邑楽郡大泉町古海の医王山高徳寺。

高徳寺 (1)
高徳寺 (2)
高徳寺は後醍醐、後村上、長慶天皇と、南朝三代の天皇に仕えた児島高徳の開基で、晩年を過ごしたと伝わる。児島高徳は「太平記」に登場する、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて活躍したとされる、備前国児島郡出身の武将。

一般的には、児島高徳の生没年は不詳とされているが、高徳寺の由緒版では、1311年(元号記載なしだが、延慶4年/応長元年)生まれで、永徳2年(1382年)72歳で没したとある。でも延徳って北朝の元号で、南朝は弘和なんだけどね。

高徳寺 (3)
高徳寺 (4)
伽藍は天授6年(1380年)に建立されたが、いく度かの火災で焼失。 現在の本堂は最近の再建のようだ。まだ新しい。

高徳寺 (5)
高徳寺から100mくらいのところに、児島高徳の墓がある。(高徳寺の墓地なのかは不明。)

高徳寺 (6)
高徳寺 (7)
児島高徳は江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、特に皇国史観の下での学校教育においては、国民的な英雄とされた。明治6年(1873年)には、新田義貞とともに2円札に登場している。(「太田市新田庁舎の新田義貞像」参照)

児島高徳に関しては、具体的な活動を示す文献が「太平記」以外にはないため、架空の人物とする説も根強い。しかし、「太平記」の児島高徳に関する記述が、非常に詳細かつ広範囲にわたっていることから、、逆に作者のひとりとの説もある。