桐生市新里町板橋の赤城の百足(ムカデ)鳥居。
赤城山へ上る東南麓の参道として、天明2年(1782年)に建てられた。高さ4.4m、笠木の長さ6.25mの安山岩製。
ここには鳥居があるだけで、御神体は赤城山になる。
赤城山は、遠い昔より山麓周辺の人々に厚い信仰を受けてきた。それは神の住む山として、人々の心や生活の中心に赤城山があったから。春になると、人々は稲の豊作を願い、神を里へ迎えるため山へ登ったという。
鳥居の島木には1.3mの百足が陽刻されている。
何で百足が彫られているかと言うと、赤城山の神様は百足だという神話があるから(だと思う)。
赤城山の神と日光男体山(二荒山)の神との戦いは有名な神話である。赤城の神は中禅寺湖を自領であると主張し、大百足に姿を変え攻め込み、二荒の神は大蛇の姿に変わり迎撃した。
赤城の百足神は二荒山麓まで進撃、大蛇神を追いつめたが、窮地に立たされた二荒の神は、奥州から弓の名人・小野猿丸を呼び寄せた。二荒山の頂上から猿丸が放った矢は、赤城の神の左目に命中し、勝利を目前にして敗走したという。ここが日光の戦場ヶ原。赤城山は百足神の血で赤く染まった。なので「赤き山」→「赤城山」になったという。
これだと、群馬が栃木に負けたことになるので、気に入らない群馬県民は老神温泉に伝わる神話を。
老神温泉の開湯伝説では、赤城の神が大蛇で、男体山(二荒山)の神が百足と反対になっている。理由は知らない。
戦場ヶ原の戦いで傷を負った赤城の大蛇神は老神温泉付近まで撤退し、そこで刺さっていた矢を抜き地面に突き刺すと、地面から湯が湧き出た。そこに浸かるとたちどころに傷が癒え、追ってきた百足神を日光へ追い返したという。なので、この地は「追い神」→「老神」となったとさ。
まあ、この神話にはいろんな派生版があるので、そのひとつと言うことで。
百足の鳥居から話が逸れたうえ、長くなってしまった・・・。