高崎市吉井町吉井川の中野孫三郎の墓。

中野孫三郎の墓
上野山延命密院からほど近い畑のなかに、火打金鍛冶職の中野孫三郎兼重(一族)の墓がある。

吉井の火打金は江戸時代に始まり、マッチの普及する明治30年(1897年)頃まで製造・販売された。吉井の火打金は良質で種類も多いことから、江戸をはじめ各地で評判を博した。中でも中野屋の火打金は有名で、全国にその名を馳せた。

火打金とは主に火をおこす道具として使われていたもので、火打金を石に打ち付けて火花をおこし、乾燥させたガマの穂などで作った火口(ほくち)に着火させて火種とした。

現在でも富岡市の貫前神社では、吉井の火打金で火を起こし神饌(しんせん)が作られているという。