太田市本町の医王山東光寺。

太田・東光寺 (1)
東光寺は新田政氏の祈願所として文応元年(1260年)に創建。新田政氏は義貞の曽祖父。

太田・東光寺 (2)
本堂は平成11年(1999年)の新築。鉄筋コンクリート造り。

太田・東光寺 (3)
岡家墓所内にある新田義興の供養塔。義興は義貞の次男。

義興は、延元2年(1337年)に北畠顕家に呼応し旗揚げ、吉野で後醍醐天皇に謁見し元服。義貞戦死後は、越後に潜伏していたとされる。その後、鎌倉を一時奪還する等の戦果をあげたが、江戸多摩川の矢口渡で謀殺される。正平13年(1358年)のことである。享年28歳。

太田市由良町の威光寺に義興の墓と伝わる宝篋印塔がある。
(「新田義興の墓?・正英山威光寺」参照)

東光寺にも正平年間に義興の遺骨を埋葬したと伝わっている。

義興の弟・義宗(義貞3男)は、足利方から逃れるため隠名・岡を名乗っていたこともあり、その末裔・岡家の墓所内に義興の供養塔がある(岡家が弔ったということ)。

ちなみに、義宗は南朝側として最後まで奮闘したが、正平23年(1368年)沼田うつぶしの森で壮絶な戦死を遂げている。
(「新田義宗 最期の地・うつぶしの森/白佐波神社」「新田義宗の墓・武尊山雲谷寺」参照)

*延元、正平は南朝の年号