Tigerdreamの上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: 上毛かるた紀行


(あ)  浅間のいたずら 鬼の押出し
(い)  伊香保温泉 日本の名湯
(う)   碓氷峠の 関所跡
(え)  縁起だるまの 少林山
(お)  太田金山 子育呑龍

(か)  関東と信越つなぐ 高崎市
(き)  桐生は日本の 機どころ
(く)   草津よいとこ 薬の温泉(いでゆ)
(け)  県都前橋 生糸の市(いとのまち)
(こ)  心の燈台 内村鑑三

(さ)  三波石と共に 名高い冬桜
(し)  しのぶ毛の国 二子塚
(す)  裾野は長し 赤城山
(せ)  仙境尾瀬沼 花の原
(そ)  そろいの仕度で 八木節音頭

(た)  滝は吹割 片品渓谷
(ち)  力あわせる 二百万
(つ)  つる舞う形の 群馬県
(て)  天下の義人 茂左衛門
(と)  利根は 坂東一の川

(な)  中山道しのぶ 安中杉並木
(に)  日本で最初の 富岡製糸
(ぬ)  沼田城下の 塩原太助
(ね)  ねぎとこんにゃく 下仁田名産
(の)  登る榛名の キャンプ村

(は)  花山公園 つつじの名所
(ひ)  白衣観音 慈悲の御手
(ふ)  分福茶釜の 茂林寺
(へ)  平和の使徒 新島襄
(ほ)  誇る文豪 田山花袋

(ま)  繭と生糸は 日本一
(み)  水上谷川 スキーと登山
(む)  昔を語る 多胡の古碑
(め)  銘仙織出す 伊勢崎市
(も)  紅葉に映える 妙義山

(や)  耶馬溪しのぐ 吾妻峡
(ゆ)  ゆかりは古し 貫前神社
(よ)  世のちり洗う 四万温泉

(ら)  雷と空風 義理人情
(り)  理想の電化に 電源群馬
(る)  ループで名高い 清水トンネル
(れ)  歴史に名高い 新田義貞
(ろ)  老農 船津傳次平

(わ)  和算の大家 関孝和

     上毛かるた紀行 思いつき編
     上毛かるた紀行 完結編


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草津温泉で、遂に上毛かるた44枚を巡る旅が完結した。

昨年の8月に、ただの思いつきで始めた上毛かるた紀行。
最初のうちは近場が中心だったので、スイスイ巡れたのだが、最後は遠いところばっかり残ってしまって・・・・・。北毛が雪に覆われる前に、って感じで慌しかったけど。

いくつかこじつけもあったけど、基本的にきちんとその場所に行く、という初期の目標はクリアした。

今思うと、もっとこうすれば良かったとか、こういう見方をしてくれば良かったとか、何ヶ所かは後悔もあるんだけど。まあ、もう1回行ったっていいわけだし。

15ヶ月に及んだ「上かるた紀行」も、晴れて終了です。今後も上州紀行ものは続けて行くので、よろしく!

しかし、達成感あるなぁ~。満足満足!

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上毛かるた紀行、第44弾(最終弾)!

く
(く) 草津よいとこ 薬の温泉(いでゆ)

草津よいとこ 一度はおいで ドッコイショ
お湯の中にも コーリャ 花が咲くよ チョイナ チョイナ
の「草津節」で有名な草津温泉。

草津温泉 (2)
草津温泉 (6)
草津温泉のシンボルと言えば「湯畑」。湯畑は、温泉街の中心部に湧く源泉で、ロータリー状に整備されているが、そのデザインは岡本太郎である。

草津温泉 (4)
草津温泉 (5)
湯畑源泉が湧き溢れて、湯桶を流れて落ち込む崖の上の古色蒼然とした石灯籠がある。これは文政13年(1830年)伊勢太々講中の人々によって寄進されたものである。

草津温泉 (3)
草津温泉 (1)
江戸幕府8代将軍吉宗や10代将軍家治は、この湯枠の湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせている。江戸までだと200km近くあると思うので、運ばされた方は大変だよね。

草津温泉
草津名物「湯もみショー」が見られる熱の湯。残念ながら時間が合わず。さすがに1時間も待ってる根性はなかった。

温泉饅頭
草津温泉のお土産の定番「温泉饅頭」。

草津温泉には湯畑以外にも、西の河原公園などいろいろあるので、それらは上州紀行もので紹介していくよ。


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上毛かるた紀行、第43弾!

る
(る) ループで名高い 清水トンネル

清水トンネル
清水トンネルは、JR上越線の群馬県と新潟県を結ぶ、全長9,702mのトンネルである。川端康成の「雪国」でも有名。大正11年(1922年)に着工し、昭和6年(1931年)に開通している。

清水トンネルの工事は、谷川岳を貫く難関工事なので、ループ線にして高度をかせぎ、清水トンネルの長さをできるだけ短縮した。ループは湯檜曽駅と土合駅間にある。トンネル(湯檜曽トンネル)の中なので、見れない・・・。

昭和41年(1967年)に新清水トンネル(全長13,490m)が開通し、上り(高崎方面)は清水トンネル、下り(長岡方面)は新清水トンネルを使用している。そのため、土合駅と湯檜曽駅の下りホームは地下にある。

土合駅 (1)
土合駅 (2)
「日本一のモグラ駅」土合駅に寄ってみた。下りホームは地下70mの新清水トンネル内にある。

土合駅 (3)
土合駅 (4)
143mの連絡通路を歩くと、ホームへの長ぁ~い階段がある。この階段は462段あり、改札口から下りホームまでは約10分かかる。エスカレータの設置スペースは設けてあるようだが、設置されることはなさそうだ。利用客が少なすぎる。維持・管理コストだけで大赤字(多分)。

駅前に車がけっこう止まっていたが、待合室や上りホーム(地上にある)に人影が見えなかったので、みんな下りホーム向かっているんだと思う。

オレッ? もちろん階段までは行ったが、降りてない。帰りの登りがきつそうだったので。

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上毛かるた紀行、第42弾!

た
(た) 滝は吹割 片品渓谷

吹割の滝 (7)
吹割の滝 (5)
吹割の滝 (6)
吹割の滝は、高さ7m、幅30mに及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと言われている。

この滝は、凝灰岩、花崗岩の河床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、「吹割の滝」の名が生まれた。

吹割の滝 (2)
吹割の滝 (1)
獅子岩と呼ばれる岩壁群の奇景など、独特の渓谷美を見せている片品渓谷。吹割の滝を挟んで1.5kmにわたって続いている。

吹割の滝 (3)
吹割の滝 (4)
吹割の滝のちょっと上流の片品川の中州の島に、浮島観音堂がある。観音堂には、左甚五郎作といわれる如意輪観音が祀られている。左甚五郎が日光に向かっていたとき、このお堂に泊めてもらったお礼に一夜で彫ったといわれている。

ところで、オレが上毛かるたをやっていたン十年前は、「ふきわり」と読んだんだけど、今は「ふきわれ」と読むらしい。「滝はふきわり・・・」と言った瞬間に、歳がばれると言うこと。

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上毛かるた紀行、第41弾!

せ
(せ) 仙境尾瀬沼 花の原

尾瀬石清水 (2)
尾瀬は、群馬県、新潟県、福島県の3県にまたがり、尾瀬ヶ原、尾瀬沼などの湿地や沼、至仏山などの山々からなる国立公園である。

尾瀬ヶ原や尾瀬沼には直接車で行くことはできず、群馬県側だと鳩待峠や大清水までとなる。正確には、鳩待峠に行くには戸倉から乗り合いバスやタクシーでないといけない(マイカー規制あり)。

とうことで、とりあえず大清水を目指す。

尾瀬石清水 (6)
尾瀬石清水 (1)
大清水休憩所。しかし遠いね。少し手前の尾瀬岩鞍スキー場や戸倉スキー場には、よく来ていたんだけど、こんなに遠かったっけ?

尾瀬石清水 (4)
尾瀬石清水 (3)
休憩所内に、尾瀬で見られる草花の写真があった。これで尾瀬に来た気分になった。

尾瀬石清水 (5)
これから先は登山者のみ入っていける。まあ、ちょっと入ってもよかったんだけど・・・。でも、周りはフル装備の登山者ばかりの中、オレの恰好はと言うと、短パンにサンダル履き。当然のごとく浮きまくっていたし、こんな恰好で入って行ったら失礼だよね、尾瀬に対して。

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上毛かるた紀行、第40弾!

よ
(よ) 世のちり洗う 四万温泉

四万温泉の名前は、四万の病を癒す霊泉である、という伝説に由来する。さて、伊香保なら石段、草津なら湯畑、というシンボルがあるけど、四万と言ったら? 思いつかないので調べてみると、「積善館本館は、数少ない湯宿の建造物として県の重要文化財に指定されている。」

ということなので、ここに行くことにした。

積善館 (3)
積善館 (2)
積善館 (1)
積善館は四万村名主・善兵衛が、元禄4年(1691年)から湯小屋を建て、湯宿として営業を始めたらしい。

積善館 (4)
昭和5年(1930年)に建てられた前新は3階建てで、1階の浴場(元禄の湯)は鉄筋コンクリート造り、大正時代を偲ばせるアーチ型の窓を備えている。廊下橋は、トラスト状に組んだ支柱に切妻屋根を乗せ、腰板を貼ってある。

四万温泉には初めて行ったんだけど、、温泉街の道は狭いわ駐車場はないわで、けっこう難儀した。でも、四万川に沿って温泉旅館が並んでおり、歴史を感じさせる風情があった。

そう言えば、小学生くらいの時、「よ」の札を取ると必ず女子から「エッチ」、「すけべ」と言われたなぁ~。

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上毛かるた紀行、第39弾!

あ
(あ) 浅間のいたずら 鬼の押出し

鬼押出し
浅間山は群馬県と長野県の県境にそびえる、標高2568mの雄大な円錐型の活火山である。十数万年前から火山活動が活発で、何度も噴火を繰り返してきた。最近では2009年に噴火が確認されている。

鬼押出し (1)
鬼押出し園は嬬恋村にある浅間山の麓に広がる公園であり、天明3年(1783年)の大噴火の際に流れ出た溶岩流が固まったもの。

この爆発の溶岩の規模は、山頂火口から北方へ約5.5km、幅は800mから2kmとされ、その面積は6.8平方km、容積は0.2立方kmに達するといわれている。

鬼押出し (5)
鬼押出し (4)
鬼押出し (3)
鬼押出し園には、小学5年生(だったと思う)の時の、バス旅行以来。当時の記憶はあんまりないのだが、改めて見ると自然の凄さと怖さを実感。

鬼押出し (2)
園内には、東京上野の寛永寺の別院である、浅間山観音堂がある。ここで引いたおみくじは、末吉だった。

鬼押出し (7)
浅間山観音堂へ向かう裏参道脇に、ヒカリゴケの群生地がある。みんな岩の間を覗きこみ、写真を撮っていた。何を見てるんだろうと思い、連られて覗いたら光っていた。

ところで、何で鬼押出しというかは、不明らしい。当時の人たちは、あまりの噴火のすごさに、鬼の仕業と思ったのかもしれない。

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上毛かるた紀行、第38弾!

す
(す) 裾野は長し 赤城山

赤城山は最高峰の黒檜山(くろびさん)を始め、駒ケ岳、地蔵岳、長七郎山、鍋割山などの総称である。東西に長く引いた裾野は、雄大である。

赤城山 (7)
赤城山 (8)
赤城山 (9)
古い写真で恐縮だが、昨年県庁に行ったとき、この時のために展望ホールから赤城山を撮っておいた。家の近所から撮った写真もあったんだけど、県庁からの方が赤城山っぽく写っていたので・・・。

赤城山 (3)
赤城山 (1)
赤城山 (4)
赤城山(大沼周辺)に行ったのは、実は人生で2回目。榛名山や妙義山には数えきれないくらい行ってるのに。西毛の人間から見ると、赤城山って遠いんだよね。(ちなみに、前回は10年以上前に、バーベキューをやりに行った。)

地形的な関係からか、大沼湖畔って地味だね。なんか華やかさがない。

でも群馬の山、と言ったらやっぱり赤城山になるのかな?上毛三山と言われるけど、榛名山、妙義山は赤城山には勝てない。

そう言えば、昭和58年(1983年)に開催された国体の愛称は、「あかぎ国体」だったなぁ~。

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上毛かるた紀行、第37弾!

は
(は) 花山公園 つつじの名所

つつじが岡公園 (1)
つつじが岡公園 (2)
館林市花山町のつつじが岡公園。公園付近一帯は、古くからから山つつじが自生していて、「つつじが崎」と呼ばれていた。

つつじが岡公園 (12)
5月15日でつつじ祭りも終わり、無料開放中。もちろん、つつじはすっかり旬を過ぎ、終わっている。まあ、しょうがない。人混み嫌いなので、空いていてよかったと逆に思う。

つつじが岡公園 (3)
つつじが岡公園 (10)
つつじが岡公園 (9)
つつじって言う名は、花びらの元が筒状になっていて、花の形が筒咲きと呼ばれることから、つつじになったといわれている(他説あり)。

公園内にはいろんな謂れのつつじがある。そのひとつが、勾当内侍遺愛のつつじ。新田義貞が、勾当内侍のために植えていたつつじを、第9代館林城主・榊原忠次が、新田郡武蔵島村(現在の尾島町)から移植したと伝えらるもの。

実は、これだけを見に行ったようなもんなのだが・・・。一生懸命探したんだけど、迷路のようになっていて、結局見つからず。けっこう歩いたんだけどね。

クツ変えたばかりだったので、クツずれで足が痛い!!

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上毛かるた紀行、第36弾!

ほ
(ほ) 誇る文豪 田山花袋

田山花袋旧居 (3)
明治4年(1872年)館林町(当時)に生まれる。尾崎紅葉のもとで修業し、後に国木田独歩、柳田国男と交わる。「蒲団」「田舎教師」などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家のひとり。

田山花袋旧居 (1)
田山花袋旧居 (2)
館林市城町の館林市第2資料館敷地内に、田山花袋の旧居が移築されている。田山花袋が14歳まで約8年間住んだ家。

木造平屋建て茅葺屋根で、面積は約22.5坪(74.25平方m)。もともとは、江戸時代末の秋元藩時代に、館林城内にあった武家屋敷らしい。

田山花袋記念文学館 (1)
旧居のある第2資料館と道を挟んで反対側に、田山花袋記念文学館がある。「蒲団」「田舎教師」といった有名な作品をはじめ、初版本、書簡、日記、愛用品なども展示されている。

田山花袋記念文学館 (2)
若い時の写真を見ると、イメージがだいぶ違う。

田山花袋記念文学館 (3)
龍土会メンバーの写真。龍土会は西欧文学に傾倒する青年たちが、各々の文学論を自由に語り合う場であった。日本の自然主義文学の成立に大きな役割を果たした。島崎藤村、柳田国男、小山内薫、蒲原有明らの顔が見る。

病に倒れた花袋のもとに島崎藤村が見舞いに訪れた際、「この世を辞してゆくとなると、どんな気持ちがするものかね」と聞かれ、「なにしろ、誰も知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持ちではない」と答える。

昭和5年(1930年)58歳の生涯を閉じる。

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上毛かるた紀行、第35弾!

み
(み) 水上谷川 スキーと登山

谷川岳 (1)
谷川岳 (2)
まだ残雪がある谷川岳。近くにあった「谷川岳八景3番」という案内板と同じ構図で撮ったので、谷川岳だと思う。

本当に谷川岳に行く(登山)わけにもいかないし、土合からロープウェーで天神平まで登る元気もなかったので、みなかみ町湯原の山岳資料館へ。

山岳資料館 (6)
水上温泉街の真ん中に位置し、2007年に開館した。谷川岳の登山史を語る資料や写真の数々、多くの山仲間から寄贈された山用品等が多数展示されている。

山岳資料館 (1)
山岳資料館 (3)
谷川岳の写真、の写真。

山岳資料館 (4)
山岳資料館 (5)
ザイルやピッケルなど、多数の登山用品があった。

山岳資料館 (2)
利根川水源調査隊関連の資料も。ちなみに、利根川の源流は大水上山。

谷川岳の標高は2000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のため天候の変化が激しく、遭難者の数は群を抜いて多い。死者数のワースト記録として、ギネスに認定されている。

登山者のみなさん、充分気をつけてください。

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上毛かるた紀行、第34弾!

と
(と) 利根は 坂東一の川

「坂東太郎」の異名を持つ利根川。その源流は、三国山脈のひとつである大水上山。流路延長は322kmで日本第2位の長さを誇る。また、流域面積は16,840平方kmで日本最大。日本屈指の大河川である。

利根川(水上)2
利根川(水上)
みなかみ町諏訪峡あたりの利根川。かなり上流なので急流である。

利根川 昭和村
利根川 沼田市 (1)
昭和村(もしかしたら沼田市かも)の綾戸ダム。小さいながらも、水力発電所らしい。上流側はダム湖っぽくなっている。しかし、ダムのすぐ下流は、まだまだ急流。

利根川 渋川市(坂東橋)
渋川市の坂東橋付近。だいぶ川幅も広くなってきている。

利根川(前橋)
県庁の展望台から見た利根川。流れもおだやかで、かなり蛇行している。

利根川 玉村福島橋
玉村町の福島橋付近。のんびり流れている。

利根川 伊勢崎
利根川伊勢崎 (2)
玉村町と伊勢崎市の境の五料橋あたり。海から185kmだってさ。ということは、大水上山の源流から太平洋までの半分も来ていない。これから太平洋まで、まだ185kmも流れていくのか。

うぅ~ん、今回は我ながら頑張った。と言っても、これ1日で巡った訳じゃないので。しかも、他の場所へ行ったついでだったりするので、場所によって季節も違うけど勘弁してね。

県庁展望台で最初の写真を撮ってから、最後のみなかみ諏訪峡(付近)まで、約7ヶ月の時間がかかった。

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上毛かるた紀行、第33弾!

ぬ
(ぬ) 沼田城下の 塩原太助

利根郡新治村(現みなかみ町)の出身で、宝暦11年(1761年)江戸に出て、炭屋山口屋で奉公。勤勉な働きぶりで蓄財に励む。後に独立し、本所相生町に店を出し大繁盛、ついには幕府のお金御用を務めるまでになった。

塩原太助 (9)
塩原太助 (3)
みなかみ町(旧新治村)新巻に塩原太助翁記念公園がある。

塩原太助 (6)
塩原太助 (2)
江戸に出て身を興したい、という申し出を父親に許されず、ある朝草刈りに行くふりをして、愛馬「あお」を引いて家を出る。まあ、今で言う家出である。

塩原太助 (7)
塩原太助 分かれの松
香才ケ原で、あおを松の木につないで別れた。これが上毛かるたの絵札。いや~っ、本当のところ塩原太助のことなんて知らなくて、絵札の意味ももちろん知らなかったんだよね。

塩原太助 (8)
記念公園から数10mの所に、太助の生家がある。まだご子孫がお住まいのようだ。

富豪になってからも謙虚な気持ちで清潔な生活を送り、私財を投じて道路改修や治水事業などを行った。群馬県内にも、太助が寄進したというものが、けっこうある。オレが知ってるのは、榛名神社の石玉垣と榛名湖への道沿いの常夜灯や灯篭。

戦前には立志伝型人物として教科書に載っていたのも、うなずけるところだ。

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上毛かるた紀行、第32弾!

て
(て) 天下の義人 茂左衛門

茂左衛門地蔵 (1)
茂左衛門地蔵 (2)
利根郡みなかみ町月夜野(旧月夜野町)の茂左衛門地蔵尊。

茂左衛門地蔵 (6)
茂左衛門地蔵 (3)
杉木茂左衛門は、沼田城主・真田伊賀守信利の圧政に苦しんでいた、利根・吾妻・勢多の177村領民のため、一命をかけ将軍(徳川綱吉)への直訴を決行。天和元年(1681年)のこと。

見事直訴は成功し、沼田真田家は改易となったが、茂左衛門は天和2年(1682年)11月5日、磔の刑に処せられた。

領民はその死をいたみ、刑場跡に地蔵尊を建て、供養を続けてきた。大正11年(1922年)各地からの浄財により、茂左衛門を祀る千日堂が建立された。

茂左衛門資料館 (1)
千日堂の隣に資料館(?)があり、30数枚の絵で流れをうまく説明している。まあ、紙芝居のようなもんだね。

茂左衛門資料館 (8)
真田信利は無理な検地により、もともと3万石程度の領地を、14万4000石とした。そのため領民は5倍の増税となった。8公2民くらいだったらしい。

茂左衛門資料館 (6)
領民の生活は困窮を極めていたが、信利は華美贅沢三昧。

茂左衛門資料館 (5)
年貢未納者には容赦のない拷問。これは水責め。

だいぶ端折るけど・・・・・。

茂左衛門資料館 (3)
茂左衛門は、月夜野竹之下河原で磔の刑に。享年48歳。

絵はこのままでいいので、これにナレーションつけて映像化してくれると、非常に分かりやすいと思った。絵についている解説文が、意外と小さく見づらいので。

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上毛かるた紀行、第31弾!

ら
(ら) 雷と空風 義理人情

個人的に、上毛かるた紀行の最難関札と位置付けていた、「ら」。さて、どうしたもんかと思案していたのだが、こうなりました。

まずは雷。

雷電神社 (1)
雷電神社 (5)
邑楽郡板倉町の雷電神社。主な御祭神は、天地に轟き、火と水の大いなる働きをつかさどる、火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、大雷大神(おおいかづちのおおかみ)、別雷大神(わけいかづちのおおかみ)。

雷の神様の、オンパレード!

歴史は古く、推古天皇6年(598年)、聖徳太子が天の神の声を聞いて、天の神を祀ったのが最初とされている。

雷電神社 (3)
雷電神社 (4)
現在の社殿は、天保6年(1835年)の造営で、左甚五郎10代目の名人彫物師・石原常八の華麗な彫刻に装飾され、北関東のこの時代にしか見られないという特異な建築となっている。

雷電神社 (2)
雷電神社は、関東地方に数多い「雷電さま」の総本宮。

つづいて空風。

吉岡風力発電 (1)
吉岡風力発電 (2)
吉岡風力発電 (3)
北群馬郡吉岡町の吉岡自然エネルギーパーク。平成11年(1999年)に完成した、高さ41.5m、羽の直径30mの風力発電装置。

これは群馬県営で、群馬県の風が強い地域性を利用してのもの。3.0m/s以上で発電できるらしい。

吉岡風力発電 (4)
行った日は、すっごく風が強く、292.7kWもの発電だった。発電機出力が300kW仕様なので、ほぼフル発電状態。

コストパフォーマンスは優れていると思うが、風がないと発電できないという弱点が・・・。あと、けっこう音がするんだね。グォッ~、って感じ。

雷と空風に関係するところに行ってきたので、これで良しとしよう。

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上毛かるた紀行、第30弾!

ろ
(ろ) 老農 船津傳次平

旧富士見村(現、前橋市富士見町)出身の農業研究家。明治「三老農」のひとり。

船津傳次平 (1)
前橋市富士見支所(旧富士見村役場)に、銅像が建っている。

船津傳次平 (3)
船津傳次平 (2)
生家近くのお墓は、群馬県の史跡に指定されている。

船津傳次平 (4)
死後に従五位が贈られたようで、その記念碑もお墓近くにある。

船津翁は、地元で名主・村役人として名望を集める傍ら、実践的な農業技術の改良にあたり成功を収める。その実績を買われ、明治維新後は中央政府に招かれ、引き続き農業技術の改良に取り組み、日本の在来農法を基礎に西洋農法のも取り入れた「船津農法」を考案した。

駒場農学校教官時代には、講義の傍ら学生の先頭に立って、駒場の原野を開墾したという。東京都飛鳥山には、頌徳碑も建っている。

群馬県民の、船津翁の知名度は100%に近いと思われるが、では何をした人? と問われると、答えられる人は少ない(と思う)。オレも「老農」って言うくらいだから、農業関係の人だろうな、って感じだった。

いやぁ~、「上毛かるた紀行」って、勉強にもなるね。

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上毛かるた紀行、第29弾!

り
(り) 理想の電化に 電源群馬

上毛かるたが作られた昭和22年(1947年)当時は、水力発電が電力供給量の70%以上を占めていた。群馬県は山がちな地域で、急流には事欠かなかったので、水力発電用のダムがたくさん造られた。

まあ、そんなことから、群馬県が電力供給を担っているんだということで、この札ができたんだと思う。

下久保ダム
これは下久保ダム。群馬県と埼玉県の県境を流れる神流川にある。昭和43年(1968年)の完成。藤岡市鬼石町になるのかな。

堤高129mの重力式コンクリートダム。利根川水系のダムの中でも2番目に大規模なものである。

神流湖 (1)
神流湖 (2)
ダム湖は、神流川からとって神流湖。そのまんまだけど。

利根川上流の方には、八木沢ダム、奈良俣ダム、藤原ダム等、もっと名の知れたダムが多いのに、何で下久保ダムなの?

理由は2つ。
ひとつは、利根川上流まで行くのは、遠くて大変だということ。
まあ、これは分かりやすい。で、ふたつめの理由が、本当は重要なのだ。
(り)の絵札にダムが描かれてるが、実は建設中の下久保ダム。

上毛かるたができたのと(1947年)、下久保ダムができた(1968年)のが合わないと思うかもしれないが、絵札は何回か変更されてるんだよね。1968年に改定されたとき、建設中だった下久保ダムをモデルにした。

本当だよ!

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上毛かるた紀行、第28弾!

き
(き) 桐生は日本の 機どころ

桐生は、奈良時代から絹織物の名産地として知られている。桐生織と呼ばれる高級織物で、京都・西陣と並び称された。

桐生織記念館 (1)
桐生織記念館 (2)
桐生織記念館 (3)
行ったのは桐生市永楽町にある、桐生織物記念会館。昭和9年(1934年)の建設。建物には趣がある。

ただ、直営店も含めて、ちょっと地味だったので、もう1ヶ所行ってみた。

桐生織物観光センター (1)
桐生市広沢町の桐生織物観光センター。群馬県内最大の織物展示即売所。レストランもあり、ドライブインといった感じ。観光バスも停まっていた。

桐生織物観光センター (4)
桐生織物観光センター (5)
桐生織物観光センター (6)
広い展示・販売スペースに、伝統の桐生織物(きものや繊維製品、藍染め品)がいっぱい!!民芸品やお菓子といったお土産の定番も、もちろんいっぱい!

お土産
桐生織のコースターと大黒様の開運宝くじ入れを買ってきた。宝くじ入れには、早速購入済みの宝くじ(関中東)を入れたぞ。


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上毛かるた紀行、第27弾!

そ
(そ) そろいの仕度で 八木節音頭

ハア~ァ、またも出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭とるとはお~それながらぁ・・・」って感じだったと思う。

アートホール鉾座 (1)
アートホール鉾座 (2)
アートホール鉾座 (3)
桐生市本町4丁目の、あーとほーる鉾座。桐生八木節祭りに出陣する鉾が、常設されている。上部の人形は素戔嗚(すさのお)。

ここでは毎月2回、桐生八木節交流広場と題し、八木節の実演を行っている。この日は、赤城八木節会のみなさんが、八木節を披露してくれた。

八木節 (2)
八木節 (4)
八木節 (5)
八木節 (6)
多分、八木節を生で見た(聴いた)のは、初めてだと思う。八木節って、アップテンポでノリがいいよね。

歌詞の中に国定忠治や乃木将軍、足尾銅山事件まで出てきて。帰ってきてから調べたら
  上州八木節音頭
  桐生八木節音頭
  国定忠治
  五郎正宗
  継子三次
  野木将軍と辻占売り
とか、いろんなヴァージョンがあるみたい。もっとあるらしい。

八木節って、もともとは栃木県足利市にあった八木宿がルーツらしいけど、オレの中では、「桐生」ってイメージが強い。

ただ、西毛に住んでると、八木節ってあんまり身近ではないんだよね。

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上毛かるた紀行、第26弾!

ふ
(ふ) 分福茶釜の茂林寺

青龍山茂林寺は、応永33年(1426年)大林正通和尚によって開山された曹洞宗の寺院。館林市堀工町にある。

茂林寺
茂林寺総門
茂林寺たぬき像 (1)
茂林寺たぬき像 (2)
総門(通称黒門)をくぐると、参道にはタヌキの像が両側に並んでいる。その数21体。何となく、俗世間っぽくなっちゃってるような気がして、個人的には・・・かな。

茂林寺山門
茂林寺本堂
山門(通称赤門)と本堂は、藁ぶき屋根でいい味出してる、って感じ。

茂林寺大ラカンマキ (1)
茂林寺大ラカンマキ (2)
境内には大きなラカンマキ(羅漢槇)の木があった。ラカンマキの木ってのは、小さく庭木に向いているんだけど、これは大きいねぇ~。

寺伝の分福茶釜伝説ってのは、歴代の住職に仕えていた守鶴という人の茶釜は、いくら汲んでも湯が尽きない不思議な釜だった。あるとき、守鶴の寝ている姿を見たら、手足に毛が生え尾があるタヌキの姿だった。正体がばれた守鶴は、幻術により「源平の合戦」「釈迦の入滅」を披露し飛び去ったという。

でも、オレが知っているのは、おとぎ話の分福茶釜。これはタヌキの恩返しで、助けてもらったタヌキが、芸を見せてお金を稼いで恩返しをするというもの。上毛かるたの絵札が、まさにこれだよね。

宝物拝観(内部拝観)は有料なので、分福茶釜は見てこなかった。でも今思うと、館林って家からすっごく遠く、めったに行けないので見てくれば良かったかな・・・。

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上毛かるた紀行、第25弾!

れ
(れ) 歴史に名高い 新田義貞

新田義貞
新田荘歴史資料館前にある銅像

新田義貞ほど行った偉業の大きさと、その知名度に差がある人物はいないような気がする。政治力のない田舎侍的なレッテルも貼られているし。約150年続いた鎌倉幕府を滅ぼした中心人物だが、その後最終的に天下を取ったのが、同じ源氏の足利尊氏なのは皮肉なこと。

生品神社
生品神社 (7)
生品神社 (8)
太田市新田市野井町にある、生品神社。元弘3年(1333年)後醍醐天皇より鎌倉幕府討伐の綸旨を受け、この生品神社で旗揚げをしたといわれている。生品神社は太平記にも出てくる。

生品神社 (4)
拝殿前には、旗揚げの際に義貞が軍旗を掲げた、といわれる椚の木がある。でも、明治37年(1904年)に倒れてしまい、保存のため薫蒸処理しポリウレタン系樹脂加工がしてある。

生品神社 (5)
境内には義貞の銅像があったのだが、今年(2010年)の2月19日に盗まれているのが発覚。この銅像は、昭和16年(1941年)に地域の子供たちなどの勤労奉仕作業、及び廃品回収作業の収益金により建てられたものだ。

まったく不心得者がいたもんだ。

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上毛かるた紀行、第24弾!

お
(お) 太田金山 子育呑龍(こそだてどんりゅう)

大光院 (8)
大光院 (4)
徳川家康により先祖の新田義重を祀るため、慶長18年(1613年)に創建された大光院。正式名称は義重山大光院新田寺。まあ、徳川家の先祖が源氏の本流・新田氏というのは捏造だけどね。

開山時住職の呑龍上人が、貧しい子ども達を引き取り育てたことから子育て呑龍と言われた。

本堂内には、新田義重、徳川家康、秀忠、家光の像が祀られている(歴代上人も)。こうやって徳川家は既成事実をどんどん作っていったんだろうね。

大光院 (7)
本堂前には、呑龍さんが植えたという立派な松がある。開山時に植えているとすれば、樹齢400年くらい?

大光院 (5)
大光院 (2)
本堂と間違えている人がいるみたいだけど、こちらは開山堂。七五三のお参りの人が多くて。でも横に廻ると誰もいないんだよね。そりゃそうか、用ないしね。

大光院 (6)
大光院
本堂奥には、呑龍さんと新田義重のお墓がある。

さすがに、子育て呑龍さんのお寺だけあって、七五三シーズンも重なり、大賑わいだった。

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上毛かるた紀行、第23弾!

や
(や) 耶馬渓しのぐ 吾妻峡

吾妻峡 (4)
吾妻峡 (11)
吾妻峡は関東の耶馬渓と呼ばれ、国の名勝に指定されている。本家の耶馬渓は大分県中津市にあり、新日本3景のひとつに数えられている。まあ、それをしのぐということ。(でも、はっきり言って、言い過ぎ。)

吾妻峡 (6)
吾妻峡 (7)
紅葉シーズンだったため、すごく混んでいた。吾妻川は国道のすぐ下を流れているので、道路沿いにいくつか駐車場があるが、あまり広くなく渋滞まで発生していた。

吾妻峡
なんとか車を停めて、さあどこに行こうかな、と思っていると遊歩道の看板が。遊歩道は吾妻川をはさんで国道の向こう側にある。とりあえず行ってみるか。

これが失敗だった。

吾妻峡 (9)
吾妻峡 (12)
思ってた以上にアップダウンが激しく、歩き始めて数分でゼイゼイ。しかも、木々や枝が邪魔をして、吾妻峡(吾妻川)が良く見えない。もう少し行けば、もう少し行けば、と頑張ったのだが・・・。途中にあった展望台って、全然見晴らしが良くなかった。

結局、疲れただけで・・・。途中で引き返した。

吾妻峡に行った際には、国道を歩くことをお奨めする。車がけっこう走っているので、充分注意が必要だけど。

ところで、今話題の八ツ場ダムができると、名勝指定地域の4分の1を失うことになる。(当初計画では、渓谷のほぼ全域がダム予定地だった。)八ツ場ダムもどうなることやらだけど、吾妻峡もどうなることやら・・・。

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上毛かるた紀行、第22弾!

こ
(こ) 心の燈台 内村鑑三

内村鑑三 (5)
内村鑑三は、1861年高崎藩士の子として江戸で生まれている。でも、その後の経歴を見ても群馬とのつながりがみつからない。高崎藩士の子、という以外群馬との接点がない。

えっ~、って感じ。
一応幼児期に、高崎市(柳川町)に住んでいたらしいけど・・・。そんなだから、群馬県内にゆかりの地もない??

内村鑑三 (8)
内村鑑三 (6)
見つけたのが、高崎市の高崎公園となりにある、頼政神社の記念碑。この碑は、内村鑑三の生誕100年を記念して、昭和36年(1961年)に建てられたみたい。だけど、神社の中にキリスト教徒の碑が建っている。なぜ?

内村鑑三 (2)
碑の真ん中(黒い部分)には、上州人という詩が刻まれている。「上州人無智また無才」とある。厳しいながらも、逆説的な褒め言葉??

最上部は英語で、下記にように刻まれている。
 I for Japan
 Japan for the Woeld
 The World for Christ
 And All for God

内村鑑三
これは、多磨霊園にある内村鑑三の墓にも刻まれている言葉である。

群馬県には、他にゆかりの地とかはないのかね? 知ってる人がいたら教えて。

軽井沢には、「石の教会 内村鑑三記念館」とか、資料展示館があるのにね。

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上毛かるた紀行、第21弾!

ね
(ね) ねぎとこんにゃく 下仁田名産

下仁田
甘楽郡下仁田町。町民の方には怒られそうだが、いたってのどかな田舎町。

下仁田ねぎ
下仁田ねぎ (2)
国道254号沿いには、いくつもの直売店が並んでいる。

そう言えば、国道406号(高崎市街から旧榛名町方面に行く道)沿いも、梨や桃の直売店が軒を連ね、フルーツ街道と呼ばれている。ここも、「ねぎこん街道」とでも名付ければ?

下仁田こんにゃく (2)
とあるこんにゃく屋さん。知り合いのような、知り合いでないようなお店。この日もけっこうお客さんがいた。商売繁盛?

下仁田こんにゃく (3)
道の駅「しもにた」のショップ内。こんにゃく商品がいろいろあり、お客さんもいっぱい。こんにゃくが飛ぶように売れてだぞ。

下仁田こんにゃく
こんな碑を発見。こんにゃくの碑って・・・。

ねぎとこんにゃくは、これからの季節(鍋料理)には欠かせない。おいしく鍋をつっつけるのも、下仁田のおかげ?

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上毛かるた紀行、第20弾!

め
(め) 銘仙織出す 伊勢崎市

銘仙は経糸の数が多く綿密な、絹の平織物として知られた織物。銘仙と呼ばれるようになった太繊は、明治から昭和にかけて一世を風靡した。現在は、伊勢崎絣(かすり)と呼ばれて親しまれている。

伊勢崎織物会館
伊勢崎織物会館には、たくさんの伊勢崎絣の作品や反物、それらを利用した様々な作品、関連資料が展示されている。

と言うことだったが・・・。土曜の11時ころに行ったのだが、なぜか閉まっている。休館日??

下城弥一郎・森村熊蔵の碑
下城弥一郎・森村熊蔵の碑 (2)
とりあえず、敷地内にある「下城弥一郎と森村熊蔵」の記念碑。両者とも伊勢崎織物の発展に大きく貢献し、その功績を讃える碑が建立されている。申し訳ないが、おふたりとも全然知らない。

せっかく来たのに、織物も何も見ないで帰るのも・・・。

銘仙
銘仙 (2)
銘仙3
あるところで、偶然銘仙を見つける(見る)ことができた。そこは相川考古館。織物会館から歩いて5分くらいのところ。

良かった良かった。

相川考古館に関しては、上州まったり紀行の方で、別の機会に紹介するよ。

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上毛かるた紀行、第19弾!

な
(な) 中山道しのぶ 安中杉並木

安中杉並木
旧中山道(旧国道18号線)は、ほとんど通ることはないため、杉並木は初めて見たと思う。今も残ってるんだぁ~が感想。

ご存知のように、中山道は江戸を起点とする五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ重要な街道だった。

杉の植樹には諸説あるが、だいたい1600年代初頭である。天保15年(1844年)には732本あったという。それが、昭和7年(1932年)には321本、昭和57年(1982年)には57本、現在は16本という。

モータリゼーションの発達や工業の進歩により、排ガスや工場排出物による環境汚染は、江戸時代とは比較にならない。江戸時代どころか、高度経済成長期(昭和40年以降)以前とも比較にならない。

枯れる、植えるを繰り返しながらも、よく現存していると、感心してしまう。(現在の杉がいつの植樹か知らないが。)先人や関係者の方々のご苦労の賜物と思う。

写真が1枚しかないのは、車を停める場所がなく、交通量も意外に多く、さらに歩くのが面倒くさかったので。

*「なかせんどう」の表記に関して
江戸時代(1716年)に幕府通達により、「中山道」に統一されているため、本ブログでは中山道と表記している。しかし、理由は定かではないが、上毛かるたの詠み札は「中仙道」となっている。決して誤記している訳ではないので。

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上毛かるた紀行、第18弾!

fuda_ti
(ち) 力あわせる 200万

上毛かるた紀行、最難関の札!
実は前から考えていた案があって、もう少し膨らまそうと温めていたけど、これ以上ムリと思うので、もうUPしちゃいます。

県庁 (2)
ここは県庁31階、特産展示室。
群馬県全市町村の観光パンフレットがある。確認したわけではないが、多分あると思う・・・。

現在群馬県には、35の市町村がある。(五十音順)
安中市、伊勢崎市、太田市、桐生市、渋川市、高崎市、館林市、富岡市、沼田市、藤岡市、前橋市、みどり市
板倉町、邑楽町、大泉町、神流町、甘楽町、草津町、下仁田町、玉村町、千代田町、中之条町、長野原町、東吾妻町、みなかみ町、明和町、吉岡町
上野村、片品村、川場村、昭和村、榛東村、高山村、嬬恋村、南牧村
(合併等で、万が一違っていたら、ゴメンなさい。)

ということで、特産展示室から、片っぱしから各市町村の観光パンフを持ってきた。有形のもので、群馬県、市町村をあらわすものってなかなかないので。力あわせるってイメージとは、ちょっと違うかも・・・。

観光パンフ (4)
中毛。あれ、前橋と伊勢崎がない? 忘れたかな? ゴメン。

観光パンフ (3)
西毛。安中は3冊もあるんだよね。合併で碓氷峠の方まで安中だからね。1冊しか載せてないけど。

観光パンフ (5)
東毛。良く知らないので、じっくり見るようにする。

観光パンフ (2)
北毛。赤い長野原が超目立ってる!でも遠いイメージが・・・。

まあ、こんなもんでいかがでしょう。

ところで、ちゃんとまた県庁に行ってきたんだよ(机上の空論じゃないよ)。紀行なんだから、実践実践。(前回行ったのは、「県都前橋 生糸の市」の時。)

県庁スタンプ
はい、証拠写真。「県都前橋 生糸の市」にもスタンプ載せてるので、日付を見てね。ちゃんと違うから。

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上毛かるた紀行、第17弾!

う
(う) 碓氷峠の 関所跡

碓氷峠の関所跡 (3)
碓氷峠の関所跡 (2)
碓氷峠の関所跡 (5)
もっと碓氷峠寄りにあるのかと思ってたけど、意外と下の方。でも、これは現代人の感覚かな。昔は歩きだから、この辺でも結構登って来たイメージかも。

歴史は古く、昌泰2年(899年)に群盗を取り締まるため、碓井坂に設けられた、そうな。現在の地に移ったのは、江戸幕府開府後の元和6年(1620年)ころ。有名な「入り鉄砲に出女」を取り締まった。明治2年(1869年)に閉門されるまで、中山道の要所となっていた。

碓氷峠の関所跡 (6)
碓氷峠の関所跡 (7)
碓氷峠の関所跡
この門は東門らしく、昭和34年(1959年)に復元されたとのこと。門柱、門扉、屋根や台座は当時のもので、ここには番所があったらしい。

でも、これしかないんだよね。しょーがないので、後ろから、左から、正面からと、角度を変えて写真を撮って枚数稼ぎ。後で調べたら、おじぎ石という、通行人が手をついて手形を出した、という石があったらしいのだが、気がつかず・・・。

あと思ったのは、貴重な史跡なんだから、もうちょっとPRしてはいかが?せめて国道18号線に案内看板くらい出して欲しい。ナビにも出ないし。オレは道に迷ったぞ!

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