Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 群馬の博物館・資料館・テーマパーク


吾妻郡長野原町林の八ッ場ダム広報センター・やんば館。

八ッ場ダムは昭和27年(1952年)の計画発表以来、水没予定の長野原町において頑強な建設反対運動が起きた。住民の方々の苦渋の決断により、ダム建設容認で動き出したが、民主党政権で建設中止、建設再開と振り回されることになった。

地元の方々のご苦労は察するに余りある。

やんば館 (1)
やんば館 (2)
八ッ場ダムのために水没する長野原の方々の半世紀にわたるご苦労とダムの必要性を理解してもらうため、平成11年(1999年)に開館した(by 国土交通省!)。

建屋の横には平成21年(2009年)の政権交代時、TVニュースによく映った湖面2号橋も既に完成形。当時は建設途中で十字架状だった。

やんば館 (3)
一応反対運動のことも書いてあるパネル。

やんば館 (4)
やんば館 (5)
まあ、国交省のプロパガンダ館なので、ダム事業のマイナス面の展示はなし。やたら出てくる「リサイクル」の文字が鼻につく。山林を削って、自然環境を破壊するダム事業で、「環境にやさしい」もあったもんじゃないと思うが・・・。

やんば館があるところは水没予定地。まあ、立派な建屋だこと。でも、外観に似合わず中(展示室)は狭い!!きっと、奥に広いスタッフルームがあるんだろうな、なんて想像しちゃう。だって、役人のやることだもん。

やんば館 (6)
やんば館 (7)
下流側(川原湯温泉あたり)では、別の湖面橋の工事中。

ところで、このやんば館は4月26日をもって閉鎖、4月27日にオープンする道の駅「八ッ場ふるさと館」内へ移転する。

当初は、この建屋ごと移転させるとしていたが、それはあきらめ規模を縮小しての移転となった。建屋ごと移転させるのもムダだけど、この建屋を水没させるのも、またムダである。

やんば館の開館に伴う費用は2億円! 現在までの諸々の費用を考えると・・・。

結論として、やんば館を作ったことも大いなるムダってこと。

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高崎市綿貫町の群馬県立歴史博物館。
群馬県立公園 「群馬の森」内にある。

群馬県立歴史博物館 (1)
群馬の森は、昭和43年(1968年)に「明治百年記念事業」により「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所」の跡地に整備された公園。県立歴史博物館は、昭和54年(1979年)の開館。

館内の構成は(常設展示)、
 学習ホール
 第1展示室 : 旧石器/縄文/弥生
 第2展示室 : 古墳/奈良/平安第
 第3展示室 : 鎌倉/室町/戦国
 第4展示室 : 江戸
 第5展示室 : 明治以降

細かい解説はできないので、写真の羅列!(なるべく時代順)

群馬県立歴史博物館 (2)
群馬県立歴史博物館 (3)
群馬県立歴史博物館 (4)
群馬県立歴史博物館 (5)
群馬県立歴史博物館 (6)
群馬県立歴史博物館 (7)
群馬県立歴史博物館 (8)
群馬県立歴史博物館 (9)
群馬県立歴史博物館 (10)
群馬県立歴史博物館 (11)
群馬県立歴史博物館 (12)
群馬県立歴史博物館 (13)
群馬県立歴史博物館 (14)
群馬県立歴史博物館 (15)
時代に偏りがあるけど、ご勘弁を。一応、説明文が写っているのと、見れば何か分かる写真を載せたつもりだけど、門の写真だけ分かんないかもしれない。これは「碓氷峠の関所東門」。

「上毛かるかた紀行」で来て以来久しぶりだけど、こういう歴史遺産に触れるのはいいもんだね。(上毛かるた紀行 「つる舞う形の群馬県」参照)

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高崎市八島町の高崎市美術館。

高崎市美術館 (1)
高崎市美術館は、平成3年(1991年)の開館。

優雅に絵を見に行った、と言いたいところだけど、実は旧井上房一郎邸を見に行った。旧井上邸は高崎市美術館の裏にあり、美術館に併設の形になっているので、美術館に入らないと、旧井上邸に行けない。

井上房一郎邸 (1)
観音山の観音様を建てたことで有名な井上工業の創始者・井上保三郎の長男・房一郎氏が、昭和27年(1952年)に自邸として建てた住宅。

房一郎氏は、井上工業の社長も務めているが、ブルーノ・タウトの招請や群響の創設に尽力するなど、文化活動にも大きな足跡を残した。

井上房一郎邸 (2)
井上房一郎邸 (3)
井上房一郎邸 (4)
群馬音楽センターの設計者として有名な建築家アントニン・レーモンドが、東京・麻布に建てた住宅を気に入った房一郎氏が、それを模して建てたもの。

柱筋が外壁からずらされた平面計画や、柱や垂木を二つ割りの丸太で挟み込む「鋏み状トラス」を用いた構法など、レーモンドの住宅建築の特徴が随所に見える。

井上房一郎邸 (5)
井上房一郎邸 (6)
庭園は当時のままなのかは不明だが、よく手入れが行き届き綺麗である。

井上房一郎邸 (7)
旧井上邸の西側には高層マンションが林立しており、その中の平屋との対比が何とも言えない。

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邑楽郡大泉町朝日の文化むら。
大泉文化むらの3回目。今回は民俗資料館の紹介。

大泉町文化むら3 (1)
大泉町文化むら3 (2)
明治時代の代表的な養蚕農家の家屋を、文化むら敷地内に移築復元したもの。

大泉町文化むら3 (3)
大泉町文化むら3 (4)
大泉町文化むら3 (5)
広い土間、むき出しの長大な梁など、当時の大型木造農家の様子が分かる。

大泉町文化むら3 (6)
大泉町文化むら3 (7)
母屋に似た木造・瓦葺きの建物の中には、昔の生活に欠かせなかった民具・農具などを展示している。

大泉町文化むら3 (8)
ちょっと目を引いたのが不発弾。昭和20年(1945年)4月の空襲で、B29爆撃機から投下されたもの。全長150cm、直径35cm、重さ227kg。

昭和41年(1966年)に発掘した20発のうちの1発。20発も不発弾が埋まっていたのね。

3回にわたって大泉町文化むらを紹介したけど、裕福な自治体っていいなぁ。

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邑楽郡大泉町朝日の文化むら。
今回は文化財展示室を紹介。

大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (1)
平成3年(1991年)に、文化むら・展示ホール棟1階に開館した。石器時代から中世まで、時代順に町内で発掘された遺物を展示。

大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (2)
大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (3)
大泉町は、旧石器および縄文時代の遺跡が多く、石器や土器が多数出土している。

大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (4)
大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (5)
大泉町を始め、東毛地区は古墳も多く、各種埴輪が出土している。古海松塚11号古墳出土の人面埴輪と太刀埴輪。

大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (6)
古海天神山古墳から出土の「椅子に腰かけた少女」。ここにあるのはレプリカ。実物は国の重文になっており、国立東京博物館にあるそうだ。

大泉文化むら・埋蔵文化展示室 (7)
古海原前1号古墳から出土の「同向式画文帯神獣鏡」。

いやぁ~っ、すごい!!
あんまり広くはないけど、盛りだくさんの展示。これで無料なんだから。裕福な自治体が保存に力を入れると、こいうなるという良い例だね。

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渋川市北橘町下箱田の群馬県埋蔵文化財調査センター。
同センターは、群馬県の遺跡から発掘された出土品を収蔵・保管する施設。

「甲を着た古墳人」見学のついでに、発掘情報館も覗いてきた。
甲(よろい)を着た古墳人 -群馬県埋蔵文化財調査センター-

埋蔵文化財調査センター (1)
発掘情報館は出土品を身近に学習できる場として、平成8年(1995年)に開館している。約4000点の土器や石器などの遺物を常設展示している。

以下、いくつか展示物、収蔵物を紹介。どの遺跡から出土したかとかは、覚えてない。
埋蔵文化財調査センター (2)
埋蔵文化財調査センター (3)
埋蔵文化財調査センター (4)
埋蔵文化財調査センター (5)
埋蔵文化財調査センター (6)
埋蔵文化財調査センター (7)
埋蔵文化財調査センター (8)
埋蔵文化財調査センター (9)
「甲を着た古墳人」見学者で駐車場が満杯、敷地内のいたるところに駐車スペースを作って、無理やり停めているような状態だったので、のんびり見学という訳にはいかなかった。

係員も「申し訳ないけど今日はさっさと帰って、また来てね」的な雰囲気を醸し出していたので・・・。

と言うことで、また後で来てみよう。

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渋川市北橘町下箱田の群馬県埋蔵文化財調査センター。

3月3日~8日の間、渋川市の金井東裏遺跡で発見された「甲(よろい)を着た古墳人」が一般公開されている。

「甲を着た古墳人」は、6世紀初頭の榛名二ツ岳の大噴火による火山灰層の下から見つかり、武具を着けた状態での発見は日本初とのことで、全国的なニュースとなった。

甲を着た古墳人 (1)
平日の昼時というのに、行列ができていた。

甲を着た古墳人 (2)
甲を着た古墳人 (3)
まず、センターの方からパネルを使って、発掘の状況などの説明を聞く。

甲を着た古墳人 (4)
甲を着た古墳人 (5)
甲を着た古墳人 (6)
両膝を曲げた状態で、前のめりに倒れた姿勢の「甲を着た古墳人」。後頭部の骨は失われているが、左手は指まで確認できる。

甲を着た古墳人 (7)
おしり側から。骨盤や大腿骨が見える。

甲は「小札(こざね)」と呼ばれる厚さ1mmほどの鉄板を綴った小札甲とみられ、草摺と呼ぶ甲の下の部分がずりあがったようになっている。

小札甲を作る工房は近畿しか見つかっておらず、群馬県内でも小札甲が副葬品として出土しているのは支配者層の古墳に限られていることから、大和王権とつながりが深い、政を担うような首長など、地位のある人物ではないかという。

近くで乳児の頭骨が見つかっていることから、乳児を助けようとしていた説、山の神を鎮める祈り説など、いろんな説が出ている。まあ、ほんとのところは分からないだろうから、自分なりに想像して楽しめばいいと思う。

今後、人骨と甲を切り離す作業が始まるので、「甲を着た」状態での公開は今回が最後となるという。


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高崎市榛名山町の榛名歴史民俗資料館。

榛名歴史民俗資料館 (1)
榛名歴史民俗資料館は、旧榛名町の文化遺産を保存伝承することを目的に、
昭和60年(1985年)榛名神社参道入口に開館した。

榛名歴史民俗資料館 (2)
榛名歴史民俗資料館 (3)
榛名歴史民俗資料館 (4)
榛名歴史民俗資料館 (5)
石器土器などの原始・古代の遺跡出土品、宿場関係資料、近世農村の古文書、地域で盛んに行われた養蚕・製糸に関する資料や農耕資料など、地域の歴史・民俗資料が一堂に集められている。

榛名歴史民俗資料館 (6)
榛名歴史民俗資料館 (7)
真田昌幸の禁制や井伊直政の鞍と鐙もあった。

榛名歴史民俗資料館 (8)
入り口から展示室に続く廊下には、壁面に榛名山全図(江戸中期)があり、
当時の榛名山・榛名神社の様子が分かる。これまで公開の機会が少なかった、榛名神社関係の資料などもあり。

全体的に榛名地域の自然風土や歴史を学ぶことができる。

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利根郡みなかみ町永井の永井宿郷土館。

永井宿郷土資料館 (1)
小学校(分校)の校舎を改築した資料館。永井宿の各種資料を展示している。

永井宿郷土資料館 (2)
この甲冑は、天正10年(1582年)のくぐつが谷(三国峠)の戦いで使われたと伝えられている。

永井宿郷土資料館 (3)
永井宿郷土資料館 (4)
宿場町の古文書。

永井宿郷土資料館 (5)
十二神社の獅子舞(獅子頭)。天保年間(1830年~44年)の伝統を守り伝える。

永井宿郷土資料館 (6)
クマやシカなど、北方系動物の剥製。北国であることを実感。

永井宿は三国峠を控えた宿場町だった事から、参勤交代で長岡藩、村松藩、与板藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟奉行などの上役が利用した。また、上越線の開通まで越後米の関東への流入口であり、米の取引場として隆盛を極め、陸の船着き場ともいわれた。

永井宿は万延元年(186年)の火災によりほぼ焼失。現在の街並みは再建されたものであるが、随所に当時の雰囲気を感じる事ができる。

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利根郡みなかみ町下津の名胡桃城址。

名胡桃城址 (1)
名胡桃城址 (2)
名胡桃城は、明応元年(1492年)に沼田景冬によって築かれたと伝わる。史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として整備している。

名胡桃城址 (3)
名胡桃城址 (4)
名胡桃城は突き出た段丘面に築かれ、自然の要害に守られた山城である。馬出しから三郭・二郭・本郭・ささ郭と主要な郭が、直線的にに並ぶ連郭式。

名胡桃城址 (5)
本郭址から沼田市方面を臨む。沼田市と言っても、はずれの方だと思う。街はもっと右の方。

名胡桃城址 (6)
名胡桃城址 (7)
名胡桃城址 (8)
資料館が併設されており、ちょっとした資料が展示されている。ボランティア(と思われる)の方が常駐されており、いろいろ説明してくれる。

天正17年(1589年)、豊臣秀吉は沼田を北条領、名胡桃を真田領とする裁定を下したが、北条方の沼田城代・猪俣邦憲の謀略により名胡桃城は奪取されてしまう。謀られた名胡桃城代・鈴木主水重則は、沼田正覚寺で自害している。
(「名胡桃城代・鈴木重則の墓?? -正覚寺 その2-」参照)

これに激怒した秀吉により、天正18年(1590年)小田原攻めが行われ、北条氏は敗れている。まあ、名胡桃事件は口実だと思うけどね。

これにより、沼田城、名胡桃城は真田氏に与えられ、沼田領の安泰とともに名胡桃城はその役割を終え廃城となった。

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桐生市広沢町の桐生自動車博物館。

桐生自動車博物館 (0)
ここはトヨタ車を集めた小さな自動車博物館。油彩画のギャラリーも併設されている。建物は大谷石造りの「のこぎり屋根工場」で、70年以上前に建てられた桐生を代表する建物。

桐生自動車博物館 (1)
桐生自動車博物館 (2)
桐生自動車博物館 (3)
桐生自動車博物館 (4)
桐生自動車博物館 (5)
日本の自動車産業の歴史を物語る、昭和30年・40年代のトヨタ車を中心に展示している。

館長さんがいろいろ話をしてくれて、「へぇ~!」「そっかっ!」って分かったような気になっていたんだけど、帰ってきて写真を見ても、どれがなんだか分からず・・・・。

ところで、ここは開館日が非常に少ない。だいたい月に2日(日曜)くらい。HPで事前に調べてから行かないと閉まってる。8月みたいに、「暑かったから開けなかった」(by 館長さん)みたいなこともあるらしい。

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利根郡川場村天神の歴史民俗資料館。

川場村歴史民俗資料館 (1)
明治43年(1910年)、川場小学校の校舎として建てられ、昭和61年(1986年)移築・改修し、昭和62年に歴史民俗資料館として開館。

川場村歴史民俗資料館 (2)
川場村歴史民俗資料館 (3)
川場村歴史民俗資料館 (4)
1階は村の歴史を年代別に展示。村内の遺跡から出土した縄文・弥生式土器や刀剣、甲冑など。

川場村歴史民俗資料館 (5)
川場村歴史民俗資料館 (6)
直心影流の巻物と皆伝書があった。いち早く竹刀と防具を使用し、打ち込み稽古を導入した流派であり、江戸時代後期には全国に広まった。

第9代・長沼綱郷が沼田藩に仕官したことから、長沼家は代々沼田藩で直心影流を指南した。そのため、巻物や皆伝書が川場村に残っているようだ。

川場村歴史民俗資料館 (7)
2階は「薄幸の女流歌人・江口きち」資料室や民具、農具、教育関係資料を
展示している。

川場村歴史民俗資料館 (8)
川場村歴史民俗資料館 (9)
江口きちは、昭和時代前期の歌人で、貧困のなかで多くの歌を詠んだ。

年老いた父、病気の兄、妹を抱えた苦しい生活の中で、唯一の生きがいは短歌だったという。最期は、昭和13年(1938年)兄とともに(というか兄を道連れに)服毒自殺。享年25歳。白いドレスは自殺時に着ていたもの(実物じゃないけど)。

江口きちの資料を見てたら、ちょっとウルウルしてきて・・・・・。

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沼田市西倉内町の旧生方家住宅。

旧生方家住宅 (1)
旧生方家住宅は妻入・板葺の町家で、その様式・技法から見て17世紀末の建築とされ、東日本で最も古い町家造りの建築物とされる。

沼田市の繁華街の中心にあったが、昭和48年(1973年)沼田市に寄贈され、沼田公園内に移築している。

旧生方家住宅 (2)
旧生方家住宅 (3)
旧生方家住宅 (4)
生方家は旧沼田藩の薬種御用達を勤めた家柄で、建物構造も商家ならではの造り。薬を調合する匙や天秤などが展示されている。

旧生方家住宅 (5)
旧生方家住宅 (6)
旧生方家住宅 (7)
隣には、元沼田町長であり旧生方家住宅の前所有者であった生方誠氏が、生前収集した書や出土品などが展示されている資料館がある。資料館の建設費用は、たつゑ夫人が寄付している。

ちなみに、夫人は歌人で沼田市名誉市民。

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安中市松井田町の荻野屋。
「峠の釜めし」の製造・販売元と言えば分かりやすいか。

おぎのや資料館 (10)
荻野屋は明治18年(1885年)創業、昭和33年(1958年)に発売した「峠の釜めし」が大ヒット。写真は横川駅前の本店。

おぎのや資料館 (15)
本店前にある「おぎのや資料館」。

おぎのや資料館 (7)
おぎのや資料館 (2)
おぎのや資料館 (8)
おぎのや資料館 (4)
おぎのや資料館は、信越線横川-軽井沢間が廃線になった後、地域の活性化を願い開館したもの。館内には横川駅にまつわるもの、おぎのやの歴史等が展示されている。

おぎのや資料館 (11)
おぎのや資料館 (13)
釜めしは、直径14cm、高さ8.5cm、重量725gの益子焼の釜に入った薄い醤油味の出汁による炊き込みご飯である。鶏肉、しいたけ、たけのこ、栗、杏子、うずらの卵などが彩りを添える。

釜は栃木県芳賀郡益子町の窯元・つかもとで製造されており、釜の上部(上薬が塗ってある茶色の部分)には、「横川駅」「おぎのや」の文字が刻まれている。

当時は、信越線の全列車が、横川駅-軽井沢駅間の碓氷峠通過に際し、ED42形電気機関車への付け替えが必要なために、比較的長時間停車するので、駅弁として売りやすかった。また、温かい駅弁(昭和30年代では画期的!)であったことなどから人気商品となり、現在まで販売されているロングセラー駅弁となった。

今は駅弁と言うよりも、郷土料理といった方がいいかも知れない。

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富岡市上丹生の岡部温故館。

岡部温故館 (1)
岡部温故館 (2)
岡部家は、江戸時代から小幡藩の御用商人を勤めており、この地の特産であった麻や砥石の問屋を営み、明治以降も地主として栄えた。

第11代岡部定信氏が、代々受け継いできた歴史資料や美術品を、 「文化財は地域社会のもの」との趣旨から、昭和58年(1983年)に岡部温故館を開館し公開、平成元年(1989年)から富岡市が管理・運営している。

岡部温故館 (3)
岡部家の土蔵(2階建て3棟)が、展示室になっている。

興味を引くものがいっぱいあった。いくつか紹介。

岡部温故館 (4)
元禄10年(1697年)に刊行された、宮崎安貞著「農業全書」。

岡部温故館 (5)
江戸時代の儒学者・頼山陽の「校正 日本外史」。

岡部温故館 (6)
江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の「北斎漫画」。

岡部温故館 (7)
日露戦争凱旋記念絵はがき。明治37年(1904)。

岡部温故館 (8)
内容はよく分かんないけど、大量の屏風。

これら以外にも、いろんな古文書、美術品、工芸品、書籍が多数。

解説員さんが、「随時展示替えを行っている」と言っていたので、見てきたのはほんの一部なのね。地方とはいえ、江戸時代の商人の財力ってのはすごかったのね。

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みどり市東町座間の童謡ふるさと館。

童謡ふるさと館 (1)
童謡ふるさと館 (2)
童謡ふるさと館は平成元年(1989年)に、童謡「うさぎとかめ」などの作詞者「石原和三郎」の顕彰と文化振興を目的として開館した。

童謡ふるさと館 (3)
童謡ふるさと館 (4)
童謡ふるさと館 (5)
「うさぎとかめ」「はなさかじじい」「金太郎」「大黒様」など、数多くの童謡を作詞した、東町花輪(旧勢多郡東村)出身の石原和三郎の写真や略歴、自筆原稿等の資料の他、童謡のパネル展示がある。

童謡ふるさと館 (6)
童謡ふるさと館 (7)
平成18年(2006年)からは、木のぬくもりを感じさせる「うさぎとかめ」のからくりおもちゃも展示している。

石原和三郎(1865年~1922年)は、旧勢多郡東村の名誉村民。群馬県尋常師範学校(現、群馬大教育学部)で学び、花輪小へ教員として赴任し、後に校長も務めている。

もうちょっと色んなものがあるのかと思っていたけど、残念ながらたいしたものはなかった。子どもはもちろん大人も楽しめます、ってことになってるけど・・・・・。

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みどり市東町花輪の旧花輪小学校記念館。

最初に書いておくが、タイトルの今泉嘉一郎は、日本鋼管創業者のひとり。現在日本鋼管は川崎製鉄と合併し、JFEスチールグループ。

旧花輪小記念館 (1)
旧花輪小記念館 (3)
旧花輪小学校は、明治6年(1873年)5月の開校。現在の木造校舎は、卒業生でもある今泉嘉一郎の寄付により建てられた。昭和6年(1931年)の建設で、外部の建具がアルミサッシに取り替えられた他は、建築当初の姿をそのまま留めている。

旧花輪小記念館 (4)
旧花輪小記念館 (5)
4間×5間の教室と北側片廊下の形式は、明治後半から昭和初期にかけて作られた典型的な木造校舎と言える。特に、屋根上に設置された換気口は県内では他に例がなく、デザイン的にも優れている。

平成13年(2001年)3月に小学校の統廃合により廃校となったが、地元の努力により、平成15年(2003年)旧花輪小学校記念館となった。

旧花輪小記念館 (6)
旧花輪小記念館 (7)
今泉嘉一郎の立派な銅像と展示パネル。ゆかりの品や功績の数々など、さまざまな資料が展示されている。

旧花輪小記念館 (8)
卒業生には今泉嘉一郎の他に、童謡「うさぎとかめ」の作詞をし、童謡の父と称される石原和三郎がいる。和三郎は後に花輪小の校長も務めている。

2人とも旧勢多郡東村の名誉村民である。

歳がばれるけど、オレも小学校6年間、ずぅ~っと木造校舎だった。オレの学校も、こんな感じだったと思う。

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みどり市大間々町小平の野口水車保存館。

野口水車保存館 (1)
屋内型最大級の「野口水車」が保存されている。

野口水車保存館 (2)
野口水車保存館 (3)
野口水車保存館 (4)
この水車は、明治43年(1910年)に材木商・野口金太郎氏が建造し、昭和30年(1955年)頃まで約45年間、精米の動力として稼働していた。

平成2年(1990年)に、水車一式が野口家から旧大間々町に寄贈され、修理・修復し平成4年(1992年)保存館に移設された。

水輪の直径3間(5.64m)、幅2尺6寸(0.8m)、羽根板50枚、搗臼(つきうす)16個(石)、挽臼(ひきうす)1個(台)。

野口水車保存館 (5)
野口水車保存館 (6)
杵は毎分48回往復する。精米まで約48時間かかると聞いた。この日も16個ある搗臼のうち、1個だけだが精米を行っていた。  管理人さん曰く、「需要がないんで・・・。」

優雅に回る水車の回転は、なんとなく心が和む。また、歯車のかみ合わせ、杵を持ち上げる仕組み(木組み)など、オレは見ていて飽きなかった。ただ、水車の回転をずっと見ていると目が回る。

野口水車保存館 (7)
野口水車保存館 (8)
野口水車保存館に隣接して「屋外型・上掛水車」があった。

ところで、オレも最初間違っていたんだけど、「野口、水車保存館」ではなく、「野口水車、保存館」。

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またまた、吾妻郡高山村中山のロックハート城(大理石村)。

ロックハート城 (1)
石コロたちのミュージアム。石を加工することなく、色彩と描写のみで変身させる片岡朱央氏の作品を展示している。

ロックハート城 (2)
ロックハート城 (3)
ロックハート城 (4)
片岡氏は手書き友禅模様師だったそうだが、その技術を生かして細かく書き込んでいる。最中がうまそうだ。

ロックハート城 (5)
ロックハート城 (6)
恐竜の化石などに触れることができる博物館(と言うほどではないが・・・)。化石や鉱石が多数展示されている。写真は紫水晶。まあ、あんまり目を見張るものはないけどね。

ロックハート城 (7)
ロックハート城 (8)
福祉手相家として名高い(?)、宮沢みち氏の監修。占いの館??大理石村の中で1番意味不明。それに、福祉手相家って何?

ロックハート城 (9)
ロックハート城 (10)
最後に、みせしめ台に拘束された2人。

いろんな施設があったけど、結局みせしめ台が1番印象に残った(笑)。

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前回に引き続き、吾妻郡高山村中山のロックハート城。

今回は、大理石村(ロックハート城がある石のテーマパーク)の、他の施設などを紹介する。

ロックハート城 (1)
ロックハート城 (2)
高さ20mの最上階の鐘を2人で鳴らしながら愛を誓い、誓いのコインを投げ入れると、コインは愛の泉にたどり着く。2人のハートをロックしてみませんか?だってさ。

ロックハート城 (3)
愛の誓いはさておき、上るのけっこうきついよ。太ももが痛くなった。

ロックハート城 (4)
ロックハート城 (5)
英国教会のガラス職人によって作られた、ステンドグラスが綺麗なセントローレンス教会。

ロックハート城 (6)
故ダイアナ元王妃が、来日時実際に使用されたロールスロイスだそうな。

実はロックハート城の1階は結婚式場になっていて、一般客は入れない。周りも教会やら愛の鐘やらで、ブライダルパークと化している。別に批判しているわけではなく、それが集客に結びついているなら、全然かまわないけどね。

まだいくつか施設あり、写真も撮ってきたので、さらに続くということで。

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吾妻郡高山村中山のロックハート城。

ロックハート城 (1)
ロックハート城 (2)
ロックハート城は、1829年エジンバラの南西約50kmに建設されたロックハート家の居城。ロックハート家はスコットランド独立の英雄、ロバート・ブルース王に騎士として仕えていた家柄。

ロックハート城 (3)
ロックハート城 (4)
1987年から1993年にかけて日本へ移築された。ヨーロッパの城館を移築・復元したのは、日本でここだけである。もともとは、俳優の津川雅彦が購入したものだが、いろいろあって今は沼田の石材会社の所有となっている。

ロックハート城は、高さが塔部で20m、幅31.3m、奥行き22.3mで、建築面積は1361平方m。

ロックハート城 (5)
ロックハート城 (6)
ロックハート城 (7)
城の中には、中世のイメージ通りの甲冑や、ハックハート家所縁のものっぽいものが。

ロックハート城 (8)
城内のラウンジ(?)のロッキングチェアで、ちょっと休憩。暖炉に火が入っていれば、もっと雰囲気が出たと思うけど。まあ、季節的にしょーがないけどね。

この辺までは、城内という雰囲気なんだけど、あとは何の統一性もない。

ロックハート城 (9)
マリリン・モンローやジャクリーン・ケネディー(ジョン・F・ケネディー大統領夫人)のコスチュームジュエリーや愛用品が展示されている。

ロックハート城 (10)
津川雅彦が世界中から集めたというサンタミュージアム。

以前来たことがあるんだけど(多分15年位前)、その時はもっと「城」って感じがしたと思ったけど・・・。今やすっかりブライダルパークだね。

ブライダルパークたる所以は、次回紹介する。

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みどり市大間々町の大間々博物館。
通称「コノドント館」と呼ばれる。

大間々博物館 (1)
大間々地域の資料を展示する大間々町歴史民俗館として、昭和63年(1988年)に開館した。平成18年(2006年)、みどり市発足に伴いみどり市大間々博物館に名称変更。

大間々博物館 (2)
大間々博物館 (3)
大間々在住の研究者・林信悟氏によって、日本で最初に発見された古生物化石「コノドント」。昭和33年(1958年)のこと。

長い間正体不明の化石だったが、この1mmにも満たない微小な化石が、近年になって最初の魚類の歯であることが分かり、脊椎動物の進化を探るうえで、重要な化石とされている。なので、大間々博物館を通称「コノドント館」という。

大間々博物館 (4)
自然展示関係では、恐竜や化石関係の展示も多い。

大間々博物館 (5)
大間々博物館 (6)
大間々博物館 (7)
縄文中期の瀬戸ヶ原遺跡出土品や、古墳時代後期の国土古墳や杉森古墳などからの出土物。

大間々博物館 (8)
大間々博物館 (9)
この博物館は、大正10年(1921年)に建築された旧大間々銀行を修復したもの。1階奥には金庫室がそのまま展示室になっている。金庫室なので、中国からの渡来銭、江戸時代の貨幣、日本の近代紙幣など、お金に関する展示。

ここをなんでコノドント館っていうのか知らなかったんだけど、理由だけは分かった。まだコノドントに関しては、よく分かってないので、もらってきたレポートを読んで勉強するよ。

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渋川市赤城町勝保沢の赤城歴史資料館。

赤城歴史資料館 (1)
勝保沢城址の一角にある赤城歴史資料館。1983年(昭和58年)開館。旧石器時代からの石器、土器類をはじめ、近世、近代にいたるまでの民俗資料などを展示している。

赤城歴史資料館 (2)
考古展示室に入ると、滝沢石器時代遺跡から出土した石棒が目に入る。これは環状列石内の祭祀に使われていたと推定される石棒である。長さ110cm、重さは約60kgもある。

赤城歴史資料館 (3)
赤城歴史資料館 (4)
赤城歴史資料館 (5)
これ以外にも、土器や石器が大量に展示されており、ボリューム満点。

赤城歴史資料館 (6)
赤城歴史資料館 (7)
赤城歴史資料館 (8)
黒井峯遺跡から出土した提瓶(ていへい)などの須恵器の他、古墳時代の遺跡からの出土品の展示も多い。黒井峯遺跡は6世紀中頃の集落遺跡で、榛名山の噴火により2mもの厚さに積もった軽石の下から発掘された。

赤城歴史資料館 (9)
赤城歴史資料館 (10)
三原田歌舞伎や津久田獅子舞、三原田獅子舞の獅子頭など。

しかし、滝沢石器時代遺跡の石棒は圧巻だね。帰りに滝沢石器時代遺跡に寄って行こう。

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北群馬郡榛東村大字山子田の耳飾り館。

耳飾り館 (1)
耳飾り館は、縄文時代後晩期の集落(約3000年前)である茅野遺跡から、多数の土製耳飾りが出土したことから、これを展示・紹介することを目的に平成4年(1992年)に開館した。

土製耳飾りをはじめ、縄文土器、土版、岩版、石棒、手燭形土製品などの茅野遺跡出土品をメインとして、世界の5大陸から収集した約1000点の耳飾りを展示してる。

耳飾り館 (2)
耳飾り館 (3)
耳飾り館 (4)
国の重要文化財に指定されている土製の耳飾りと、勾玉と金環の耳飾り。

耳飾り館 (5)
耳飾り館 (6)
古くはオリエント文明、ローマ時代の金製の耳飾りや、ビクトリア朝時代の貴重な耳飾りまである。

耳飾り館 (7)
耳飾り館 (8)
耳飾り館 (9)
アジア、ヨーロッパ、アフリカなど、世界各国の耳飾りも。また、民俗的にも珍しい耳飾りが多い。素材も金、銀、七宝焼、木の実など、魅力的で大変バラエティに富んでいる。

いいオヤジが耳飾りって思うかもしれないけど、これがけっこう楽しめる。イヤリングって言ってしまうとダメなんで、歴史も含めた耳飾り!

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渋川市北橘町真壁の北橘歴史資料館。

北橘歴史資料館 (1)
平成4年(1992年)に旧北橘村の歴史民俗資料館として開館。平成18年(2006年)渋川市との合併により、渋川市北橘歴史資料館に。

北橘歴史資料館 (2)
道訓前遺跡から出土の焼町土器。道訓前遺跡は、赤城山麓の台地上に所在する縄文時代中期中葉(約4500年前)の集落遺跡。

北橘歴史資料館 (3)
芝山遺跡からは、和同開珎が見つかっているらしい。

北橘歴史資料館 (4)
北橘歴史資料館 (6)
北橘歴史資料館 (5)
その他、分郷八崎遺跡の縄文式土器、下遠原遺跡の弥生式土器など旧石器時代から現代まで、北橘地区の移り変わりを知ることができる。

北橘歴史資料館 (7)
北橘歴史資料館 (8)
どこの歴史資料館もそうだけど、必ずある「民具・農具」のコーナー。

北橘という地名は、日本武尊が東征の道すがらこの地で休憩した際、亡き弟橘媛を偲んだことから橘山と呼ばれるようになり、山の北なので北橘と名付けられた。

ここにも日本武尊と弟橘媛伝説が。

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吾妻郡草津町の草津ビジターセンター。
前回の西の河原公園内にある。

草津ビジターセンター (1)
草津ビジターセンター (2)
草津温泉を取り巻く火山や鉱脈を中心に、温泉との関係や、動植物の分布など、自然の力にテーマの重点を置いて紹介している。

草津ビジターセンター (6)
草津温泉から白根山周辺を解説する模型。

草津ビジターセンター (7)
草津に自生している高山植物。

草津ビジターセンター (3)
草津温泉を訪れた歴史上の人物、有名人の一覧がその人物の解説とともに
展示されている。東征の帰りに、この地で温泉を発見したという伝説を持つ日本武尊。

草津ビジターセンター (4)
1193年(建久4年)浅間山麓で巻狩りを行った際、草津温泉を発見した
という伝説を持つ源頼朝。

草津ビジターセンター (5)
草津開湯伝説を持つ2人の次は、日本映画史を代表する女優・田中絹代。
世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン)の全てにおいて、出演作が受賞している。オレ自身は、さすがに実物知らないけど・・・・・。

切りがないのでここまでにするけど、さすが草津温泉。有名人も千客万来。

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吾妻郡草津町の片岡鶴太郎美術館。

片岡鶴太郎美術館  (1)
片岡鶴太郎美術館  (5)
片岡鶴太郎美術館は、1998年(平成10年)草津ホテルの付帯施設として開館した。墨彩画や書など約400点の収蔵品の中から、約120点の作品を展示している。また、季節に合わせ年4回展示替えをしている。

片岡鶴太郎は、ドラマで若き頃の棟方志功を演じたことをきっかっけに美術に関心を覚え、40歳で絵を描きはじめ、平成7年(1995年)には初の個展を開催している。

片岡鶴太郎美術館  (2)
片岡鶴太郎美術館  (3)
片岡鶴太郎美術館  (4)
1F売店では、オリジナル商品の絵葉書やリプログラフ、ハンカチなど、各種グッズを販売している。売店は美術館に入館しなくても、立ち寄れる。

売店には人がいっぱいいたけど、この中の何人が美術館に入ったかは?? もちろんオレは・・・・・、入っていない。

片岡鶴太郎は最近は役者のイメージが強いけど、オレの世代ではお笑い芸人。それも大した芸もなく、大げさなリアクションを取っているだけのヤツ。今の出川哲郎のポジション。羽交い絞めにされ、アツアツのおでんを口に入れられ大騒ぎする、っていうイタネタを最初にやったのは、片岡鶴太郎じゃないかな?

まっ、芸歴と絵の才能は、全然関係ないけどね。

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吾妻郡草津町の中和工場。

草津中和工場 (5)
草津中和工場 (3)
草津温泉の湯は、酸性泉(酸性低張性高温泉)であり、酸性が強くpHは2.0前後である。これは草津白根山に起因する。(草津白根山湯釜のpHは1.2。)

草津中和工場 (2)
そのため河川(湯川、谷沢川、大沢川)の水も酸性で、下流の吾妻川は魚も棲まない「死の川」と呼ばれていた。

そこで吾妻川の上流にあり、火山の影響で強い酸性となっている湯川などの中和を目的とした吾妻川総合開発事業がスタート、昭和39年(1964年)中和工場が稼動を開始した。

中和のしくみをすっごく簡単に言えば、湯川のpHを常時モニタリングして、必要な量の石灰を投入して中和する。それを24時間、365日続けている。

草津中和工場 (1)

中和工場には、平成16年(2004年)にオープンした「環境体験アミューズメント」が併設されている。中和事業や、事業に関係のある草津谷(草津・旧六合村)の歴史・自然等の紹介施設。

草津中和工場 (4)
湯川のpH測定ができたり、酸性河川の性質を利用した百年石作り体験ができるなど、体験型の方はまだましなのだが、展示関係はあまりにもチープ。もう少し、何とかして欲しい・・・。

中和工場(事業)により、吾妻川流域ではコンクリートが溶ける心配がなくなり、コンクリート製の橋を作れるようになったり、川の水を農業用水として使うことも可能となった。

そしてなにより、吾妻川は魚が棲める川に生まれ変わった。

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吾妻郡草津町の草津熱帯園。

草津熱帯園 (9)
草津熱帯圏は昭和45年(1970年)に開業し、園内では亜熱帯や熱帯地方に生息する野生動物を中心に、飼育・展示されている。ただ、ゾウ、キリン、ライオン等の大型動物や猛獣はいない。

園内は大きく分けると、昆虫館・熱帯大ドーム・屋外展示の3ゾーンがある。

草津熱帯園 (1)
草津熱帯園 (2)
草津熱帯園 (3)
昆虫館には、珍しい蝶や世界のカブトムシ、クワガタといった節足動物の標本が展示されている。蝶は写真以外にもいろいろ展示されており、非常にきれいだった。

草津熱帯園 (4)
屋外展示ゾーン(ゾーンと言うほど広くないが・・・)には、サル山があり餌もあげられる。もちろん餌は有料だけど。

草津熱帯園 (6)
メインは熱帯大ドーム。草津温泉の熱を利用しており、蒸し暑い。ドームは高さ15mもあり、トロピカルジャングルのようにベニゴアなどの熱帯植物が生い茂っている。

草津熱帯園 (5)
草津熱帯園 (7)
草津熱帯園 (8)
3層構造の迷路のようなコースに、ワニ、ヘビ、イグアナ、トカゲ、など約250種1000匹の珍しい動物が飼育・展示されている。爬虫類が多いなぁ~、と思っていたら、爬虫類の飼育数では日本一らしい。

良く言えばレトロ、別の言い方をすれば、ちょっと古めかしいB級動物園と言ったところかな。(動物園って書いたけど、ちょっとイメージ違うと思うので、ご注意を。)

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吾妻郡草津町の温泉資料館。バスターミナルの3階にある。

草津温泉資料館 (1)
草津温泉資料館 (2)
草津温泉の泉質・効能を初め、草津温泉の歴史資料から観光案内までいろいろ展示されている。

でも1番目立つのが、江戸時代の入浴を再現した、等身大の人形。湯もみをしているおじさんと、湯かぶりをしているおじさん。湯もみをしているおじさんの顔が、ちょっと憂鬱そうなところが何とも。

草津温泉資料館 (4)
江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が、温泉を江戸まで運ばせた際、湯を汲み上げたところにある木枠の説明パネル。
(実際の写真は、上毛かるた紀行「草津温泉 薬の温泉(いでゆ)」を見て。)

草津温泉資料館 (3)
前橋市出身の詩人・小説家の平井晩村。大正7年(1918年)に草津を訪れている。
紀行文「湯けむり」を著し、また草津節の原型ともいわれる歌を残す。
「草津よいとこ白根の雪に 暑さ知らずの風が吹く」
「草津よいとこ里への土産 袖に湯花の香りが残る」

バスターミナルの3階にあるので、バスとか使う人は時間つぶしになる。でも、車で訪れる多くの観光客には、もう少しPRしないと。温泉街は人で溢れていたのに、資料館にはオレ以外に2人しかいなかった・・・。

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