前橋市紅雲町の芳林山長昌寺。
ここには前橋藩主酒井忠世の家臣・本城氏の墓と伝わる五輪塔が3基ある。

長昌寺 (1)
長昌寺 (2)
長昌寺は延徳元年(1489年)の創建で、開基は長野方業と伝わる。長野方業は厩橋城の築城者といわれているが、厩橋長野氏の系譜ははっきりしていない。

天正10年(1582年)、ときの厩橋城主・滝川一益が長昌寺境内で能を舞ったという。山門前に「群馬県能発祥の地」という石柱が建っているが、このことから来ているのかも。

長昌寺 (3)
本堂前にある本城氏の墓3基。

本城氏は出羽・最上義光の家臣で、本城満茂は最上家57万石のうち由利地方など4万5000石相当を任されていた。4万5000石と言えば大名クラスである。

最上家は義光の後継をめぐって争いが起き、これが主原因で元和8年(1622年)改易となる。このとき満茂は前橋藩主・酒井忠世に「お預け」にになった。満茂は自らの家臣も引き連れ前橋に移ってきたが、知行は家臣分も含め3000石だった。

現存する五輪塔は、満茂夫人、満茂の次女、満茂の養子・2代親茂の墓と伝わる。文化8年(1811年)に作られた長昌寺絵図面には、初代・満茂、3代・満旨、4代・満武など一族の墓石19基や満茂の位牌などがあったことが記載されている。

墓石散逸の原因は知らないが、満茂の墓がないのはちょっと残念だね。