甘楽郡甘楽町白倉の麻場城址。

麻場城址 (1)
麻場城は、甘楽町の東北丘陵地帯の舌状台地上の先端部に立地した丘城で、室町時代の文明年間(1469~87年)に白倉氏によって築かれたいわれる。平成4年(1992年)、麻場城址公園として整備された。

麻場城址 (2)
麻場城址 (3)
本丸は東西の南側約60m、北側約42m、南北約54mの台形状になっており、土塁が周っていたと考えられる。

麻場城址 (5)
麻場城址 (6)
周囲には上幅約15m、下幅約3.5m、深さ約6mもの空堀はが巡っている。この空堀の規模は、驚きものだ!!

麻場城址 (4)
虎口は本丸の南側中央にあり、幅約2mの土橋構造で、二の丸へと続く。

麻場城は、ここから約500m東に存在した仁井屋(にいや)城と合わせて「白倉城」と呼ばれ、典型的な別城一郭であるといわれている。

白倉氏は小幡氏と並んで、関東管領・山内上杉氏の重鎮であったと言われるが、定かではない。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めに際し、「白倉城」は前田利家を総大将とする東山道軍に攻め落とされている。

ちなみに、別城一郭のもうひとつ仁井屋城は、あたり一面畑と化している。麻場城址との大きな差はなに? 単なる地権の問題?