高崎市新町の五劫山浄泉寺。

浄泉寺 (1)
浄泉寺 (2)
浄泉寺は天正2年(1574年)北条阿波守の勧請、浄心房深誉林応上人の開基。由緒は多野郡誌からの引用だが、北条阿波守って氏邦のことだと思う。北条氏はこの頃、上野国の領国化を進めており、氏邦がその役割を担っていたのは事実なので、氏邦の創建というのも満更ではなさそうだ。

浄泉寺 (3)
本堂は昭和46年(1971年)の新得建立。鉄筋コンクリートで小綺麗なもの。

浄泉寺 (4)
高さ約25m、周囲約5.2mの大イチョウ。江戸前期に植えられたと思われ、樹齢約400年と推定される。

浄泉寺 (5)
本堂西側に加賀前田藩勘定方・土師清大夫の墓がある。

土師清大夫は、宝勝寺の記事で紹介した享保元年(1716年)新町宿で大金を盗難にあった人である。(「小判供養塔 -宝勝寺-」参照)

土師清大夫は、この責任をとって切腹しており、新町に埋葬された。浄泉寺の墓地拡張工事の際、竹やぶに埋もれていた墓石が発見され、現在地に移設されている。

武士の責任の取り方は、切腹になっちゃうのはしょーがないけど、加賀から遠く離れた新町に眠ることになるのは、やっぱり無念だったろうな。