高崎市吉井町多胡の多胡館跡。

多胡館跡 (1)
多胡館は木曽義仲の父・源義賢の館跡とされる。多胡丘陵の平坦地に築造され、約110m四方の広さである。

多胡館跡 (2)
入り口付近は整備されているが、館跡は宅地と屋敷林、竹林となっている。

多胡館跡 (3)
多胡館跡 (4)
多胡館跡 (5)
北西・北東隅・東南に土塁、堀跡が残る、ということだが、素人目にはよく分からない。写真は北東隅あたりから撮っているので土盛りみたいなのは土塁かな?

多胡館跡 (6)
南面中央に正門・北面やや東寄りに裏門跡が認められる、ということなので、上の写真は裏門(虎口)?

源義賢は源為義の2男で、木曽義仲の父親。異母兄(為義長男)の義朝は義平、頼朝、義経の父親である。

兄・義朝が関東に下向し、南関東の武士団を統率する地位を確立したことへの懸念から、義賢は父の命により北関東へ下り、上野国多胡を領した。永治・康治(1141~44年)ころといわれる。その時の居館が多胡館になる。

その後、大蔵館(埼玉県嵐山町)に移ったが、久寿2年(1155年)に義朝長男・義平に討たれている(大蔵合戦)。木曽義仲はこの時2歳で、信濃国へ逃れている。義仲の出生地は多胡館との説もある。

義賢が多胡館に居を構えていたのは、おおよそ1140年代から50年代前半までとなる。