太田市東金井町の宗光山玉巌寺。

玉巌寺 (1)
玉巌寺は嘉元年間(1303~06年)に栄朝禅師の法弟が新田氏の援助のもとに創建したと伝わる。地形が鎌倉・建長寺の玉巌窟ににていることから玉巌寺と名付けられた。

玉巌寺 (2)
玉巌寺 (3)
山門には新田義重23世・源徳純書による金城窟の額面か掲げられている。源徳純は岩松徳純のことで、江戸時代後期の旗本。徳川家康が新田氏の系譜を名乗ったことから、岩松氏は幕府より優遇されていた。

玉巌寺 (4)
玉巌寺 (5)
本堂は間口八間、奥行六間で、堂内には新田義貞、義顕、義興、義宗、横瀬貞国の位牌が安置されている。

横瀬貞国は玉巌寺の再興に尽力したことから、新田義貞らとともに位牌が安置されている。

新田義貞の3男・義宗の子と伝わる貞氏が、家臣の横瀬時清の娘婿となり横瀬氏を称したとされている。貞国は貞氏の孫にあたるが、資料上確認できる横瀬氏の祖といわれる(横瀬氏は後の由良氏)。

山門の掲額を書いた岩松氏は、横瀬氏(由良氏)に下剋上された側。でも明治維新後、新田氏の正当な末裔とされたのは岩松氏だけどね。