太田市押切町の大悲山徳性寺(とくしょうじ)。
ここは「日本の飛行機王」中島知久平(中島家)の菩提寺である。

徳性寺 (1)
徳性寺 (2)
徳性寺の創建は不明。元和年間(1615~24年)に中興される。

本堂は享保(1716~35年)以前の建立で、以後の再建・修復の後昭和63年(1988年)に修復されている。

徳性寺 (3)
本堂前にある、本堂の山号額の奉納碑。奉納者は中島源太郎。源太郎は中島知久平の長男(庶子)で、文部大臣を務めている。

徳性寺 (4)
徳性寺 (5)
徳性寺 (6)
中島家墓所。ここに中島知久平の墓がある。知久平の墓は多磨霊園にあるが、後に徳性寺に分骨されている。

中島知久平像 (1)
太田市役所尾島庁舎にある知久平の銅像。

知久平は、明治17年(1884年)旧尾島町に生まれ、18歳の時に海軍機関学校に入学、卒業後は海軍の軍人(大尉まで昇進)となる。

知久平は航空の将来に着眼し、航空機は国産すべきこと、それは民間製作でなければ不可能という信念から、大正6年(1917年)海軍を退役し中島飛行機製作所を設立。(飛行機研究所、中島飛行機研究所を経て、中島飛行機製作所となる)

昭和5年(1930年)には国政にも進出し、第1次近衛内閣で鉄道相、東久邇宮内閣で軍需相、商工相を歴任した。戦後はGHQにA級戦犯に指名され(後に解除)、昭和24年(1949年)66歳で死去。

中島飛行機はGHQにより解体されたが、その一部が現在の富士重工業であることはご存じの通り。