富岡市宮崎の宮崎山薬師寺。
薬師寺は天正年間(1573~92年)に奥平信昌が開基となり、開山に慈眼大師(天海)の高弟・春圓僧都を招き開山。奥平信昌が宮崎に3万石を領したのは天正18年(1590年)なので、それ以降の創建となる。
奥平氏の祈願所として郡内屈指の仏堂・伽藍を誇っていたようであるが、奥平氏が慶長6年(1601年)に美濃加納へ国替えとなり、また以降数度の火災により古記録などを焼失。現在はかなりこぢんまりとした本堂があるのみである。
本尊の薬師如来像(石像)は秘仏で、奥平信昌正室・亀姫(徳川家康長女)の祈念仏という。ただ、昭和59年(1984年)刊の富岡市史では薬師寺の本尊は阿弥陀如となっているので、亀姫祈念仏などは散逸しているようだ。
境内の六地蔵は平成19年(2007年)の造立。
奪衣婆像。元は宮崎と一ノ宮の境界あたりにあったようだが、薬師寺に遷されている。富岡市内の奪衣婆像では最大である。地元では「ショウヅカバアサン(正塚婆さん)」と親しまれており、頭をなでると頭痛が治るといわれ信仰されている。