安中市松井田町新堀の大泉山補陀寺。

補陀寺 (1)
補陀寺 (2)
応永7年(1400年)、無極慧徹(むきょくけいてつ)禅師の開山という。山門に「関左法窟」の扁額が掛かっているが、「関東一の道場」という意味。

補陀寺 (3)
補陀寺 (4)
天正10年(1582年)松井田城へ入城した北条氏家臣・大道寺政繁の菩提寺となった。政繁は天正18年(1590年)の落城までこの地を居館としていた。

写真では分かりずらいかもしれないが、すっごく大きな本堂である。

補陀寺 (5)
本堂脇にある宝篋印塔が、大道寺政繁の墓である。

補陀寺 (6)
宝篋印塔の中央部は後から造られたものらしく、よく見ると大道寺政繁のプロフィールが刻まれていた。

豊臣秀吉の小田原征伐の際、松井田城は前田利家・利長父子を中心とする豊臣軍に攻略されて陥落。大道寺氏は北条早雲の頃から仕えた由緒家といわれる家柄で、代々宿老的役割を担っていたにもかかわらず、政繁はその後豊臣方に与し、忍城を始め武蔵松山城、鉢形城、八王子城と、北条氏攻略に加わっている。

結局、小田原城が陥落すると、北条氏政、氏照とともに切腹を命じられている。秀吉に利用されたようにも見えるし、主家を裏切った当然の報いにも見えるし・・・。

政繁の墓は、江戸時代、加賀・前田家の行列が松井田宿を通るたびに、悔しさの余り汗を流したという。しかし、なぜ涙ではなく汗なんだろう??