安中市松井田町新堀の碓氷山金剛寺。

金剛寺 (1)
金剛寺 (2)
金剛寺は長元年間(1028~36年)源頼光四天王・碓氷定光の開基と伝わる。源頼光は清和源氏の3代目で摂津源氏の祖。碓氷定光は当地の出身で荒童子と呼ばれていた。後に武将となり、御伽草子の「酒呑童子」でも知られる渡辺綱、坂田公時(金太郎)、ト部季武とともに源頼光四天王として名をはせた。

この地に戻った定光は碓氷山中で村民や往来の人を悩ませた毒蛇と対決し、大鎌をふりまわし大蛇を倒した。この時、弘法大師作の十一面観音のご加護があったことから金剛寺を開基し、本尊として祀ったという。

金剛寺 (3)
金剛寺 (4)
本堂は江戸時代に数度の火災により焼失したが、享和3年(1803年)に再建されている。

金剛寺 (5)
本堂裏にある定光の供養塔。脇に焼却炉があって、少し残念な立地。

金剛寺 (6)
碓氷石を使った立派な庭園。水も流せるようになっている。

金剛寺 (7)
たまに神社で見かける「カエル」の石像。由来はこちらを参照。
(「安中市郷原・日枝神社」)

碓氷定光が越後から上野へと向かう道中に読経をしていると「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり」とのお告げを受けた。そこで定光が周囲を調べたところ温泉を見つけた。これが四万温泉の始まりとされる。

*碓氷定光は一般的には「貞光」と記されるが、金剛寺関連では「定光」とされる。これは金剛寺の院号が「定光院」であることに起因すると思われる。そのため、本記事では「定光」とした。