Tigerdream の上州まったり紀行

上毛かるたと群馬県内の神社仏閣、遺跡・史跡・古墳、資料館などの紹介。

カテゴリ: みどり市


みどり市大間々町小平の小平鍾乳洞。

小平鍾乳洞 (1)
明治7年(1874年)に発見され、160文の入洞料で一般公開されていたが、その後10年位で入り口が埋まってしまい、昭和59年(1984年)に入り口が発掘されるまで、伝説と化していた鍾乳洞。

鍾乳洞があったという言い伝えだけが残っていたが、「岩屋参詣人名記」や「岩穴くどき」など、鍾乳洞の存在を裏づける古文書が見つかったことから、再発見に至る。

小平鍾乳洞 (2)
全長93mと小規模ながらも、変化に富んだ鍾乳石が見られる。

小平鍾乳洞 (3)
小平鍾乳洞 (4)
小平鍾乳洞 (5)
小平鍾乳洞 (6)
小平鍾乳洞 (7)
洞穴の内側はススなどの汚れもなく、非常に美しい状態を保っている。他にあまり例を見ないボックスワーク、重力の法則に反して曲がったストローなどの貴重な二次生成物があり、学術的にも重要な鍾乳洞と言われている。

小平鍾乳洞 (8)
前を歩いていたおばさん(失礼!)が、突然「きゃーっ!気持ち悪い!」なんて叫ぶもんだから、何があるのかと思ったら・・・、ネットにコウモリがとまっていた。

学術的には貴重なものが多いみたいだけど、93mってのちょっと短いね。あっと言う間に出口でした。

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みどり市大間々町小平の野口水車保存館。

野口水車保存館 (1)
屋内型最大級の「野口水車」が保存されている。

野口水車保存館 (2)
野口水車保存館 (3)
野口水車保存館 (4)
この水車は、明治43年(1910年)に材木商・野口金太郎氏が建造し、昭和30年(1955年)頃まで約45年間、精米の動力として稼働していた。

平成2年(1990年)に、水車一式が野口家から旧大間々町に寄贈され、修理・修復し平成4年(1992年)保存館に移設された。

水輪の直径3間(5.64m)、幅2尺6寸(0.8m)、羽根板50枚、搗臼(つきうす)16個(石)、挽臼(ひきうす)1個(台)。

野口水車保存館 (5)
野口水車保存館 (6)
杵は毎分48回往復する。精米まで約48時間かかると聞いた。この日も16個ある搗臼のうち、1個だけだが精米を行っていた。  管理人さん曰く、「需要がないんで・・・。」

優雅に回る水車の回転は、なんとなく心が和む。また、歯車のかみ合わせ、杵を持ち上げる仕組み(木組み)など、オレは見ていて飽きなかった。ただ、水車の回転をずっと見ていると目が回る。

野口水車保存館 (7)
野口水車保存館 (8)
野口水車保存館に隣接して「屋外型・上掛水車」があった。

ところで、オレも最初間違っていたんだけど、「野口、水車保存館」ではなく、「野口水車、保存館」。

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みどり市大間々町高津戸青木の山田氏および里見兄弟の墓。

里見兄弟の墓 (1)
高津戸峡の東側に、標高約270mの要害山がある。そこに平安末の寛治2年(1088年)、山田七郎平吉之が高津戸城を築いた。しかし、山田氏は室町時代初めの観応2年(1351年)、桐生国綱によって滅ぼされたといわれている。

その後、天正5年(1577年)里見勝政、勝安兄弟が、桐生氏に謀殺(形の上は自害)された父の仇を討つため、上杉謙信の支援を受けて高津戸城を再興し立て籠もった。

しかし、北条を後ろ盾とする太田金山城の由良氏の怒りを買い、宿願を果たせぬまま、兄弟は壮烈な最期を遂げている。天正6年(1578年)のこと。

里見兄弟の墓 (2)
里見兄弟の墓 (3)
道端の阿弥陀堂脇には、30数基分の五輪塔があり、山田氏や里見勢(里見兄弟含む)の墓といわれている。

里見兄弟の墓 (4)
里見兄弟の墓 (5)
里見兄弟の墓 (6)
里見兄弟の墓と称される五輪塔は、凝灰岩製であり形式的には鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、時代が一致しない。また、勝政、勝安兄弟が、里見氏の系譜に見られないことなどから、里見兄弟にまつわる史話は、伝承の域を出ないとされている。

でも、こういう伝承が残っているのは、これに類似した事実があったからだと個人的には考えている。まるっきりオリジナルの戦記もの作るのは、けっこう大変だと思うからさ。

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みどり市大間々町高津戸の高津戸峡。

足尾山地から流れ出る渡良瀬川の中流に位置する。吾妻峡とともに「関東の耶馬渓」と称される。(吾妻峡は、上毛かるた紀行「耶馬溪しのぐ吾妻峡」参照。)

高津戸峡 (1)
高津戸峡 (2)
高津戸峡にかかる「はねたき橋」は、歩行者専用橋で、全長120m、全幅3.5m。その名は「水が飛散する様が滝のように見える」ことに由来する。はねたき橋は、横、縦どちらから見ても三角形に見える。

高津戸峡 (3)
高津戸峡 (4)
高津戸峡 (5)
はねたき橋から見た高津戸峡。

高津戸峡 (6)
高津戸峡 (7)
遊歩道があったので、ちょっと下に降りてみた。下流の高津戸橋までの間、約500mにわたり遊歩道が整備されている。写真はないけど、ポットホールやゴリラ岩などの奇勝を見ることができる。

高津戸峡 (8)
少し下流(ながめ余興場あたり)では、川面が少しグリーンっぽく見えた。

ながめ余興場
番外編になるが、ながめ余興場。

ながめ余興場は、昭和12年(1937年)に竣工した木造二階建の劇場建築。形式は切妻造り妻入りと称されるもので、建物正面の中央に唐破風をつけて客の入場口とし、その左右には千鳥破風を付けるなど、劇場らしい変化に富んでいる。

しかし、はねたき橋から遊歩道へ降りたはいいが、帰りの登りに太ももが・・・。

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みどり市大間々町大間々の神明宮。

大間々・神明宮 (1)
貞和3年(1347年)に伊勢神宮から勧請したと伝わり、慶長2年(1597年)現在地に仮宮を建て、慶長4年(1599年)に中興遷座している。

大間々・神明宮 (2)
大間々・神明宮 (3)
大間々・神明宮 (4)
鎮座650年、中興遷座400年の記念事業として、多くの氏子崇敬者からの寄進により、平成12年(2000年)総檜造りの社殿が完成している。

新しいというだけではなく、この拝殿は重厚感がありすばらしい。オレの好きなタイプの拝殿である。

天保2年(1831年)には、渡辺崋山が神明宮を訪れ、すぐ裏にある高津戸峡(はね瀧)のことを書いている。

ここからはねたき橋(高津戸峡)方面へ抜けられるので、珍しく歩いて行ったんだよ。(と言っても、5分もかからずに着くんだけどね。)

ということで、次は高津戸峡ね。

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みどり市大間々町の大間々博物館。
通称「コノドント館」と呼ばれる。

大間々博物館 (1)
大間々地域の資料を展示する大間々町歴史民俗館として、昭和63年(1988年)に開館した。平成18年(2006年)、みどり市発足に伴いみどり市大間々博物館に名称変更。

大間々博物館 (2)
大間々博物館 (3)
大間々在住の研究者・林信悟氏によって、日本で最初に発見された古生物化石「コノドント」。昭和33年(1958年)のこと。

長い間正体不明の化石だったが、この1mmにも満たない微小な化石が、近年になって最初の魚類の歯であることが分かり、脊椎動物の進化を探るうえで、重要な化石とされている。なので、大間々博物館を通称「コノドント館」という。

大間々博物館 (4)
自然展示関係では、恐竜や化石関係の展示も多い。

大間々博物館 (5)
大間々博物館 (6)
大間々博物館 (7)
縄文中期の瀬戸ヶ原遺跡出土品や、古墳時代後期の国土古墳や杉森古墳などからの出土物。

大間々博物館 (8)
大間々博物館 (9)
この博物館は、大正10年(1921年)に建築された旧大間々銀行を修復したもの。1階奥には金庫室がそのまま展示室になっている。金庫室なので、中国からの渡来銭、江戸時代の貨幣、日本の近代紙幣など、お金に関する展示。

ここをなんでコノドント館っていうのか知らなかったんだけど、理由だけは分かった。まだコノドントに関しては、よく分かってないので、もらってきたレポートを読んで勉強するよ。

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