高崎市柴崎町の進雄(すさのお)神社。
貞勧11年(869年)清和天皇の勅掟により、尾張津島神社を勧請して創建。前九年の役のおり、源頼義が武運長久を祈誓し、凱旋にあたっては社殿を修理し領地を寄進したという。頼義は八幡太郎義家の父親。
神様が渡る真ん中は通れないので、両脇の平橋を渡る。
平成になって総檜、権現造の社殿を新築造営したようだ。
雄進神社のHPでは、源頼義が訪れた逸話が天喜5年(1059年)となっている。でも、天喜5年は1057年なんだよね。1059年は康平2年になる。まあ、たいしたことではないんだけど、いろんな人の参拝記に進雄神社HPの由緒が引用されており、みんな間違ってるので気になってしまっただけ。(オレの記事がすべて正しいと言っている訳ではないので、誤解のないよう。)
ところで、一般的には「スサノオ」は、素盞雄、須佐男、須佐之男と書くのが多いと思う。個人的には「素盞雄」が好みだ。
明治初年の神仏分離により、雄大に進むを祈誓して「進雄神社」と改称されたらしいけど。
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