Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 群馬の古墳・遺跡


上州まったり紀行の中から「古墳・遺跡」に関するものをリスト化したもの。古墳に行くのが(見学するのが)主目的でない場合も含んでるけどね。


前橋市(旧郡部を除く)

今井神社古墳
正円寺古墳
桂萱大塚古墳
新田塚古墳
金冠塚古墳
亀塚山古墳
天神山古墳
天川二子山古墳
遠見山古墳
愛宕山古墳
荒砥富士山古墳
大室公園・前二子古墳
大室公園・中二子古墳
大室公園・後二子古墳
大室公園・小二子古墳
大室公園・M-1号古墳
八幡山古墳
蛇穴山古墳
宝塔山古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


前橋市(旧大胡町、旧宮城村、旧粕川村、旧富士見村)

鏡手塚古墳
壇塚古墳
堀越古墳
上庄司原2号古墳&4号古墳
上庄司原1号古墳
九十九山古墳


伊勢崎市、佐波郡(玉村町)

十二所古墳
玉村町15号墳
一ノ関古墳
台所山古墳石棺
梨ノ木山古墳
お富士山古墳
雷電神社古墳
鶴巻古墳
権現山
軍配山古墳


渋川市、北群馬郡(吉岡町、榛東村)

いなり塚古墳
中ノ峯古墳
八木沢清水縄文時代住居跡
金井古墳
小室敷石住居跡
将軍塚古墳
虚空蔵塚古墳
中筋遺跡
黒井峯遺跡
滝沢古墳
三津屋古墳
南下古墳群・E号古墳&F号古墳
南下古墳群・C号古墳&D号古墳
南下古墳群・B号古墳
南下古墳群・A号古墳
滝沢石器時代遺跡


高崎市(旧郡部を除く)

桜塚古墳
少林山薬師塚古墳
少林山天頭塚古墳
八幡原A号及びB号石槨
剣崎長瀞西古墳
将軍塚古墳
上小塙稲荷山古墳
普賢寺裏古墳
不動山古墳
浅間山古墳
大鶴巻古墳
安楽寺古墳
三島塚古墳
若田原遺跡
観音塚古墳
山ノ上古墳
観音山古墳


高崎市(旧群馬町、旧箕郷町、旧榛名町、旧吉井町、旧新町、旧倉渕村)

長井石器時代住居跡
恩行寺古墳
南高原1号古墳
片山1号古墳
金古愛宕山古墳
御穴塚古墳
多胡薬師塚古墳
保渡田薬師塚古墳
保渡田八幡塚古墳
総社二子山古墳・保渡田二子山古墳


安中市

龍的塚古墳
簗瀬二子塚古墳


富岡市、甘楽郡(甘楽町、下仁田町、南牧村)

高瀬26号古墳
粘土山古墳
伊勢塚古墳
太子堂塚(旅寝塚)古墳
北山茶臼山古墳
天王塚古墳
田篠しの塚古墳
堂山稲荷古墳
笹森古墳


藤岡市、多野郡(神流町、上野村)

原古墳
胴塚稲荷古墳
霊符殿古墳
諏訪古墳
戸塚神社古墳
平地神社古墳
中大塚縄文時代敷石遺構
平井地区1号古墳
皇子塚古墳
譲原石器時代住居跡
伊勢塚古墳
白石稲荷山古墳
七輿山古墳


太田市(旧郡部を除く)

巌穴山古墳
稲荷山古墳
塚廻り古墳群第4号古墳
茶臼山古墳
茶臼山古墳


太田市(旧新田町、旧尾島町、旧藪塚本町)

長楽寺遺跡1号墳跡
中原生品神社・敷石住居跡
長円寺古墳
北山古墳
西山古墳


桐生市

愛宕塚古墳
天神古墳
中塚古墳
普門寺遺跡


みどり市

岩宿遺跡


館林市、邑楽郡(大泉町、板倉町、邑楽町、千代田町、明和町)

筑波山古墳
米山薬師古墳
堂山古墳
古海原前1号古墳
城之内古墳
山王山古墳


沼田市、利根郡(みなかみ町、片品村、川場村、昭和村)

梨の木平敷石住居跡
深沢遺跡配石遺構
矢瀬遺跡


吾妻郡(中之条町、長野原町、草津町、嬬恋村、東吾妻町、高山村)

中山敷石住居跡

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渋川市赤城町樽のいなり塚古墳。

いなり塚古墳 (1)
いなり塚古墳 (2)
いなり塚古墳は墳丘径約20mの2段築造の円墳と考えられている。墳丘には河原石による葺石と幅1mほどのテラス面が見られる。築造は6世紀中期の榛名山噴火による軽石堆積から間もない頃と考えられ、利根川上流域の後期古墳とされる。

石室は現存全長6.14mの自然石乱積の袖無型横穴式。埋葬部入口の天井には楣石が突出し、奥壁は2石の巨石から構成されている。石材には輝石安山岩の転石や壊石が使用され、壁面には赤色顔料が塗布されている。

しかし訪問時は雑草が生い茂り、石室開口部も覆われてしまっていたので、覗き込むことは断念。

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高崎市倉渕町権田の長井石器時代住居跡。

長井石器時代住居跡 (1)
長井石器時代住居跡は縄文時代後期の遺跡で、平らな石を巧みに敷き詰めた住居跡。標高550mにあり、約9度の勾配を持った南西向きの傾斜面に位置し、昭和28年(1953年)に開田作業中に発見されている。

長井石器時代住居跡 (2)
長井石器時代住居跡 (3)
1辺3mの隅丸方形に石を敷き並べ、西側に張り出しを持つ柄鏡形の敷石住居である。中央には90cm×60cm方形の石囲炉がある。

炉の北西70cmほど離れたところにも方形の石組みを備えている。これは底面にも板石が敷かれており箱状になっているが、炉石のような火熱を受けた痕跡がなく、祭祀的な施設と考えられている。

住居内から壺状の土器、石棒片、磨製石斧などが出土している。

覆屋のガラス面に張り紙があり(1枚目写真参照)、そこには「マムシ注意」の文字が。覆屋周りは草が伸びており、けっこうビビりながらの見学だった。

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渋川市北牧の中ノ峯古墳。

中ノ峯古墳 (1)
中ノ峯古墳 (2)
中ノ峯古墳は傾斜面に築かれた直径9m、高さ1mの円墳。6世紀初めの榛名山噴火による火山灰層の上に造られ、6世紀中ころの榛名山噴火による軽石層に埋もれていた。地学上から築造年代の分かる貴重な古墳。

中ノ峯古墳 (3)
中ノ峯古墳 (4)
中ノ峯古墳 (5)
石室は自然石乱石積の袖無型横穴式で、全長5m・埋葬部長3m。人骨5体、直刀2口、銀製飾金具、鉄鏃、玉類などが出土している。

昭和54年(1979年)軽石採取の際に偶然発見された。軽石層に埋もれていたため、きれいな原型をほぼとどめているのだが、季節がら草に覆われ残念ながらその形はよく分からず。草の枯れる秋から冬に訪れるのがいいと改めて認識。

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渋川市小野子の八木沢清水縄文時代住居跡。

八木沢清水縄文時代住居跡 (1)
八木沢清水縄文時代住居跡は昭和51年(1976年)に発見され、翌年の発掘調査により縄文時代から弥生・古墳時代に及ぶ住居跡、土坑などの遺構や石器・土器などの遺物が確認された。

特に、地表下1.5mの関東ローム層上面で発見された住居跡は、縄文時代草創期後半(約9000年前)のもので、群馬県内最古の竪穴式住居と判明した。

八木沢清水縄文時代住居跡 (2)
住居は直径約5mのいびつな円形で、当時の地面から50~60cmほど掘り込んで床面を作っている。床面には柱を立てたと考えられる直径20cm、深さ30cmほどの穴が16個あいている。

住居内に炉の跡はなく、また土が焼けた痕跡もないことから、まだ火をたく習慣(文化)が無かったことが分かる。

現在は標高460mの比較的高地だが、当時はもっと低地だったのではないかと思う。神流町の「恐竜の足跡」がある所が海だったといわれているので(1億年前の話だけど)。
(「恐竜の足跡!? -神流町恐竜センター-」参照)

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藤岡市鬼石の原古墳。

原古墳 (1)
原古墳は直径9mの円墳で、墳丘には土がまったく使用されず石材のみで構築された珍しい古墳である。6世紀中ころの築造と推定される。

原古墳 (2)
埋葬施設は全長約6m(羨道約3m、玄室約3m)の横穴式石室で、天井石はなくなっている。

平成20年(2008年)に国道及び橋の付け替え工事に伴い発掘調査が行われ、ガラス玉、耳飾り、鉄鍬などが出土している。平成23年(2011年)に元の位置から50m東の現在地に移築・復元されている。墳丘上部は既に失われていたので、古墳基底部のみの復元となっている。

Y字路の三角地点にあり、隣は何回も寄ったことがあるセブンイレブン。でも、原古墳の存在にはまったく気がつかなかった。何で知ったかと言うと「ぐんま古墳探訪」に紹介されていたから。早速役にたった。(「『ぐんま古墳探訪』を買ってきた」参照)

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渋川市金井の金井古墳。

金井古墳 (1)
金井古墳は山中の斜面に、榛名山の噴火により堆積した軽石層を切り開いて造られた山寄せ式円墳。直径約14m。古墳時代末の7世紀後半の築造と推定される。

金井古墳 (2)
石室は両袖型の横穴式で、天井と側壁の上部石は無くなっている。石材は角閃安山岩と自然石。石室は玄室と羨道の間に切石で造られた玄門がある。玄門には冠石が残っている。

金井古墳 (3)
金井古墳 (4)
金井古墳 (5)
玄室は最大幅が2m、長さ2.3m、高さは奥壁付近で2.1m。羨道部は長さ長さ2.8m、幅1.2m。遺物は石室内から鉄釘や鉄鏃片、前庭部から須恵器大甕、有蓋短頸壺、土師器坏などが出土している。

思っていた以上に山の中だったので、不安になってしまった。けっこう鬱蒼としていて、昼間でも物音がするとビビる。でも、道路の舗装が比較的新しかったので、道さえ分かれば行きやすい。

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渋川市北橘町小室の敷石住居跡。

小室敷石住居跡 (1)
小室敷石住居跡は、縄文時代中期末葉から後期初頭(紀元前2000年ころ)の敷石住居跡である。居住部は東西3m、南北3.35mで、出入り口部は幅0.7m、長さ2.3m。

小室敷石住居跡 (2)
地面を浅く掘りくぼめ、床面に平らな石を敷きつめている。敷石は柱穴に沿ってほぼ6角形に敷かれており、中央に石組の炉が配置されている。

この敷石住居跡は、昭和41年(1966年)に地元の少年が自然薯の穴を掘っているときに、土の中に石が並んでいるのを見つけたのがきっかけで、昭和42年(1967年)に発掘調査が行われ、貴重な住居跡だと判明したもの。

小室敷石住居跡 (3)
小室敷石住居跡 (4)
北橘町真壁の北橘歴史資料館敷地内の「たちばな郷公園」に、小室敷石住居跡が実物大で復元されている。北橘歴史資料館は訪問済みだが、その時は館外には目が向かなかった。
(「渋川市北橘歴史資料館」参照)

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渋川市北橘町箱田の木曽三柱神社。

木曽三柱神社 (1)
木曽三柱神社 (2)
渋川市北橘町下箱田の木曽三社神社の宮司争いが、箱田村・下箱田村間の争いにまで発展してしまい、木曽三柱神社は分祀という形を取り安政2年(1855年)に創建されたという。社伝では由緒が木曽三社神社と同様だったり、神社名が近しいのは本家争いの意味合いがあったのかも。(「名泉・湧玉が滾々と -木曽三社神社-」参照)

木曽三柱神社 (3)
木曽三柱神社 (4)
木曽三柱神社 (5)
本殿は将軍塚古墳の墳丘上にある。

木曽三柱神社 (6)
将軍塚古墳は直径約21m、高さ約4mの円墳で、横穴式石室は旧北橘村で確認されている中では最大規模を誇る。将軍塚という名の由来は、木曽義仲が近江国粟津で討ち死に後、家臣とともに当地に落ち延びた3男・義基が、義仲の首と遺品を納めたからといわれる。

木曽三柱神社 (7)
木曽三柱神社 (8)
境内には池が造られ、芭蕉句碑などが建っている。

境内西側には箱田多目的集会所があり、そこは義基の墓と伝わる朝日塚古墳(円墳)を削平後建てられたものである。集会所前広場はゲートボール場になっており、行った日もお年寄りがゲートボールを楽しんでいたため、邪魔をせず写真も撮ってこなかった。

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富岡市中高瀬の高瀬26号古墳。

高瀬26号古墳 (1)
高瀬26号古墳 (2)
高瀬26号古墳は盛土が失われており、主体部の横穴式石室の石材が剥き出しになっている。もとは径22mの円墳で、その周囲に6m幅の周濠が巡らされていたと考えられている。築造は7世紀と推定される。

高瀬26号古墳 (3)
高瀬26号古墳 (4)
高瀬26号古墳 (5)
南向きの横穴式石室だが、崩れてしまっているので詳細は不明。

桐渕住宅団地造成時に発掘調査されたようだが、よく潰されなかったと思う。周りは県営、市営の桐渕住宅団地で多くの古墳が消滅したらしいが、逆に石材が剥き出しだったので残ったのかも。

現在の中高瀬・下高瀬地区にまたがる桐渕古墳群には、40基以上の古墳が確認されているが、現存しているのは数基である(素人のオレが古墳だと判断できるレベルのものは6基)。

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富岡市中高瀬の粘土(ねばつち)山古墳。

粘土山古墳 (1)
粘土山古墳 (2)
粘土山古墳は2段造りの前方後円墳。しかし前方部は大きく削られている。そのため円墳と考えられていたが、昭和45年(1970年)の調査で前方後円墳と判明している。また、周囲に堀が巡らされていたことも、併せて判明している。

もともとは全長62m、後円部径39m、最大幅44m、堀幅9mの大きさと考えられている。6、7世紀の築造と推定される。

粘土山古墳 (3)
粘土山古墳 (4)
主体部は南西に開口する横穴式石室だが、天井石が持ち去られており、石室の詳細は分かっていない。後円部も破壊が進んでいたが、近年保存のための整備が行われたようだ。

北側は道路に面しているが、周りはすっかり住宅街となっており、よく潰されなかったと思う。富岡市内では大きい部類に入るので、重文には指定されていないが保存されたのかな。

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富岡市下高瀬の伊勢塚古墳(高瀬村36号墳)。

富岡伊勢塚古墳 (1)
富岡伊勢塚古墳 (2)
伊勢塚古墳は直径約42m、高さ5.5mの円墳。

横穴式石室があるらしいが、南側(写真正面)には見当たらず。北側に回ってみたが、マンションの壁で見えず。2枚目の写真のように、横から墳頂に登ろうと思えば登れたのだが、ちょっと急いでいたのでパスした。実は、粘土山古墳を目指していていた際に、少し迷った時に見つけたので。

ところで、当地の旧字名が伊勢塚なので伊勢塚古墳なのか、伊勢塚古墳があるから旧字名が伊勢塚なのかは知らないが、名称が付いていることを考えると、もう少しよく見てくれば良かったかもしれない。

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富岡市一ノ宮の太子堂塚(旅寝塚)古墳。

太子堂塚古墳 (1)
太子堂塚古墳 (2)
太子堂塚古墳は前方後円墳だが、後円部の大半は大きく削られているため、本来の大きさは不明。前方部は長さ30m、幅40m、高さ6mの規模を誇り、原形は全長70mほどであったと推定される。

中心の主体部には横穴式石室があったと伝えられているが、既に破壊されている。また、前方部の周囲に20mほどの周堀跡が認められる。

6世紀後半の築造と推定される。

太子堂塚古墳 (3)
前方部墳頂には、松尾芭蕉の句碑(左)と雲裡房の句碑(右)がある。芭蕉の句碑は、地元の俳人が雲裡房の指導のもと寛延4年(1751年)に建立したもの。「芭蕉翁 花の蔭 諷に似たる 旅寝かな」と刻まれている。太子堂塚古墳の別称である「旅寝塚古墳」は芭蕉の句から来ている。

雲裡房の句碑は、芭蕉の句碑造立に尽力した雲裡房を顕彰するために、宝暦12年(1762年)に建立されている。雲裡房は渡辺雲裡房といい、松尾芭蕉の幻住庵を再興した俳人。宝暦11年(1761年)に亡くなっているので、翌年に顕彰句碑が造立されたんだと思う。

太子堂塚古墳 (4)
墳頂にもうひとつ碑のようなものがあるが、なんだか不明。

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太田市東今泉町の巌穴山(いわあなやま)古墳。

巌穴山古墳 (1)
巌穴山古墳は、一辺36.5m(現存30m)、高さ約6mの方墳。墳丘4辺の方位が、それぞれ東西南北とほぼ一致している。また、幅8mの周堀が確認されている。築造は7世紀前半と推定され、太田市では唯一の方墳である。

巌穴山古墳 (2)
巌穴山古墳 (3)
巌穴山古墳 (4)
南側に横穴式石室が開口している。石室は玄室と羨道の間に前室を持つ複式構造で、凝灰岩や自然石を使用している。石室の全長は約13m、玄室の高さは約2.7m。

玄室内からは人骨片や土師器片、金環、刀装具、鉄釘が、羨道部から須恵器などが出土している。葺石、埴輪は見つかっていない。

なお、石室内からは「寛永通宝」も見つかっており、江戸時代には人の出入りが行われていたようだ。当然、盗掘されているということ。もしかして、寛永通宝は石室内から持ち出した宝物の「代金」として置いていったのか、などと想像してみた(笑)。

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前橋市粕川町月田の鏡手塚古墳。

鏡手塚古墳 (1)
鏡手塚古墳 (2)
鏡手塚古墳は周堀を含めた最大長50mの前方後円墳で、墳丘部分のみの長さは28m、後円部の直径は17m、高さは3mである。石室は後円部にあり、粕川系の安山岩の自然石を用いた乱石積み片袖型横穴式石室で、全長約6m、最大幅1.3m、高さ1.73mである。

墳丘から人物、馬などの形象埴輪が、石室内部からは直刀五振の他、耳環、鉄鏃などが多数出している。

出土遺物、石室の形態などから、6世紀中ころの築造と推定される。

ちょっと面倒くさがって離れた写真しか撮ってない。(上の写真が南側から、下の写真は北側から)

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前橋市粕川町月田の壇塚古墳。

壇塚古墳 (1)
壇塚古墳 (2)
壇塚古墳は二段に構築された円墳で、周囲を含めた直径は約40m、墳丘は直径25m、高さ4m。6世紀後半の築造と推定される。

墳丘全面が人頭大の河原石を用いた葺石で覆われ、周堀は墳丘からやや離れて検出し、石室前に「渡り」を設けていた。

壇塚古墳 (3)
壇塚古墳 (4)
石室は粕川系の安山岩の自然石を用いており、乱石積み片袖型横穴式石室。全長7.42m、最大幅2.05m、高さ1.9m。

石室開口部は、埋没防止のため土嚢が積んであるが、埋没しそうな雰囲気。石室内を覗いて見たら、崩落防止の鉄柱が見えた。(写真には写らなかったけど)

遺物は石室入口部から人物、馬、器材などの埴輪類、石室内から直刀三振、小刀二振、刀子、鉄鏃、耳環、玉類などが出土している。また、墳丘部からは家型埴輪や器材埴輪も出土している。

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邑楽郡板倉町岩田の筑波山古墳。

筑波山古墳 (1)
筑波山古墳 (2)
筑波山古墳は全長53.5mの前方後円墳。後円部の径36m、高さ4m、前方部の最大幅は36.5m、高さ3.5m。周堀を含めると70.8mの規模を誇る。板倉町では最大規模。6世紀後半から7世紀前半の築造と推定される。

昭和8年(1933年)墳頂部に社を造る際に横穴式石室が見つかり、副葬品は銀象嵌円太刀、直刀、鉄鏃、金銅製耳環、瑪瑙製勾玉、水晶製切子玉などが出土した。

豊城入彦命の孫・御諸別王の墓との伝承がある。

筑波山古墳 (3)
筑波山古墳 (4)
後円部に鎮座する筑波山神社。元々は神明宮だったが、上記昭和8年の社造営時に筑波山神社を勧請・合祀し、以降筑波山神社とした。

素人目に見ると円墳にしか見えない。もっと遠目に見れば良かったのかもしれない。

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前橋市今井町の今井神社古墳。

今井神社古墳 (1)
今井神社古墳は全長71mの前方後円墳で、前方部幅50m、後円部径44mである。昭和55年(1980年)の調査によると、墳丘周囲には馬蹄形の周堀が巡り、これを含めると全長は約90mになる。

今井神社古墳 (2)
今井神社古墳 (3)
多数の円筒埴輪も出土しており、墳丘上に配列されていた。主体部からは「組合せ式石棺」と思われる石棺の一部が掘り出されている。築造は5世紀と考えられている。

今井神社古墳 (4)
今井神社古墳 (5)
今井神社古墳 (6)
後円部には今井神社が鎮座している。今井神社は嘉禄元年(1225年)に天満宮の分霊を勧請。つまり菅原道真がご祭神。明治40年(1907年)赤城神社を合祀し、今井神社となっている。

今井神社古墳 (7)
前方部には観音堂があり、利根左岸十三仏の内の観音様が祀られている。

かつては今井神社古墳を中心に27基の古墳があったと言うが、現在はほぼ消滅してしまっている。

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富岡市南後箇の北山茶臼山古墳。

茶臼山古墳 (1)
茶臼山古墳 (2)
茶臼山古墳は北山の山頂にある。実は北山を見くびっていた。古墳があるくらいだから、ちょっとした丘くらいだと思っていたら、そうではなかった・・・。標高だと260mくらいらしいが、けっこう山道は大変。

茶臼山古墳 (3)
途中にヘビが通せんぼ。行くなってことか?

茶臼山古墳 (4)
なんとなく円墳ぽいのが見えてきた。久しぶりに疲れた。

茶臼山古墳 (5)
北山の山頂兼茶臼山古墳の墳頂。

茶臼山古墳は径約35m、高さ約5mの円墳で、北側に祭壇だといわれる造り出しがある。表面には河原石を敷きつめ、周囲には埴輪が並べ立ててあった。築造時期は4世紀末から5世紀初めと推定される。

茶臼山古墳 (6)
明治27年(1894年)、地元住民によって偶然に青銅鏡や石釧(石製の腕輪)などが掘りだされ、初めて古墳であることが分かった。その他、刀剣や玉類など、豊富な副葬品が発掘されている。その経緯や発掘の状況を記した碑が建っている。

特に青銅鏡は直径24.9cmで、3世紀に中国・魏で作られた「三角縁神人車馬竜虎画像鏡」(三角縁神獣鏡の一種)で、同じ鋳型で作られたものが奈良県・滋賀県・岡山県で出土している。

このことから、被葬者は畿内(大和朝廷)と強い結びつきがあった豪族と推定される。

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伊勢崎市磯町の十二所古墳。

十二所古墳 (1)
十二所古墳は全長約48m、前方部約18m、後円部径約30mの前方後円墳である。約6mに周堀がめぐっている。

昭和初期に後円部墳頂が調査され、凝灰岩や内部が朱塗りの石棺が発見されているが、全体は未調査のため詳細は不明。築造年代は5世紀末と考えられている。

十二所古墳 (2)
墳丘面には河原石や埴輪の散布が認められることから、葺石や埴輪が配されていた考えられる。

蕨沢川と鏑木川に挟まれた峯岸山から南方に連なる丘陵を中心に多くの古墳が分布している(峯岸古墳群)。十二所古墳は峯岸古墳群の中では、中心的な存在である。

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渋川市元町の虚空蔵塚古墳。

虚空蔵塚古墳 (1)
虚空蔵塚古墳 (2)
虚空蔵塚古墳は径13mの円墳で、榛名山二ツ岳の噴火(6世紀後半)により噴出した軽石層の上に造られている。古墳時代末期(7世紀後半)の築造と推定される。

虚空蔵塚古墳 (3)
虚空蔵塚古墳 (4)
前庭部は扇羽状に広がっている。石室は羨道はなく、玄室は幅1.3m、奥行き3.3m、高さ1.9m。石は直角に切られた截石で積まれ、床面にも敷きつめられている。

石室内には、後の時代の虚空蔵菩薩が祀られており、これが古墳名の由来である。

虚空蔵塚古墳 (5)
虚空蔵塚古墳 (6)
虚空蔵塚古墳を含むこの付近一帯は、明治初期まで如来寺という寺の寺域だった。そのため、歴代住職の墓や宝篋印塔や五輪塔(残骸)が残っている。

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桐生市新里町山上の愛宕塚古墳。

愛宕塚古墳 (1)
愛宕塚古墳は、径30m、高さ8mの円墳であったが、既に消滅している。

愛宕塚古墳 (2)
愛宕塚古墳 (3)
平成(1990年代)に入ってから発掘調査が行われたらしいが、既に墳丘はなく、石室石材も大半が散逸していた。基底部の石材のみ、山上城址公園内(三の丸)に移築されている。

元禄14年(1701年)に蕨沢川に架かる橋を石橋に架け替える際に愛宕塚古墳の石室の石材を使用したといわれている。よって、この時に実質的に愛宕山古墳は消滅したと考えられる。

なお、橋のたもとには石橋に架け替えた際の供養塔が建っている。(元町橋の供養塔として、桐生市の重文に指定されている)

もちろん、現在の橋は鉄筋コンクリート製なので、旧石橋、つまり愛宕塚古墳石室の石材はお役御免になっているが、石材は処分されちゃってるんだろうな。

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高崎市吉井町長根の恩行寺古墳。

恩行寺古墳 (1)
恩行寺古墳は鏑川右岸の上位段丘面の先端部に築かれた円墳で、墳丘径40m、高さ7mの規模を誇る。墳頂部には17mの平坦面を作っている。

恩行寺古墳 (2)
恩行寺古墳 (3)
墳丘外面には河原石を使用した葺石が確認されている。西から南側にかけて周堀の跡が残り、主体部は竪穴式と推定されるが、未調査のため埋葬施設や副葬品については不明である。

現地案内板には6世紀後半から7世紀前半の築造と書かれていたが、高崎市HPでは5世紀前半と書いてあった。時期が大きく違うが・・・。

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太田市市場町の稲荷山古墳。

太田稲荷山古墳 (1)
太田稲荷山古墳は、径32m、高さ4mの円墳と推定されるが、南西部に周囲より一段高い平たん部があり、帆立貝形古墳の可能性もある。西側には周堀の形跡が認められる。

墳丘には葺石があり、円筒埴輪、形象埴輪(人物など)も発見されている。6世紀中ごろの築造と推定される。

太田稲荷山古墳 (2)
太田稲荷山古墳 (3)
太田稲荷山古墳 (4)
墳頂には稲荷神社が鎮座している。

太田市には西本町の県立太田高校の校内にも稲荷山という名の古墳がある。話が逸れるが、太田高では古墳に立ち入ったりボールなどを投げこんでしまうと浪人すると言い伝えられている。(太田高は群馬県内有数の進学校)

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前橋市堀之下町の正円寺古墳。
前回の正円寺の本堂裏(北側)にある。
(正円寺は「上州七福神・福禄寿を祀る -正円寺-」参照)

正円寺古墳 (1)
正円寺古墳 (2)
正円寺古墳は全長65m、高さ7mの前方後円墳で、後円部径46.5m、前方部幅48mの規模を誇る。6世紀中ごろの築造と推定される。

正円寺古墳 (3)
南側は正円寺の本堂などで削られている。

正円寺古墳 (4)
後円部墳丘上には祠が数個あった。後円部には自然石を用いた横穴式石室が確認されている。石室の全長は9.7m、玄室長3.9m、奥幅1.8m、羨道長5.8m。くびれ部からは竪穴式石槨も確認されている。

正円寺古墳 (5)
墳丘上から見た赤城山(木々でちょっと見づらいが)。

盗掘のため副葬品は見つかっていないが、遺骨が五体確認されたことから「五霊大明神」と呼ばれていた。つまり神社として信仰されていたということ。

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前橋市東片貝町の桂萱大塚古墳。

桂萱大塚古墳 (1)
桂萱大塚古墳 (2)
桂萱大塚古墳は全長57mの前方法円墳で、後円部の高さは7m。片貝神社の社殿裏(北側)にあるが、片貝神社や市道などで大きく削られており、後円部の一部が確認できるのみである。(片貝神社は「片貝神社の太々神楽 -片貝神社-」参照)
6世紀後半の築造と推定される。

桂萱大塚古墳 (3)
石室は南側に開口している。パッと見、石室には見えない。周りの石は最近の物と思うが、石垣のようになっており、曲がった鉄柵と合わせ排水溝のようだ(笑)。

桂萱大塚古墳 (4)
どうやっても覗けなかったので、適当にカメラを差し込み写真を撮った。大きく写っているは天井石だろうか? だとすれば、石室はほぼ土砂で埋まっている状態。

桂萱大塚古墳 (5)
墳丘上には、月山大神、湯殿山大神、出羽大神、猿田彦大神など多数祀られていた。

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高崎市吉井町池の南高原1号古墳。

南高原1号古墳 (1)
南高原1号古墳 (2)
南高原1号古墳 (3)
南高原1号古墳は、元々吉井町神保にあった径17mの円墳。低い基壇を有する二段築成を呈している。周囲に堀を巡らせ、墳丘表面には葺石が残っていた。7世紀の築造と推定される。吉井いしぶみの里公園内に移築・復元されている。

南高原1号古墳 (4)
南高原1号古墳 (5)
石室は南側に開口する横穴式。石室全長は約8mで、石材は牛伏砂岩を用いている。

南高原1号古墳 (6)
南高原1号古墳 (7)
巨大な天井石。

発掘調査時、石室の天井石、奥壁、袖部を除く左右の側壁、羨道の左右側壁が残っていた。

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高崎市吉井町池の片山1号古墳。

片山1号古墳 (1)
片山1号古墳 (2)
片山1号古墳は、元々吉井町片山にあった径32.6mの円墳。周囲に巡る堀跡を含めると径約50mの規模を誇る。4世紀末から5世紀初頭の築造と推定される。吉井いしぶみの里公園内に移築・復元されている。

主体部は8.8mの長大な粘土郭が確認されている。粘土郭中からは小型倣製の内行花文鏡の他、縦櫛、鉄剣、鉄鍬、鉄斧、勾玉などが出土している。

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高崎市金古町の愛宕山古墳。

金古愛宕山古墳 (1)
金古愛宕山古墳は径約30m、高さ3mの円墳で、古墳時代後期の6世紀末から7世紀前半に築造されたと推定される。

金古愛宕山古墳 (9)
金古愛宕山古墳 (2)
金古愛宕山古墳 (3)
墳丘上には愛宕神社が鎮座している。

金古愛宕山古墳 (4)
石室は南東に開口している。入口付近は左にカーブしており、石積みも含めて後世の手が加わっているようだ。

金古愛宕山古墳 (5)
金古愛宕山古墳 (6)
石室は自然石の乱石積手法を用いた横穴式両袖型で、全長9m、玄室長3.2m、最大幅2.1m、高さ2.3mという規模を誇る。

金古愛宕山古墳 (7)
金古愛宕山古墳 (8)
石室の天井石は巨大。巨石を積上げる技術はすごい。

金古地区北西部の牛池川、染谷川流域には、昭和10年(1935年)の調査で111基の古墳があったと報告されているが、愛宕山古墳はその中で最も保存状態の良いものとして貴重である。

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高崎市吉井町馬庭の御穴塚古墳。

御穴塚古墳 (1)
御穴塚古墳 (2)
御穴塚古墳は径約10m、高さ3.4mの円墳である。馬庭飯玉神社の社殿裏(北側)にあり、その社殿により墳丘はかなり削られている。(「高崎市吉井町・馬庭飯玉神社」参照)

御穴塚古墳 (3)
御穴塚古墳 (4)
南側に横穴式石室が開口しているが、羨道などは失われている。奥壁と天井石は巨石を使用している。

御穴塚古墳 (5)
墳丘もかなり削られていると思われ、天井石が露出している。

石室内には葺き替えた(?)飯玉神社の瓦が置かれていた。ちょっとした物置になっている(笑)。

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