藤岡市譲原の三波山満福寺。

満福寺 (1)
満福寺 (2)
満福寺は、延文3年(1358年)真下伊豆守吉行の開基と伝えられている。

真下氏は武蔵七党のひとつである児玉党の系譜を引く一族で、戦国時代は関東管領の山内上杉氏に仕えていた。天文20年(1551年)の北条氏による平井城攻め・落城後、真下氏は帰農したという。

満福寺 (3)
本堂は寛保2年(1742年)の建立で、本尊に宝冠阿弥陀如来を祀る。

満福寺 (4)
山門横にある満願石。三波石峡より運んできたもの。かなりの労力と時間を要し、満福寺まで運ぶという大願が成就したことから満願石という。重さ2万余貫といわれる。一貫3.75kgなので、2万貫だと7500kg(7.5トン)ということになる。

満福寺 (5)
満福寺 (6)
満福寺 (7)
満福寺に伝わる「紙本著色達磨図」(上)と「紙本著色泰西王侯図」(下2枚)。いずれも筆者は不明だが、画法は桃山時代の作と見られている。キリスト教布教やポルトガル貿易船などによりもたらされた西欧の風俗画を手本に、従来の日本画の材料を用いて描かれた南蛮画と呼ばれる絵画。

原画は県立歴史博物館に所蔵されている。この写真は、前回紹介した道の駅「上州おにし」内にある「体験学習館MAG」に展示されている原寸大写真。
(「藤岡市体験学習館MAG(マグ)」参照)

なんで藤岡市のはずれの山奥(失礼!)に南蛮画が残されていたかは不明だが、この地や神流川の対岸(埼玉県神川町渡瀬地区)にはキリシタンが多数いたといわれているので、その影響かと考えられる。ただ、隠れキリシタンだと思うが。