太田市烏山上町の各願山西慶寺。

西慶寺 (1)
西慶寺 (2)
西慶寺は大同2年(807年)勝道上人の開山と伝えられる。鐘楼門は寛保2年(1742年)の建立。

西慶寺 (3)
西慶寺 (4)
新田氏の祖・義重は西慶寺を鬼門になぞらえ、代々の祈願所としている。本堂は天明4年(1784年)に焼失したが、天明8年(1788年)に再建され。ている。

西慶寺 (5)
本堂には「新田一引き大中黒」の家紋の屋根瓦があった。

西慶寺 (6)
元弘3年(1333年)の新田義貞が鎌倉攻めの際、不動明王に加護を祈念、不動明王は山伏に姿を変え、越後の新田一族に挙兵を触れたという伝説のある「新田触不動尊」を安置している。

「新田触不動尊」の伝承は明王院安養寺にもあるが、どっちが本家かは知らない。
(「ピラミッド型の供養塔 -明王院-」参照)

西慶寺 (7)
梵鐘は寛保2年(1742年)新田義貞追善供養の際に寄進されたもの。総高139cm、口径78cmで、下野国佐野天明(佐野市)の鋳物師・長谷川弥市、山崎吉兵衛により鋳造されたもの。

鐘銘には「新田触不動尊」の謂れや梵鐘鋳造の趣旨、義貞追善の91名の僧名、鋳造者名等が刻まれている。