前橋市茂木町の有鷲山長興寺。
長興寺には以前紹介した稲垣重宗夫妻の墓以外に、大胡藩、前橋藩ゆかりの人物の墓や供養塔がある。(「伊勢崎藩主 稲垣長茂両親の墓・有鷲山長興寺」)
大胡城主・牧野家の家老・山本帯刀の墓。
山本氏は牧野氏が牛久保城主時代からの重臣で、代々帯刀を世襲している。ここに眠る山本帯刀は山本成行と思われ、慶長9年(1604年)死去している。
山本氏は牧野氏が、元和4年(1618年)に越後長岡に転封になった後も、代々上席家老として仕えている。
山本帯刀で有名なのは、幕末期の山本義路。8歳で安田家から山本家に養子に入り、文武両道で神童と言われた。戊辰戦争・北越戦争では長岡藩の大隊長として出陣し、官軍相手に奮戦したが、捕縛され斬首されている。
これにより山本家は断絶したが、大正5年(1916年)に長岡士族・高野家から養子を迎え再興している。この時養子に入ったのが、後の連合艦隊司令長官・山本五十六である。
その他、長興寺には、前橋藩酒井家家臣・上村家の墓、前橋藩酒井家家老・大河内二右衛門広継夫妻の碑、前橋藩松平家家臣・赤羽三蔵宗忠の墓碑がある。
前橋藩酒井家家臣・上村家の墓。
前橋藩酒井家家老・大河内二右衛門広継夫妻の碑。
前橋藩松平家家臣・赤羽三蔵宗忠の墓碑。
この3人(家)は全く知らないけど、こうして墓(墓碑)が残っているのは、すばらしいことだと思う。
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