高崎市下横町の白龍山興禅寺。

興禅寺 (1)
興禅寺は治承元年(1177年)新田義重の開基と伝わる。新田義重は新田氏の祖である。

戦国時代の初期に、当時の和田城主・和田信輝が再興し、和田氏の菩提寺としている。和田信輝は関東管領・山内上杉氏に属し、天文15年(1546年)に河越夜戦で討死と伝えられる。

興禅寺 (2)
興禅寺 (3)
山門をくぐると児童公園があり、さらに道路が横切っている。古くは参道があったんだろうが、なぜか児童公園ができている。

興禅寺 (4)
興禅寺 (5)
興禅寺に伝わる「和田城並びに興禅寺境内古絵図」によると、鎌倉街道に面した広大な敷地の中に興禅寺が描かれている。「和田城並びに興禅寺境内古絵図」は天文から天正年間(1532~91年)の頃のものとされる。

しかし井伊直政の高崎城築城時に境内を縮小され、その後大河内氏が城主時代の天保11年(1840年)に現在地に移っている。

和田氏の菩提寺なので、和田氏関連のお墓もあるのかもしれないが、肝心の墓地がどこにあるのか分からなかった。