安中市安中の東臨山西廣寺。

西廣寺 (2)
西廣寺は寛永13年(1636年)柏木隼人が西光寺として創建。隼人は東本願寺願主・宣如が安中を通過した際、藩主・井伊直好を介して直弟子になり法名を行存と称した。当時の山号は行存(隼人)の名字から柏木山と称した。

その後、宝永6年(1709年)に5世・釈秀全の時に、東臨山西廣寺と寺号・山号を変更している。理由は分からない。

西廣寺 (3)
本堂は安政7年(1860年)の建立。昭和45年(1970年)に大修築が行われている。

西廣寺 (4)
本堂脇の椿は推定樹齢300年の古木で、関西で京椿と呼ばれる「日光種」。古木であると同時に、園芸品種の経路がわかる資料としても、貴重な存在らしい。

西廣寺には、太山融斉と柏木義圓のお墓がある。

西廣寺 (5)
太山融斉は寛政6年(1794年)現在の茨城県生まれ。江戸で町儒者をしていたところ、安中藩主・板倉勝明に認められて安中藩に迎えられた。以後、安中藩の文教政策の中心となって活躍、嘉永4年(1853年)に地球儀を製作するなど、西洋事情にも通じていた。

西廣寺 (6)
柏木義圓は万延元年(1860年)新潟県与坂町生まれ。東京師範学校卒業後、群馬県松井田町にて小学校教員を務める。その後、新島襄を慕って同志社で学び、その教えを受ける。安中教会5代目牧師として38年間務め、反戦・非戦を終生訴え続けた。

このお寺、境内が異常に狭い。本堂以外は墓地って感じ。事情は分からないが、昔はもっと広かった?