前回に引き続き、高崎市下豊岡町の八幡山月光院常安寺。

柳川政右衛門の墓 (1)
柳川政右衛門の墓 (2)
常安寺にある稲川政右衛門の墓。

稲川政右衛門は、明治時代に関脇まで出世した相撲取り。本名は吉井貞四郎といい、明治4年(1871年)旧豊岡村の生まれ。

初土俵は明治21年(1888年)16歳の時で、四股名は「豊岡」。明治32年(1899年)には稲川政右衛門を襲名し、現役と親方の二枚鑑札となっている。その後、明治42年(1909年)に現役を引退。大正5年(1916年)に脳溢血のため死去。享年46歳。

稲川は身長167cm、体重110kg。今の相撲取りと比べると小兵だが、当時の平均は170cm、100kg程度だったらしいので、まあ平均クラス。

群馬県出身の相撲取りの最高位は関脇なので、出世頭である。(他は、栃赤城と琴錦)