高崎市引間町の三鈷山妙見寺。

妙見寺 (1)
妙見寺 (2)
妙見寺の創建は和銅7年(714年)、またはその翌年の霊亀元年(715年)上野国国司・藤原忠明の開基と伝えられる。延暦7年(797年)成立の「続日本紀」に、妙見寺に関する記載がある。古くは「七星山息災寺」と号し、妙見菩薩を祀る寺として信仰されてきた。

妙見寺 (3)
妙見寺 (4)
同じ境内に妙見社がある。神仏混合時代の名残で、妙見寺が妙見社の別当寺になる。

妙見寺 (5)
妙見寺 (6)
妙見社本殿は天保10年(1840年)に再建された入母屋造り。

妙見とは「妙見菩薩」の事で、北斗七星を象徴とした天空の中心をつかさどり、国土擁護・豊年・酒造・計量・運勢・富貴寿命の守り本尊として古くから信仰されている。

承平元年(931年)平良文・平将門が平国香と染谷川で合戦したとき、息災寺の妙見菩薩が出現し、将門側の勝利を助けたという伝承もある。

妙見寺 (7)
妙見寺 (8)
境内にあった石殿。地元では「おまんま様」と言われている。由来は不明。石殿内には石仏(勢至菩薩?)が鎮座している。室町時代初期(1350年頃)のものらしい。

高崎市のHPには「妙見社は日本三妙見のひとつとして知られ」とある。しかし調べてみると「但馬国石原妙見、肥後国八代妙見、下総国相馬妙見」「秩父の大星神社(現、秩父神社)、氷上山星野宮、武蔵村百村の妙見寺」の組み合わせが出てくる。

また、秩父の大星神社の妙見菩薩は妙見寺(妙見社)にあったのを平良文が遷したという説もあるようだ。