高崎市には「和田の三石」と呼ばれる3つの石がある。
「上和田の円石」「和田の立石」「下和田の方石」。和田氏はこの三石をとても大切にしていたと伝えられている。

まずは、「和田の立石」。
現在は高崎神社の境内にある。これは高崎神社の記事「高崎の総鎮守 -高崎神社-」で紹介済み。
立石 (1)
立石 (2)
少し追加しておくと、弘法大師行脚のおり、この石に腰掛けたので「大師石」とも言うらしい。

続いて「上和田の円石」。
現在は成田町の成田山光徳寺にある。
円石 (1)
円石 (2)
「上和田の」というくらいなので、もともとは上和田の畑の中にあった。

江戸時代の享保年間(1716~35年)に、元紺屋町にある善念寺の石橋として使われ、後に砂賀町の用水堀の石橋になり、明治11年(1878年)には売りに出され、購入した人が歌碑として光徳寺に建立した、といういきさつがある。

最後に「下和田の方石」。
方石は若松町の佐藤病院の敷地内にある。
方石 (2)
方石 (1)
もちろん当時は畑の中にあった。方石は鎌倉時代に、源頼朝の馬がこの石を化けものと驚いて蹴ったので「化け石」「馬蹴石(ばけいし)」とも言う。

まあ、和田氏時代の高崎の伝説なんだろうけど、後に高崎に入った井伊直政が高崎城を築城する際にも、この「三石」は使わなかったというので、それなりに由緒ある「石」ということ。

ただ「三石」の中では、「円石」のみ悲しい使われ方をしている。「立石」は弘法大師が腰を掛けた、「方石」は源頼朝の馬が蹴ったという伝説があるが、「円石」だけがその手の伝説が見られないので(調べた限り)、石橋に使われちゃったということかな。