太田市烏山中町の笑嶺山妙英寺。

妙英寺 (1)
妙英寺 (2)
妙英寺 (3)
妙英寺は天正2年(1574年)烏山丹後守繁雄の開基と伝えられる。烏山繁雄は由良成繁の弟で烏山城主だった。

ご存知のように、由良氏は太田金山城主・新田岩松氏に仕えていたが、下剋上により岩松氏を廃し金山城主になっている。

妙英寺 (4)
妙英寺 (5)
山門をくぐると、右側に鐘楼がある。梵鐘は総高95cm、口径55.8cmで、笠形は低く、肩に丸みはなく、駒の爪は小さい。乳は1区に4段4列、合計64個ある。

銘文によると、寛永4年(1627年)下野国佐野天明(佐野市)の鋳物師・大田左兵衛尉宗次、野村平左衛門正次により製作されたものであり、現存する太田市最古の梵鐘である。

寄進者は新田郡鳥山の天笠次郎右衛門。次郎右衛門は由良国繁(成繁の嫡男)の家臣である。

次郎右衛門は梵鐘の他にも、妙英寺に本堂・庫裡・閻魔堂・門・土地を寄進している。また、新田堀に石橋をかけるなどの徳行も多く、その名は東武鉄道の駅名(治良門橋:じろえんばし)として残っている。