社 (7)
拝殿、本殿ともに彫刻が施され、特に本殿の木鼻、蝦虹梁など見事なものだ。田舎(失礼!)の神社にしてはと思ってしまった。

三島鳥頭神社 (8)
春・秋の例祭では太々神楽が奉納される。秋には獅子舞も奉納される。太々神楽は大正元年(1912年)から、獅子舞は嘉永5年(1852年)からの歴史がある。

三島鳥頭神社 (9)
昭和4年(1929年)刊行の「吾妻郡誌」には「老杉約100株林立し」とあるが、さすがに減ってしまったようだ。それでも多数の杉が神域を護っているといった雰囲気だ。(きちんと数えれば100本くらいあるのかな)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町矢倉の鳥頭神社。
「神代杉」のある神社と言えば分かるかもしれない。以前、神代杉を見に来たときに、何と神社をスルーしていた。なので改めて訪問。

矢倉鳥頭神社 (1)
矢倉鳥頭神社 (2)
矢倉鳥頭神社の創建は不詳だが、建久年間(1190~98年)ともいわれる。

矢倉鳥頭神社 (3)
享保7年(1722年)に作られた鳥居の礎石。昭和62年(1987年)の鳥居改修工事時に掘り出したもの。

矢倉鳥頭神社 (4)
参道脇の力石。大玉が98kgで小玉が47kg。岩島地区には多くの力石が残されており、古くから力比べや奉納競技が行われていたと考えられる。

矢倉鳥頭神社 (5)
矢倉鳥頭神社 (6)
矢倉鳥頭神社 (7)
矢倉鳥頭神社は古くから時の領主の崇敬を受けており、吾妻太郎行盛、真田昌幸・信幸(信之)父子らが社殿改修や寄進をしている。

現在の社殿は明和11年(1767年)の建立とされる。

矢倉鳥頭神社 (8)
幣殿に掛けられている鬼瓦。改修前の拝殿に乗っていたものと思う。

矢倉鳥頭神社 (9)
神楽殿。

矢倉鳥頭神社 (10)
神武天皇遥拝所。明治40年(1907年)の設置で、平成元年(1989年)の再建。

矢倉鳥頭神社 (11)
神代杉。以前の訪問時(2011年)と比べると背が低くなったような気がするし、解説版もきれいになったような気がする(内容が同じかは覚えていない)。

一応、神代杉について。日本武尊が東征のみぎり自ら手植えしたと伝わる。寛保2年(1742年)に旅人の失火で半枯の状態になる。その後、天明2年(1783年)浅間山噴火による熱泥流の被害も受けたが、龍得寺住職・円心が危険を顧みず10mの高所から切り倒し全焼の危機を救った。当地の人々が代々修復を重ね、今にその姿を伝えている。
(以前の訪問記は「日本武尊が植えた杉? -神代杉-」参照)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岩下の福聚山応永寺。

応永寺 (1)
応永寺は岩櫃城主・斎藤氏により建立された。斎藤氏の当地入部には諸説あるが、一説に応永12年(1405年)に斎藤憲行が当地に入部とあり、時の元号と寺名が一致することからこのあたりの創建かな。斎藤氏の滅亡により衰退していたが、大永7年(1527年)に無庵禅師が中興したという。

応永寺 (2)
応永寺 (3)
応永寺 (4)
応永寺 (5)
立派な山門。仁王像が鎮座している。

応永寺 (6)
応永寺 (7)
応永寺 (8)
山門の天井絵。中央の龍を挟んで両側に天女。

応永寺 (10)
応永寺 (11)
応永寺 (12)
本堂扉の家紋は左は五七桐と思うが、右は見たことない。2つともお寺と関連があるのだろうが、まったく分からない。

応永寺 (13)
水難慰霊塔。昭和10年(1935年)9月の2つの台風による集中豪雨での被災者を慰霊するもの。吾妻郡では土石流や山崩れが発生。吾妻川も水位が最大6mも上昇。人的被害、住宅被害(全壊や流出など)が発生した。

この被害は吾妻郡に限らず、群馬県内で死者・行方不明、負傷者合わせ400名を超える甚大な被害が発生した。高崎市でも烏川、碓氷川で堤防が決壊。救助活動中の高崎15連隊の兵士7名が犠牲になっている。(「七士殉職供養塔」参照)

応永寺 (14)
灑水(しゃすい)観音。右手に灑水杖を持つ。

応永寺 (15)
本堂前の枝垂れ桜。季節がらしょうがない。

応永寺 (16)
応永寺 (17)
応永寺 (18)
境内の五葉松。直径約10m、高さ約2mで、傘を広げたような形をしていることから傘松と呼ばれている。約340年前に9世住職・石山和尚が沼田から当寺へ転住の際に持って来て植えたといわれる。

応永寺は花の名所で、春には山門前を中心に桜を始めとして菜の花などが咲き乱れる。傘松しか調べてなかったので・・・。春になったら、もう一度行ってみようかな。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町厚田の太田神社。

太田神社 (1)
太田神社の由緒は不詳。太田は地名(旧村名)に由来する。明治期に村内他社を合祀した際に改称したと思われる。

太田神社 (2)
太田神社 (3)
鳥居の先には延々と続く石段。脇には舗装道路もあり、クネクネ登って行く。さあ、どっちを選ぼうか。神社参拝なので、真っ直ぐに石段を登ろう! この決断は?

太田神社 (4)
太田神社 (5)
ようやく(本当にようやく)二ノ鳥居が見えてきた。扁額には「満行大権現」。太田神社のご祭神は榛名神社と同様の火産霊神と波邇夜須毘売神(埴安神)の二神(主祭神)。

太田神社 (6)
二ノ鳥居からも、さらに延々と石段を登らないといけない。足が悲鳴を上げ始めたところで、やっと境内に到着。石段の途中で何回か道路と交差したが、どっちの道が良かったのかは分からない。多分どっちを選んでいても、大して変わらなかったのでは?

太田神社 (7)
太田神社 (8)
社殿は延宝2年(1674年)真田信利が再建した記録が残る。信利は義人・茂左衛門の直訴などが理由で改易された殿様。現在の社殿は火災による焼失後の明治20年(1887年)の再建。昭和31年(1956年)改築。

太田神社 (9)
神楽殿。20年くらい前までは例祭時に神楽が奉納されていたようだが、現在は途絶えているという。

太田神社 (10)
注連縄が飾られていたのでご神木と思う。

太田神社 (11)
太田神社鳥居前からは岩櫃山が正面に見える絶好のロケーション。岩櫃山は標高802m、南面は約200メートルの絶壁。奇岩、怪石からなる切り立った山容は東吾妻町のシンボルである。

太田神社 (12)
舗装道路があったのなら車で登っていけばよかったのにと思うかもしれないが、イノシシ除けの電気柵があったので入れなかったのだ。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町本宿のへそ岩。

へそ岩 (1)
へそ岩 (2)
温川の対岸岩肌に「へそ岩」と呼ばれる岩(穴)がある。直径上下20m、左右30m、奥行き10mのサイズで、へその形に似ていることからその名がついた。オレ的には「へそ」と言うよりは「目玉」に近いような気もするけど。

東吾妻町には「へそ岩」以外にも「屏風岩」「布袋岩」「竜頭岩」「竜尾岩」(吾妻渓谷)などの奇岩がある。町のシンボルである岩櫃山も岩だらけの山だし、観光資源として岩も重要な位置づけになっている。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町小泉の白鳥神社。

小泉白鳥神社 (1)
小泉白鳥神社 (2)
小泉白鳥神社の創建は不詳だが、地域の口碑(言い伝え)では上野国神名帳にある「小磯明神」のことだという。何でも地名も神社名も「小磯」が訛って「小泉」になったらしい。吾妻郡誌もそのこと(訛り)を書いた上で「記載し後人の鑑定に備える」としている。

石灯籠には文化6年(1809年)の銘があった。

小泉白鳥神社 (3)
小泉白鳥神社 (4)
小泉白鳥神社 (5)
境内は広くはないが木々に囲まれ、入母屋造りの拝殿と神明造りの本殿がよく映えている。社殿は大正11年(1922年)に全焼、翌年再建されている。

小泉白鳥神社 (6)
境内社の秋葉宮。

小泉白鳥神社 (7)
コンテナ置き場になっている舞殿。歌舞伎舞台かな。

小泉白鳥神社 (8)
注連縄が飾られているので神石? 霊石? 磐座?

小泉白鳥神社も前回紹介の奥田白鳥神社同様、過去「白頭明神」呼ばれていたようなので、中之条の市代牧を守護する役割を担っていたようだ。口碑を信じるなら、小磯神社→小泉神社→白頭神社→小泉神社かな。(奥田白鳥神社は「東吾妻町・奥田白鳥神社」参照)

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町奥田の白鳥神社。

奥田白鳥神社 (1)
奥田白鳥神社の創建は不詳だが、ご祭神の日本武尊が東征の際に当地で休息されたのにちなみ社殿を建立したと伝わる。その後、貞享3年(1686年)白頭明神と改称し、さらに明治10年(1877年)に再び白鳥神社となっている。

奥田白鳥神社 (2)
石段脇の松は、主幹が途中から90度曲がっている。「あづまかるた」に「妙なる松の 白鳥神社」と詠われている(奥田地区は旧東村)。

奥田白鳥神社 (3)
奥田白鳥神社 (4)
なぜか拝殿内の電灯が点いていた。消し忘れ? それともセンサー付き? 結果的に電灯により影ができてしまい、目当てのものがよく見えないという事態に。単に写真の技術がないだけとの意見もある?

奥田白鳥神社 (5)
目当ての扁額。「白鳥神社の彫刻」の名称で東吾妻町の重文になっている。縦59cm、横30cmの木板で、木地は朱塗り。文字は金字で「正一位白頭大明神」と記されている。享保2年(1717年)のものといわれる。

奥田白鳥神社 (6)
奥田白鳥神社 (7)
社殿裏に覆屋があり覗いてみたら、お稲荷さんのようだ。末社かな。

ちなみに白頭明神とは牧場の守護神。かつて、現在の中之条町市城に市代牧と呼ばれる牧場があり、その牧域が現在の奥田地区まで拡がっていた。その周辺に牧場を守護する「白頭明神」置かれたので、一時社名が変わっていたようだ。

ただ、市代牧が作られたのは奈良から平安時代とされるので、江戸時代に社名変更という由緒はちょっと疑問。もう少し古い時代から「白頭明神」になっていたのではと思う。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岡崎の柏原の宝篋印塔。

柏原の宝篋印塔 (1)
柏原の宝篋印塔は台座を含めると4mくらいあり、塔部分でも3m以上ある大型の宝塔。ただ、見た目の情報以外は何もない。

当地に解説板もなく、東吾妻町のHPにも解説が載っていない。また、東吾妻町の重文であることを示す標柱も折れていた(悲)。

柏原の宝篋印塔 (2)
横に石仏や仏塔などが並んでいる。

立派な宝塔だけに、由緒などを知りたかったなぁ。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岡崎の岩久保観音堂。

岩久保観音 (1)
岩久保観音は元和元年(1615年)、当地の代官・岡上景親(初代)の創建。

岩久保観音 (2)
石段を登って行くと観音堂がある。余り境内は広くないが、木々に覆われ良い雰囲気である。観音堂は承応2年(1653年)に岡崎地区を始め近隣から浄財を集め建立されている。

岩久保観音 (3)
本尊は大日如来。六観音が脇を固める。本堂内に厨子があったので、大日如来や観音さまはこの中かな。

岩久保観音 (4)
岩久保観音 (5)
岩久保観音 (6)
現在の本堂裏に間口4.5m、高さ3.6m、奥行き3mほどの岩屋(洞窟)があり、元々はこの穴の中に祀ったのが始まりのようだ。現在も大日如来石像が置かれている。岩久保観音の名は、この岩屋からきているのだろう(当初は大日六観音と呼ばれていた)。

岩久保観音 (7)
境内の墓碑は、観音堂建立に尽力するとともに、岡崎地区の開拓を補佐した代官手代・土屋吉重、吉政父子と岡崎地区開拓者14名ものである。

岩久保観音 (8)
観音堂下には広場があり「おかのぼり公園」と命名されている。訪問した当日も、広場では地元のお年寄りグループがグランドゴルフを楽しんでいた。

岡崎地区の開拓に大きな功績を残した岡上3代は、現在も地元の方々から尊敬と親しみを持って記憶されている。3代目・岡上景能の位牌は、現在も岡崎地区に保管(個人所有)されており、岩久保観音の祭日には観音堂に祀られる。

関連
 「岡上生祠 -岡崎榛名神社-

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町岡崎の榛名神社。

岡崎榛名神社 (1)
岡崎榛名神社 (2)
岡崎榛名神社は榛名神社(高崎市榛名山町)から火産靈神の分霊を勧請したものと思うが、詳細は不明。

岡崎榛名神社 (3)
岡崎榛名神社 (4)
鳥居の左手には庚申塔や石祠などが集められており、その中に東吾妻町の重文に指定されている宝篋印塔がある。造立年などは不明のようだが、当社に合祀された岡崎諏訪神社から移転されたものだという。

岡崎榛名神社 (5)
杉木立に囲まれた石段を登っていく。

岡崎榛名神社 (6)
岡崎榛名神社 (7)
岡崎榛名神社 (8)
境内は余り広くないが、唐破風付きの拝殿と覆屋内に流造りの本殿がある。

岡崎榛名神社 (9)
岡崎榛名神社 (10)
社殿脇からさらに上へ登る石段があり、行ってみると石祠があった。末社なのかもしれないが、他の末社群は石段と反対側の社殿脇にあったので、奥の院かもしれない。

岡崎榛名神社 (11)
岡崎榛名神社 (12)
社殿脇の末社群に並び、岡上生祠がある。榛名湖の北から流出する沼尾川から引水する「岡上用水」を完成させ、岡崎地区の新田開発に多大な功績を残した岡上景能の徳を慕い、享和元年(1801年)に建立された。

岡上氏は3代(景親、2代目景親、景能)約70年に渡り当地の代官を務め、現在の五町田・箱島・岡崎地区の発展(特に岡崎地区の新田開発)に寄与している。

景能の没年は貞享4年(1687年)なので、享和元年(1801年)だと生祠にならないが、現在の祠が享和の建立ということなのかな。

景能は新田郡笠懸野の用水路整備や開墾にも尽力しており、やはり地元の人々から岡登霊神社(太田市大原町)に祀られている。ちなみに岡上を岡登表記することもあるが、それは後に景能死後(自刃)末裔が岡登を名乗ったためである。

関連
 「岡登景能を祀る -岡登霊神社-
 「岡登景能の墓 -国瑞寺-

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡高山村中山の田んぼアート。

田んぼアート2018
「ぐんまちゃん」は分かるんだけど、他の2体は何??
調べてみると、真ん中は高山村のキャラクターのひとり「つぼみちゃん」。右は群馬テレビのキャラクター「ポチッとくん」。あっ、群テレで幼稚園・保育園の子ども達が「ポチッとくん体操」を踊っているミニ番組を観たことがあるような。

今年は戌年なので、「ポチッとくん」の登場のようだ。「ポチッとくん」は犬らしい。ちなみに「つぼみちゃん」は、頭は高山村の花「りんどう」のつぼみ、下半身は村の木「ナラ」のどんぐり。

毎年、地元のたんぼアート研究会のみなさんが古代米の苗を植えて作っている。2009年に幾何学模様と「たかやま」の文字から始まった「田んぼアート」も、その後干支にちなんだ動物が登場し、2014年からは「ぐんまちゃん」が登場。相方にふなっしー(2014年)、くまモン(2015年)が登場したこともあった。

オレが初めて見たのは2014年の「ぐんまちゃん」と「くまモン」だった。以後、毎年楽しみにしている。

このエントリーをはてなブックマークに追加


吾妻郡東吾妻町郷原のJR東日本吾妻線・郷原駅。
ここから約50mのところでハート形の土偶が発見されている。

郷原駅
ハート形土偶出土地 (2)
郷原駅の駅舎。駅舎前には解説板がある。

ハート形土偶は昭和20年(1945年)に郷原駅西方約50mの地点で発見された。縄文時代後期(約2000~1000年前)のものと推定され、高さ約30.5cm。縄文時代を代表する遺物である。

ハート形土偶出土地 (1)
出土地には「ハート形土偶出土の地」の標柱が建っている。

ハート形土偶
特異なハート形の顔は、鼻、眉毛、口にかけての輪郭のみで表現しており、抽象的な表現方法をとっている。また、大きな肩に小さな手、アーチ状に表現された安定した足腰の造形美は、縄文女性の力強さを表しているといわれる。
(写真は中之条町「歴史と民俗の博物館(Musee)」のレプリカ。実物は東京国立博物館に保管されている)

実は縄文時代の土偶は芸術性に富んだ名品が多い。ハート形土偶以外にも、「縄文の女神」「縄文のビーナス」「仮面土偶」「遮光器土偶」などが有名である。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ