前回に引き続き、高崎市新町の高尾山・落合山宝勝寺。
(「小判供養塔 -宝勝寺-」参照)

貞蓮院の墓 (1)
貞蓮院の墓 (2)
本堂手前の墓地に、石廟で囲まれた立派な墓石がある。

大和郡山藩柳沢家2代・柳沢信鴻(のぶとき)の継室・貞蓮院の墓である。寛政6年(1794年)参勤交代の途中、新町宿小林本陣に逗留中に急死。宝勝寺に葬られた。

信鴻は安永2年(1773年)に隠居、寛政4年(1792年)に死去しており、当時は長男・保光が藩主なので、正確には保光母堂が方が適切かもしれないが。

柳沢家は、徳川5代将軍・綱吉の側用人として権勢を振るった柳沢吉保の家系。吉保は綱吉の庇護もあり、徳川一門のみが就いていた甲府藩主に。綱吉の死(宝永6年:1709年)に伴い、吉保は隠居し長男・吉里に家督を譲る。

享保9年(1724年)に吉里は大和郡山に転封になっている。保鴻は吉保の孫になる。

柳沢家は明治維新まで治めている。