安中市上後閑の青木山長源寺。

長源寺 (1)
長源寺 (2)
長源寺は嘉吉3年(1443年)依田信濃守政知の開基。政知は後閑城を築いたといわれる、信濃御嶽城主・依田忠政の子。

長源寺 (3)
長源寺 (4)
その後荒廃したが、後閑信純が弘治元年(1555年)に再興した。後閑氏は先祖を新田義貞の末弟・四郎義重と称しているようだが、信純の父・景純以前の出自は諸説ある。

信純は同じく上後閑にある満行寺も再興している。(「源義国の開基 -満行寺-」参照)

長源寺 (5)
本堂には新田一つ引(大中黒)の家紋が。

長源寺 (6)
長源寺 (7)
依田政知(上)と後閑信純(下)の墓。開基と中興開基の両者の墓が残っている。

長源寺には真田幸隆に関する逸話もある。天文10年(1541年)海野平の戦いで敗れて、長野業正を頼り上野国に来た幸隆は長源寺の食客となり、伝為晃運(晃運字伝)という若い僧と懇意になった。

いろいろ世話をやいてくれた恩義を忘れず、天文16年(1547年)武田氏に仕えて領国を回復した幸隆は、伝為晃運を招いて真田家の菩提寺として真田山長谷寺の創建している。

幸隆がなぜ長源寺の食客となったかは不明だが、同じ信濃出の依田氏の創建ということだからかもね。